お城へ行こう!

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西尾城

2014-01-13 07:56:35 | 愛知県
 西尾城

2014/1/2

愛知県西尾市のお城めぐり

 豊臣大名田中吉政が整備した江戸時代の西尾藩藩主の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 西尾城
よみ: ニシオ
別称: 西条城・鶴城・錦丘城
所在地: 愛知県西尾市錦城町
現状: 西尾市歴史公園・西尾神社・御剱八幡宮
築城年代: 承久年間(1219-22)
築城者: 足利義氏
形式: 平城
遺構: 本丸・二之丸・復元本丸丑寅櫓・本丸表門跡・復元二之丸鍮石門・姫丸辰巳櫓跡・井戸・石垣・土塁
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/4/7・2014/1/2


≪ 訪城記 ≫

桜井城から西尾城に向かう。

桜井城を出て県道44号を南西に進み、米津橋北交差点信号を左折、矢作川に架かる米津大橋を渡り、県道12号を南下、新渡場複合交差点信号を斜め左折、県道12号をそのまま南下、花ノ木町四丁目交差点信号を右折、県道383号を北東に進み、西尾小前信号を過ぎた次の三叉路を左折した一方通行道の右側に西尾城跡の西尾市歴史公園がある。公園南側に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から道を北へ向かうと西尾市資料館があり、資料館横の道を挟んだ反対側、西尾小学校側に姫丸辰巳櫓跡がある。
資料館北側には二之丸鍮石門、左側に復元土塁、門を入ると二之丸庭園になっていて奥に旧近衛邸がある。
鍮石門を入って南に進むと本丸丑寅櫓があり、手前に水堀がL字型にある。橋を渡って南が本丸跡で西尾神社と御剱八幡宮があり、西尾神社奥の両側に土塁が残っている。
御剱八幡宮の東側に丑寅櫓があり、前に本丸表門跡、西尾城址碑が建っている。
現在、公園の北側に石垣が復元工事中です。


≪ 歴 史 ≫

承久年間 (1219-22) 三河守護に任ぜられた足利義氏が城を構え西条城と名付ける。長男上総介長氏に西条城を三男義綱に東条城を与える。長氏は地名に因んで吉良氏を称し、十四代居城する。
永禄三年頃 (1560) 今川氏が牛久保城城主牧野新次郎成定に守らせていた。
永禄四年五月 (1561) 松平方の酒井雅楽助正親が西条城主荒川(吉良)義広と共に攻め落し、酒井正親が入る。
天正十三年 (1585) 酒井正親の子重忠が城の修築を行う。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封により、重忠も武蔵川越城に移り、代わって豊臣秀吉の臣田中吉政が岡崎城に入り、西尾城を支城とした。三の丸の拡張など増築を行う。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦の後、田中吉政が筑後柳河に転封、代わって本多康俊、続いて松平成重、本多俊次、太田資宗が城主となる。
寛永十八年 (1641) 外郭の築城工事を始めるが、太田資宗は浜松城に移り、代わって入った井伊直好が明暦元年(1655)に完成する。井伊氏の後、増山氏二代、土井氏四代、三浦氏二代続き、明和元年(1764)、松平乗祐が入城、五代続いて明治を迎える。


≪ 写 真 ≫


復元二之丸鍮石門


鍮石門横の復元土塁


復元本丸丑寅櫓


旧近衛邸


西側の水堀


丑寅櫓前の水堀


西尾神社北側の土塁


西尾神社南側の本丸井戸


西尾神社南側の土塁


西尾神社


本丸


御剱八幡宮


本丸表門横の石垣


本丸表門跡


西尾城址碑


西尾市資料館


姫丸辰巳櫓跡


現地西尾市歴史公園図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄西尾線西尾駅から徒歩約15分。
<車>
東名高速岡崎ICを降りて岡崎インター西交差点信号を直進、国道1号東海道を西進、岡崎市役所前を通り岡崎城前の岡崎公園前信号を直進、矢作川を越えて矢作町加護畑交差点信号を左折、県道44号を南下、矢作町橋塚東信号を斜めに右折、道なりに進み東海道新幹線の高架下をくぐり、桜井塔之元信号を直進、県道44号を南西に進み、米津橋北交差点信号を左折、矢作川に架かる米津大橋を渡り、県道12号を南下、新渡場複合交差点信号を斜め左折、県道12号をそのまま南下、花ノ木町四丁目交差点信号を右折、県道383号を北東に進み、西尾小前信号を過ぎた次の三叉路を左折した一方通行道の右側に西尾城跡の西尾市歴史公園がある。公園南側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

西尾城(西尾市歴史公園)


紹介したお城の数 170城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社