お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

伊庭御殿

2014-07-06 05:31:53 | 滋賀県
 伊庭御殿

2014/5/30

滋賀県東近江市のお城めぐり

 徳川家光の上洛用に造営された御茶屋御殿

≪ お城の概要 ≫

城名: 伊庭御殿
よみ: イバ
別称: 御茶屋御殿
所在地: 滋賀県東近江市能登川町391-4
現状: 御殿地広場
築城年代: 寛永十一年(1634)
築城者: 小堀遠江守政一
形式: 平城
遺構: 石垣・井戸
規模:
文化財:
訪城日: 2011/6/13・2014/5/30


≪ 訪城記 ≫

永原御殿から伊庭御殿に向かう。

永原御殿北側の道を東進、野洲北中学校前を通って江部交差点信号を左折、県道2号を北上、安土城前を通り、能登川交差点信号を右折して東に進み、JR東海道本線踏切を渡った突き当りの三叉路を左折、山裾を約100m北上した右側に伊庭御殿跡がある。入口の空き地に車を駐車する。

入口右側の山裾に井戸跡、左側の説明板の裏側と西側に石垣跡が残り、中へ入るとかなり広いところで、中央付近の山裾側に池跡がある。


≪ 歴 史 ≫

寛永十一年 (1634) 徳川家光の上洛用に造営された休憩施設で、作事には小堀遠江守政一(小堀遠州)が携わっている。

≪ 写 真 ≫


伊庭御殿入口


伊庭御殿入口左側の石垣跡


伊庭御殿入口右側の井戸跡


伊庭御殿


池跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線能登川駅から徒歩約10分。
<車>
名神高速道路八日市ICを降りて国道421号八風街道を北西方向に進み、野々宮町交差点信号を右折、大凧通りを北上、建部日吉町三叉路信号を斜め左折北上し、建部幼稚園の三叉路を左折、近江鉄道本線を越え、県道209号を道なりに進み、東海道新幹線高架下を通り、五個荘南交差点信号を右折、国道8号を北上、簗瀬三叉路信号を左折、県道52号を西進、JR東海道本線高架下をくぐり、能登川中学校前交差点信号を左折、県道2号を南下、能登川交差点信号を左折して東に進み、JR東海道本線踏切を渡った突き当りの三叉路を左折、山裾を約100m北上した右側に伊庭御殿跡がある。入口の空き地に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

伊庭御殿


紹介したお城の数 239城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会

永原御殿

2014-07-05 05:33:54 | 滋賀県
 永原御殿

2014/5/30

滋賀県野洲市のお城めぐり

 永原氏代々の居城を将軍上洛時の宿泊施設として築かれた御殿

≪ お城の概要 ≫

城名: 永原御殿
よみ: ナガハラ
別称: 永原城・御茶屋御殿
所在地: 滋賀県野洲市永原
現状: 竹林
築城年代: 室町時代中期
築城者: 永原氏
形式: 平城
遺構: 堀・土塁・石垣・移築門
規模: 200m×200m
文化財:
訪城日: 2011/7/28・2014/5/30


≪ 訪城記 ≫

市三宅城から永原御殿に向かう。

市三宅自治会館を出て前の道を約80m南下した交差点を左折、約230m東進した交差点信号を左折、北東に進み北野小学校前を通り、水田地帯を進み、野洲市総合体育館前を通り、川を渡り、永原北交差点信号を右折、約200m南東に進んだ土安神社交差点を右折してすぐの西側の竹林が永原御殿跡で説明板前の空き地に駐車可能。さらに進んだ江部自治会館前にも駐車可能。

かなり広い竹林で正方形をしているようで、北面、西面、南面に堀跡が残り、竹林の中には入れそうもありません。
南東面の畑と水田の境に石垣跡が残っている。

移築表門のある浄専寺へ徒歩で向かう。
土安神社から東にある野洲北中学校角を北に約450m進み、県道32号を渡り、北集落内の道を約350m北上した北自治会館の東側が浄専寺で南側に古い永原御殿の城門が移築されている。


