蒲原城
2013/9/14
静岡県静岡市のお城めぐり
今川氏の境目最前線の山城
≪ お城の概要 ≫
城名: 蒲原城
よみ: カンバラ
別称:
所在地: 静岡県静岡市清水区蒲原
現状: 山
築城年代: 南北朝期
築城者:
形式: 山城
遺構: 一の曲輪・善福寺曲輪・腰曲輪・土塁・石塁・堀切
規模: 500m×400m、標高138m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/9/14
≪ 訪城記 ≫
興国寺城から蒲原城へ向かう。
興国寺城を出て根小屋信号を左折、南下して原東町交差点信号を右折、国道1号沼津バイパスを西進、富士川を渡り、道が大きく左へ曲がり、続いて右側に大きく曲がったら駿河湾に沿って西進、すぐに側道を降りて国道1号のガード下を右折してくぐり、北上してイオンタウン蒲原前の信号を過ぎた新蒲原駅前を左折、突き当りを右折してJR東海道本線ガード下をくぐったらすぐに左折、県道396号を西進、二つ目の信号を右折、北上して東名高速道路の高架下をくぐったら城山配水場で大きく道が曲り500m程進むと解りにくいですが、道の右手に駿河国蒲原城の看板が建っています。看板の南側に駐車スペースがあります。ここに車を駐車する。
看板の所から南に山へ入る道があり、この道が搦手の登城路です。登ってすぐに説明板と鳥瞰図があり、さらに進むと大空堀の案内板がありますが、谷底は竹藪で何もわかりません。
さらに登っていくと善福寺曲輪下の腰曲輪に出ます。ここには土塁跡と石塁があります。
奥へ進むと階段が設置してあり、登ると一の曲輪と善福寺曲輪の間の大堀切に出ます。大堀切を進んだ先の左側に善福寺曲輪があり、入口に逆茂木のレプリカが設置されている。善福寺曲輪には北側に土塁跡、物見台が2か所復元されている。
大堀切を右へ進むと一の曲輪へ行けます。入口の鳥居の右側に蒲原城址碑、中央に城将北条新三郎の供養碑、奥に八幡神社があります。
一の曲輪から西へ降りていくと二の曲輪、三の曲輪へと続くはずですが、草木が生い茂っていて入って行けませんでした。
≪ 歴 史 ≫
今川氏の境目最前線の城として城番が置かれ、天文十三年(1544)ころには飯尾豊前守が城番であったことが知られている。
永禄四年 (1561) 佐竹雅楽助高貞が城番となる。
永禄十一年 (1568) 北条氏家臣布施佐渡守康則が蒲原城在番を命じられる。
永禄十二年十二月六日 (1569) 武田軍が北条勢の守る蒲原城に攻めかかり、北条新三郎以下城兵が全滅して落城する。
永禄十三年五月 (1570) 武田氏の山県三郎兵衛昌景が庵原郡一帯を領し、蒲原衆を編成して城の守備にあてている。
天正十年 (1582) 徳川軍の攻撃で落城したといわれている。
≪ 写 真 ≫
道路脇の蒲原城案内板
搦手側登城口
登城道途中の説明板
腰曲輪と土塁跡
善福寺曲輪下の腰曲輪石塁
善福寺曲輪と土塁跡
善福寺曲輪と物見台
善福寺曲輪入口の逆茂木
一の曲輪と善福寺曲輪の間の大堀切
蒲原城址碑
一の曲輪
北条新三郎供養碑
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線新蒲原駅から徒歩約25分。
<車>
東名高速道路富士ICで降りて西富士道路を南下、そのまま南下して東海道新幹線新富士駅横の高架下をくぐり、宮島東交差点信号を右折、国道1号を西進、富士川を渡り、道が大きく左へ曲がり、続いて右側に大きく曲がったら駿河湾に沿って西進、すぐに側道を降りて国道1号のガード下を右折してくぐり、北上してイオンタウン蒲原前の信号を過ぎた新蒲原駅前を左折、突き当りを右折してJR東海道本線ガード下をくぐったらすぐに左折、県道396号を西進、二つ目の信号を右折、北上して東名高速道路の高架下をくぐったら城山配水場で大きく道が曲り500m程進むと解りにくいですが、道の右手に駿河国蒲原城の看板が建っています。看板の南側に駐車スペースがあります。
≪ 位置図 ≫
蒲原城
登城口駐車場
紹介したお城の数 130城
2013/9/14
静岡県静岡市のお城めぐり
