伊賀上野城
2013/11/23
三重県伊賀市のお城めぐり
筒井定次が築き、藤堂高虎が大改修した高石垣の根城 日本100名城
≪ お城の概要 ≫
城名: 伊賀上野城
よみ: イガウエノ
別称: 上野城・白鳳城
所在地: 三重県伊賀市上野丸之内
現状: 上野公園
築城年代: 天正十三年(1585)
築城者: 筒井定次
形式: 平山城
遺構: 復興天守・本丸・城代役所跡(筒井城本丸)・石垣・内堀・空堀
規模: 1200m×700m、標高184m、比高47m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/8/1・2013/11/23
≪ 訪城記 ≫
自宅を出て伊賀上野城へ向かう。
自宅を出て国道8号を南下、彦根市に入り外町交差点信号を左折、国道306号を名神高速彦根IC方向へ向かい、名神高速に乗らず、そのまま道なりに国道306号を南下、多賀交差点信号を直進、国道307号を南下、日野町に入り日田交差点信号を直進、日野水口グリーンバイパスを通り、国道1号手前で左折して国道1号の側道を上がり、国道1号を東進、頓宮交差点信号を右折、県道24号を道なりに南下、新名神高速高架下をくぐり、鳥居野交差点信号を左折、県道24号のまま相模三叉路信号を左折して南下、甲賀支所前を通り、大原市場交差点信号を左折、県道4号をJR草津線沿いに南東へ進む、田堵野西信号を左折して県道4号のまま南下、三重県に入り、国道25号名阪国道上柘植インターガード下をくぐり、右折して側道を通って国道25号を西進、中瀬インターで降りて右折、国道163号伊賀街道を西進、伊賀市役所前の丸之内交差点信号を右折、だんじり会館前の信号を左折すると上野公園の有料駐車場に着く。ここに車を駐車する。
駐車場前の上野公園観光案内所で案内図をもらい坂道を登っていくと、分かれ道があり、天守閣方向に登る。この付近に深い空堀がある。水道タンクのある奥が城代役所跡で広い曲輪と見ごたえのある石垣、郭の奥の高台に旧筒井城天守台跡の碑が建てられている。
城代役所跡から石段の虎口を降りると復興天守閣がある本丸で、天守閣内に入ると藤堂宝虎坐像が出迎えてくれる。藤堂家ゆかりの展示物が見られ、入場料は500円です。
天守閣の西側が高石垣と内堀で、内堀から見るそびえ立つ高石垣は圧巻です。
伊賀上野城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
天正十三年八月 (1585) 大和郡山城主筒井定次(順慶の養子)が伊賀守に任ぜられ伊賀国に移封となり、旧伊賀守護仁木氏の館跡に築城をする。
慶長六年 (1600) 関ヶ原の役で筒井定次は会津の上杉氏討伐に参加、上野城には兄筒井十郎玄蕃が留守居をしていたが、西軍の高槻城主新庄直頼、直定父子が上野城を攻撃、玄蕃は城を開け渡し逃げてしまった。定次は軍を引き返し、城を奪還する。
慶長十三年六月 (1607) 失政の多い、筒井定次は領地を没収され鳥居忠政に預けられる。
慶長十三年八月 (1607) 藤堂和泉守高虎が伊予国今治から伊賀・伊勢の地を与えられる。
慶長十六年 (1610) 伊賀上野城の大改修に着手、大坂方に備えるため城の西側に高石垣を築く。
慶長十七年九月二日 (1611) 完成間近の天守閣が暴風雨によって倒壊してしまい、以後、天守閣は再建されなかった。
元和六年 (1620) 高虎の弟藤堂高清が城代となる。
寛永十七年 (1640) 高清の死後、藤堂采女が城代となり、明治維新まで世襲した。明治に入り城は破却される。
明治二十年 (1887) 東大手門が解体。
明治四十年 (1907) 西大手門が解体。
昭和十年 (1935) 復興天守閣が建てられる。
≪ 写 真 ≫
登城口横の空堀
城代役所跡(筒井城本丸)
筒井城天守跡の碑
復興天守閣
復興天守閣入口の藤堂高虎坐像
天守閣望楼からの筒井城本丸
東からの復興天守閣
西からの復興天守閣
城代役所跡の石垣
本丸入口の上野城址碑
北西櫓跡の高石垣
南西櫓跡の高石垣
高石垣
白鳳門
南面の石垣
現地上野公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近鉄伊賀線上野市駅から徒歩約8分。
<車>
東名阪道亀山ICを降りて国道25号名阪国道を西進、中瀬インターで降りて右折、国道163号伊賀街道を西進、伊賀市役所前の丸之内交差点信号を右折、だんじり会館前の信号を左折すると上野公園の有料駐車場に着く。
≪ 位置図 ≫
伊賀上野城
紹介したお城の数 153城
2013/11/23
三重県伊賀市のお城めぐり
筒井定次が築き、藤堂高虎が大改修した高石垣の根城 日本100名城
≪ お城の概要 ≫