≪ 歴 史 ≫

永徳(1381-84)、明徳(1390-94)の合戦で軍功をたてた永原大炊助宗行が野洲郡内で知行を得る。
文明十二年 (1480) 永原越前守重秀が小堤、入日岡、田中江に城を構える。
永禄十一年 (1568) 織田信長の上洛戦で六角氏とともに戦い落城する。
元亀元年 (1570) 織田信長の部将佐久間信盛が在城する。
天正元年 (1573) 浪々の身であった永原氏の永原飛騨助実治が信長に許され、再び永原城主となる。
天正十年 (1582) 永原城主永原実治が山崎の合戦で戦死、翌年、深尾清十郎が城主となる。
文禄年間 (1592-96) 永原城は廃城となる。
慶長六年 (1601) 徳川家康の下向時、慶長十九年(1614)、大坂冬の陣や夏の陣、家光の将軍宣下時に永原御殿が利用されている。
寛永十一年 (1634) 永原御殿が大改修される。
貞享二年 (1685) 将軍上洛が停止され、永原御殿は廃止される。


≪ 写 真 ≫


南西側からの永原御殿


南西側の堀跡


南側の土塁跡


南東側の石垣跡


浄専寺の移築城門


現地永原御殿平面概略図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線野洲駅からバスで江部バス停下車、徒歩約5分。
<車>
名神高速栗東ICを降りて国道8号と合流して北上、野洲川に架かる野洲川大橋を渡り、小篠原交差点信号を左折、東海道新幹線高架下をくぐり、JR東海道本線の陸橋を渡り、久野部交差点信号を直進、北野小学校前交差点信号を右折、水田地帯を北上、野洲市総合体育館前を通り、川を渡り、永原北交差点信号を右折、約200m南東に進んだ土安神社交差点を右折してすぐの西側の竹林が永原御殿跡で説明板前の空き地に駐車可能。さらに進んだ江部自治会館前にも駐車可能。


≪ 位置図 ≫

永原御殿


浄専寺


紹介したお城の数 238城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会

市三宅城

2014-07-04 05:32:51 | 滋賀県
 市三宅城

2014/5/30

滋賀県野洲市のお城めぐり

 六角氏に従って織田軍攻められ落城した永原氏の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 市三宅城
よみ: イチミヤケ
別称:
所在地: 滋賀県野洲市市三宅
現状: 住宅街
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構: 土塁跡
規模:
文化財:
訪城日: 2011/7/28・2014/5/30


≪ 訪城記 ≫

自宅から市三宅城へ向かう。

長浜城前を通り県道2号湖岸道路を南下、彦根城の見える松原橋交差点信号を直進、馬場1丁目信号も直進、突き当りの三叉路を左折、県道2号に戻り東進、本町2丁目信号を右折、芹川を越えてベルロード通りを通って南下、犬上川を越え、さらに南下、賀田山町交差点信号を右折、宇曽川を越え、そのまま県道2号を南下、安土城前を通って南西に進み、日野川を渡り、冨波甲北交差点信号を右折、約650m北西に進んだ水田地帯の交差点信号を左折、南西に進み北野小学校前交差点信号を直進、京セラ工場西側を約1km進んだ市三宅集落内の交差点信号を右折、約230m西進した十字路を右折、細い路地を約80m北上した道が左に曲がるところの市三宅自治会館前に車を駐車させてもらう。

市三宅自治会館南側の安楽寺から東へ入る住宅街の間の細い道を約70m進んだ、住宅東側の空き地のようなところが市三宅城跡で大きなL字型の土塁が残っているのみで、この土塁上の北西隅には祠がある。


