沢城
2013/11/23
三重県鈴鹿市のお城めぐり
関氏一党、神戸氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 沢城
よみ: サワ
別称: 神戸西城・西条城
所在地: 三重県鈴鹿市飯野寺家町321-1
現状: 倉庫・水田
築城年代: 貞治六年(正平二十二、1367)
築城者: 関盛澄
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/5/31・2013/11/23
≪ 訪城記 ≫
神戸城から徒歩で沢城へ向かう。
神戸公園から鈴鹿市文化会館東側の道まで戻り、道沿いの歩道を南下、商工会議所東交差点信号を渡り右折、県道54号の道路南側歩道を約330m西進した次の信号のある「大阪カルビ鈴鹿店」交差点を左折、約130m南下した川の手前、道路の東側の倉庫敷地の南西隅に大きな石の沢城趾碑と説明板があるのみです。
≪ 歴 史 ≫
貞治六年(正平二十二年、 1367) 関盛政の長子盛澄が沢の地に城を築き神戸氏の祖となる。
以後、実重、為盛、養子具盛(国司北畠材親の子)、長盛、利盛と続き、具盛のときに天文年間(1532-55)に神戸城を築き沢から移ったとも、利盛のときに弘治年間(1555-58)に神戸城を築いて移ったと言われている。
永禄十一年 (1568) 利盛の弟友盛のときに織田信長に攻められ、信長の三男信孝を養子とすることで和睦する。
元亀二年 (1571) 友盛が隠居させられ沢城が隠居城となる。
≪ 写 真 ≫
沢城趾碑
沢城付近
現地説明板図面(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅から徒歩約25分。
<車>
東名阪道鈴鹿ICを降りて県道27号を南東へ進み、加佐登小学校西信号で道が合流し、直進して突き当りの加佐登西三叉路信号を右折、県道673号を南下、津賀町西信号を左折、県道673号バイパスを進み、汲川原町交差点信号を直進、鈴鹿川に架かる汲川原橋を渡り、汲川原橋南詰信号を左折、県道54号を東進、商工会議所東交差点信号を左折、約100m北上した道の西側にある鈴鹿市文化会館の駐車場を利用すると良い。徒歩約10分。
≪ 位置図 ≫
沢城
紹介したお城の数 155城
2013/11/23
三重県鈴鹿市のお城めぐり
関氏一党、神戸氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 沢城
よみ: サワ
別称: 神戸西城・西条城
所在地: 三重県鈴鹿市飯野寺家町321-1
現状: 倉庫・水田
築城年代: 貞治六年(正平二十二、1367)
築城者: 関盛澄
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/5/31・2013/11/23
≪ 訪城記 ≫
神戸城から徒歩で沢城へ向かう。
神戸公園から鈴鹿市文化会館東側の道まで戻り、道沿いの歩道を南下、商工会議所東交差点信号を渡り右折、県道54号の道路南側歩道を約330m西進した次の信号のある「大阪カルビ鈴鹿店」交差点を左折、約130m南下した川の手前、道路の東側の倉庫敷地の南西隅に大きな石の沢城趾碑と説明板があるのみです。
≪ 歴 史 ≫
貞治六年(正平二十二年、 1367) 関盛政の長子盛澄が沢の地に城を築き神戸氏の祖となる。
以後、実重、為盛、養子具盛(国司北畠材親の子)、長盛、利盛と続き、具盛のときに天文年間(1532-55)に神戸城を築き沢から移ったとも、利盛のときに弘治年間(1555-58)に神戸城を築いて移ったと言われている。
永禄十一年 (1568) 利盛の弟友盛のときに織田信長に攻められ、信長の三男信孝を養子とすることで和睦する。
元亀二年 (1571) 友盛が隠居させられ沢城が隠居城となる。
≪ 写 真 ≫
沢城趾碑
沢城付近
現地説明板図面(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅から徒歩約25分。
<車>
東名阪道鈴鹿ICを降りて県道27号を南東へ進み、加佐登小学校西信号で道が合流し、直進して突き当りの加佐登西三叉路信号を右折、県道673号を南下、津賀町西信号を左折、県道673号バイパスを進み、汲川原町交差点信号を直進、鈴鹿川に架かる汲川原橋を渡り、汲川原橋南詰信号を左折、県道54号を東進、商工会議所東交差点信号を左折、約100m北上した道の西側にある鈴鹿市文化会館の駐車場を利用すると良い。徒歩約10分。
≪ 位置図 ≫
沢城
紹介したお城の数 155城
城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック) | |
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