今川氏の境目最前線の山城
≪ お城の概要 ≫
城名: 蒲原城
よみ: カンバラ
別称:
所在地: 静岡県静岡市清水区蒲原
現状: 山
築城年代: 南北朝期
築城者:
形式: 山城
遺構: 一の曲輪・善福寺曲輪・腰曲輪・土塁・石塁・堀切
規模: 500m×400m、標高138m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/9/14
≪ 訪城記 ≫
興国寺城から蒲原城へ向かう。
興国寺城を出て根小屋信号を左折、南下して原東町交差点信号を右折、国道1号沼津バイパスを西進、富士川を渡り、道が大きく左へ曲がり、続いて右側に大きく曲がったら駿河湾に沿って西進、すぐに側道を降りて国道1号のガード下を右折してくぐり、北上してイオンタウン蒲原前の信号を過ぎた新蒲原駅前を左折、突き当りを右折してJR東海道本線ガード下をくぐったらすぐに左折、県道396号を西進、二つ目の信号を右折、北上して東名高速道路の高架下をくぐったら城山配水場で大きく道が曲り500m程進むと解りにくいですが、道の右手に駿河国蒲原城の看板が建っています。看板の南側に駐車スペースがあります。ここに車を駐車する。
看板の所から南に山へ入る道があり、この道が搦手の登城路です。登ってすぐに説明板と鳥瞰図があり、さらに進むと大空堀の案内板がありますが、谷底は竹藪で何もわかりません。
さらに登っていくと善福寺曲輪下の腰曲輪に出ます。ここには土塁跡と石塁があります。
奥へ進むと階段が設置してあり、登ると一の曲輪と善福寺曲輪の間の大堀切に出ます。大堀切を進んだ先の左側に善福寺曲輪があり、入口に逆茂木のレプリカが設置されている。善福寺曲輪には北側に土塁跡、物見台が2か所復元されている。
大堀切を右へ進むと一の曲輪へ行けます。入口の鳥居の右側に蒲原城址碑、中央に城将北条新三郎の供養碑、奥に八幡神社があります。
一の曲輪から西へ降りていくと二の曲輪、三の曲輪へと続くはずですが、草木が生い茂っていて入って行けませんでした。
≪ 歴 史 ≫
今川氏の境目最前線の城として城番が置かれ、天文十三年(1544)ころには飯尾豊前守が城番であったことが知られている。
永禄四年 (1561) 佐竹雅楽助高貞が城番となる。
永禄十一年 (1568) 北条氏家臣布施佐渡守康則が蒲原城在番を命じられる。
永禄十二年十二月六日 (1569) 武田軍が北条勢の守る蒲原城に攻めかかり、北条新三郎以下城兵が全滅して落城する。
永禄十三年五月 (1570) 武田氏の山県三郎兵衛昌景が庵原郡一帯を領し、蒲原衆を編成して城の守備にあてている。
天正十年 (1582) 徳川軍の攻撃で落城したといわれている。
≪ 写 真 ≫
道路脇の蒲原城案内板
搦手側登城口
登城道途中の説明板
腰曲輪と土塁跡
善福寺曲輪下の腰曲輪石塁
善福寺曲輪と土塁跡
善福寺曲輪と物見台
善福寺曲輪入口の逆茂木
一の曲輪と善福寺曲輪の間の大堀切
蒲原城址碑
一の曲輪
北条新三郎供養碑
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線新蒲原駅から徒歩約25分。
<車>
東名高速道路富士ICで降りて西富士道路を南下、そのまま南下して東海道新幹線新富士駅横の高架下をくぐり、宮島東交差点信号を右折、国道1号を西進、富士川を渡り、道が大きく左へ曲がり、続いて右側に大きく曲がったら駿河湾に沿って西進、すぐに側道を降りて国道1号のガード下を右折してくぐり、北上してイオンタウン蒲原前の信号を過ぎた新蒲原駅前を左折、突き当りを右折してJR東海道本線ガード下をくぐったらすぐに左折、県道396号を西進、二つ目の信号を右折、北上して東名高速道路の高架下をくぐったら城山配水場で大きく道が曲り500m程進むと解りにくいですが、道の右手に駿河国蒲原城の看板が建っています。看板の南側に駐車スペースがあります。
≪ 位置図 ≫
蒲原城
登城口駐車場
紹介したお城の数 130城
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