≪ 歴 史 ≫

永原氏の支城で、永原出雲守孝房が在城していたが、六角氏の観音寺城とともに織田軍に攻められ落城した。

≪ 写 真 ≫


市三宅城土塁


土塁上北西隅の祠


北東側からの土塁跡


安楽寺前の入り口


安楽寺

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線野洲駅から約1.1km、徒歩約20分。
<車>
名神高速栗東ICを降りて国道8号と合流して北上、野洲川に架かる野洲川大橋を渡り、小篠原交差点信号を左折、東海道新幹線高架下をくぐり、JR東海道本線の陸橋を渡り、久野部交差点信号を直進、北野小学校前交差点信号を左折、京セラ工場西側を約1km進んだ市三宅集落内の交差点信号を右折、約230m西進した十字路を右折、細い路地を約80m北上した道が左に曲がるところの市三宅自治会館前に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

市三宅城


紹介したお城の数 237城



織田信長事典コンパクト版
クリエーター情報なし
新人物往来社




豊臣秀吉事典 コンパクト版
クリエーター情報なし
新人物往来社

小松城

2014-07-01 05:37:52 | 石川県
 小松城

2014/5/24

石川県小松市のお城めぐり

 加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小松城
よみ: コマツ
別称: 芦城・浮城
所在地: 石川県小松市丸内町本丸
現状: 県立小松高校・芦城公園・小松市役所・住宅街
築城年代: 天正年間(1573-92)初期
築城者: 若林長門守
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台石垣
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/8/19・2014/5/24


≪ 訪城記 ≫

松任城から小松城に向かう。

松任駅駐車場を出て駅前交差点信号を右折、JR北陸本線沿いの県道291号を西進、成町付近で道が大きく左に曲がり南下、宮丸三叉路信号で斜め右折して国道8号金沢バイパスに合流、南西に進み、手取川に架かる手取川大橋を渡り南下、大長野西交差点信号を斜め右折して国道365号を南西に進み、梯川を渡り、園町交差点信号を右折、国道360号を西進、JR北陸本線高架下をくぐり、京町交差点信号を右折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場に車を駐車する。

小松市役所前の道を北上すると左側に小松中央緑地、右側に芦城公園があり、この付近が三の丸跡です。
道を約250m北上した突き当りに県立小松高校があり、この付近が二の丸跡で、高校前の突き当りを左折して約100mの住宅街を右折して約150m北上した突き当りに小松高校のグラウンドがある。この付近が本丸跡で、グラウンド沿いに西へ約100m行ったグラウンドの西端に小松城天守台の石垣が残っている。
現在、天守台は立入禁止で登ることができません。


≪ 歴 史 ≫

天正四年 (1576) 一向一揆の部将若林長門守が城主であった。
天正七年 (1579) 柴田勝家軍の攻撃によって落城する。織田信長は村上次郎右衛門頼勝を小松城主とする。
慶長三年 (1598) 村上頼勝が越後本庄に移封後、羽柴秀吉の命で松任城主丹羽五郎左衛門長重が小松城に入る。
慶長五年八月 (1600) 徳川方の金沢城主前田利長と豊臣方の小松城主丹羽長重が関ヶ原の前哨戦を戦った浅井畷の戦いで、丹羽長重が敗れ、小松城は前田氏の所領となり、以後、加賀藩は前田源峰長種、前田内記直知、前田対馬直正、前田孝貞を城代として相次いで在城している。
寛永十六年 (1639) 加賀藩主第三代前田利常が長子光高に跡を譲り、小松城を隠居城とする。利常の入居が決まって二の丸、三の丸が増設される。
万治元年 (1658) 前田利常が死去すると、横山左衛門忠次、前田三左衛門直之を城代として置く。
延宝七年九月 (1679) 二名一組の小松城番を新設する。
明治四年 (1871) 小松城の廃城が決まる。


≪ 写 真 ≫


小松城天守台石垣


グラウンド側からの天守台


芦城公園の前田利常公像

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線小松駅からバスで市役所前下車、徒歩約15分。
<車>
北陸道小松ICを降りて小松インター前信号を右折、県道25号を南下、悌川に架かる城南橋を渡り、城南町西交差点信号を左折、国道360号を東進、京町交差点信号を左折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場を利用すると良い。天守台跡まで徒歩約600m。


≪ 位置図 ≫

小松城


紹介したお城の数 236城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
中山良昭
廣済堂出版




日本の城 (山川Mook 1)
中井 均
山川出版社