城名: 伊賀上野城
よみ: イガウエノ
別称: 上野城・白鳳城
所在地: 三重県伊賀市上野丸之内
現状: 上野公園
築城年代: 天正十三年(1585)
築城者: 筒井定次
形式: 平山城
遺構: 復興天守・本丸・城代役所跡(筒井城本丸)・石垣・内堀・空堀
規模: 1200m×700m、標高184m、比高47m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/8/1・2013/11/23
≪ 訪城記 ≫
自宅を出て伊賀上野城へ向かう。
自宅を出て国道8号を南下、彦根市に入り外町交差点信号を左折、国道306号を名神高速彦根IC方向へ向かい、名神高速に乗らず、そのまま道なりに国道306号を南下、多賀交差点信号を直進、国道307号を南下、日野町に入り日田交差点信号を直進、日野水口グリーンバイパスを通り、国道1号手前で左折して国道1号の側道を上がり、国道1号を東進、頓宮交差点信号を右折、県道24号を道なりに南下、新名神高速高架下をくぐり、鳥居野交差点信号を左折、県道24号のまま相模三叉路信号を左折して南下、甲賀支所前を通り、大原市場交差点信号を左折、県道4号をJR草津線沿いに南東へ進む、田堵野西信号を左折して県道4号のまま南下、三重県に入り、国道25号名阪国道上柘植インターガード下をくぐり、右折して側道を通って国道25号を西進、中瀬インターで降りて右折、国道163号伊賀街道を西進、伊賀市役所前の丸之内交差点信号を右折、だんじり会館前の信号を左折すると上野公園の有料駐車場に着く。ここに車を駐車する。
駐車場前の上野公園観光案内所で案内図をもらい坂道を登っていくと、分かれ道があり、天守閣方向に登る。この付近に深い空堀がある。水道タンクのある奥が城代役所跡で広い曲輪と見ごたえのある石垣、郭の奥の高台に旧筒井城天守台跡の碑が建てられている。
城代役所跡から石段の虎口を降りると復興天守閣がある本丸で、天守閣内に入ると藤堂宝虎坐像が出迎えてくれる。藤堂家ゆかりの展示物が見られ、入場料は500円です。
天守閣の西側が高石垣と内堀で、内堀から見るそびえ立つ高石垣は圧巻です。
伊賀上野城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
天正十三年八月 (1585) 大和郡山城主筒井定次(順慶の養子)が伊賀守に任ぜられ伊賀国に移封となり、旧伊賀守護仁木氏の館跡に築城をする。
慶長六年 (1600) 関ヶ原の役で筒井定次は会津の上杉氏討伐に参加、上野城には兄筒井十郎玄蕃が留守居をしていたが、西軍の高槻城主新庄直頼、直定父子が上野城を攻撃、玄蕃は城を開け渡し逃げてしまった。定次は軍を引き返し、城を奪還する。
慶長十三年六月 (1607) 失政の多い、筒井定次は領地を没収され鳥居忠政に預けられる。
慶長十三年八月 (1607) 藤堂和泉守高虎が伊予国今治から伊賀・伊勢の地を与えられる。
慶長十六年 (1610) 伊賀上野城の大改修に着手、大坂方に備えるため城の西側に高石垣を築く。
慶長十七年九月二日 (1611) 完成間近の天守閣が暴風雨によって倒壊してしまい、以後、天守閣は再建されなかった。
元和六年 (1620) 高虎の弟藤堂高清が城代となる。
寛永十七年 (1640) 高清の死後、藤堂采女が城代となり、明治維新まで世襲した。明治に入り城は破却される。
明治二十年 (1887) 東大手門が解体。
明治四十年 (1907) 西大手門が解体。
昭和十年 (1935) 復興天守閣が建てられる。
≪ 写 真 ≫
登城口横の空堀
城代役所跡(筒井城本丸)
筒井城天守跡の碑
復興天守閣
復興天守閣入口の藤堂高虎坐像
天守閣望楼からの筒井城本丸
東からの復興天守閣
西からの復興天守閣
城代役所跡の石垣
本丸入口の上野城址碑
北西櫓跡の高石垣
南西櫓跡の高石垣
高石垣
白鳳門
南面の石垣
現地上野公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近鉄伊賀線上野市駅から徒歩約8分。
<車>
東名阪道亀山ICを降りて国道25号名阪国道を西進、中瀬インターで降りて右折、国道163号伊賀街道を西進、伊賀市役所前の丸之内交差点信号を右折、だんじり会館前の信号を左折すると上野公園の有料駐車場に着く。
≪ 位置図 ≫
伊賀上野城
紹介したお城の数 153城
日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ) | |
福代徹,日本城郭協会 | |
学習研究社 |
三重の山城ベスト50を歩く | |
福井 健二,竹田 憲治,中井 均 | |
サンライズ出版 |