地球上にいるすべての生き物は
神様なしでは生きていけない。
人間は、自分で何でもできると
思っていても
神様によって生かしてもらっている存在である。
ということを先週は書いてみました。
こんにちは ファーティマ松本です。
人生のテストについて
今までは”困難”について書いてきました。
困難 つまりイヤ~なことですね。
でもその困難があるおかげで
1、私たちの悪行が減って
2、天国での階位が上がって
3、いろいろな事に気づかせてくれる。
ということでした。
いろいろなことに気づく事
を邪魔するのは傲慢な心。
傲慢な心というのは、
真実を受け入れず、人を見下す心。
その傲慢な心の治療法は
「感謝」をすること。
というのが、一応今までの復習です。
さて今週は、
物事にはすべて
”良いことと悪い事が一緒になっている”というお話です。
『本当に困難と共に安楽はあり、
本当に困難と共に安楽はある。』
(クルアーン94:5ー6)
神様は同じ章で、同じことを2回も繰り返しています。
つまり、相当強調されたい事なのでしょうね。
それから、日本語ではわかりませんが、
アラビア語では、困難は単数形で
それに続く安楽は複数形になっています。
つまり、
困難一つに対して、安楽はいっぱい、いっぱいということです。
例えば、病気になった。
でも、お金はあるし、子供たちは元気だ。
住む家もあるし、食べる物もある、等々。
または、
お金がない。
でも目は見えるし、耳も聞こえる。
子供も自分も五体満足で健康だ。
それに子供達はなかなか良い子に育っている、等々。
悪いことが起きると、ついつい
その悪い事に目がいってしまいがちですが、
実は、
今いるその困った状況の中にも必ず
良いこと、というのはあるんです。
だからどっちに目を向けるか、というのが大事になってきますよね。
自分が目を向ける方、自分の意識を集中させる方が
だんだんと大きくなっていきます。
自分が持っていないもの、自分が困っていることに
目を向けてそれに気持ちを集中させてしまうと
それが必要以上に大きくなって
心を縛ってしまいます。
反対にどんな状況においても、
必ず良いことはあるんだと
良いことを探して、それに気持ちを集中させれば
そちらの方が大きく見えてくるようになります。
失くしたものを悲しむよりも、まだあるものに目を向け
それに感謝をする。
嫌な人のことばかりを考えないで、他の良い人のことを考える。
まあ、少し難しいことではありますが、
この辛い人生を生きていくには、大切なことだと思います。
良いことに目を向けて
それについて感謝、です。
神様に感謝!
感謝をしていれば、
必ず、神様は今いる苦しい状況から救い出してくれるでしょう。
そしてそれ以上の良いことをもっともっと与えてくれるはずです。
では、来週は
(本当は今週にこれを書きたかったのだけど)
人生のテストの”困難じゃないバージョン”です。
人生には、つら~くないテストというのも
あるんだ、という話です。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
#追加#
今日は大変興味深いものを見つけましたので、
それをシェアーしたいと思います。
斎藤一人さんのご著書からです。
(以下 引用)
ともかく、逆境をうらんだりしちゃいけない。
そして、逆境というのは、上にいる、絶対なる人が自分を試そうとしているんだ、と。
そしたら、オレなんかの場合、「神さま、あなたは、オレが泣き言をいうと思ってるかもしれないけど、その手は食いませんよ」って、それで、「こういう答えを出しますけど、神さま、どうでしょう」って、対話するんだよ。
なんか、あやしい話になってきたんだけど(笑)
でも、代々続いているような家ってね、家訓のなかに必ず「神仏を敬え」っていうのが入っているんだよね。
神仏を敬うって、神にすがって生きろ、ということじゃないんだよ。
どんなに成功しても、この世の中には、絶対、おまえなんかに勝てないものがあるんだ、といってるんだよ。
そうやっていわないと、人間って傲慢になってダメなんだよ。
傲慢にならないために、「絶対なる神」というものがいて、それを「敬え」っていう、ね。
その絶対なる神に「一人ちゃん、今の答えよかったよ」って、いってもらえるような生き方を見せたいと思って、やってるんだよね、オレは。
だから、神さまにお願いするんじゃなくて、神さまが「一人ちゃん、よくやったね」って喜んでくれるような生き方、だな。
そうすると、よく「客観的に自分を見る」っていうよな。
「外から自分を見る」っていういい方があるけど、それって人間目線なんだよ。
だけど、天の神様が喜ぶことって何だろう、っていったとき、人は天の目線でものを見て考えるんだよ。
これが、実にいいんだよ。
いろんな“気づき”をもらえて、おもしろいぐらいに、商売でも何でも、うまくいくの。
不況がこようが、どんな問題が出てこようが、飛行機が空気抵抗で上に上がっていくように、逆境を利用して伸びていけるんだよ。
これが、災い転じて福となす、なんだよ。
いいかい、もう一度いうよ。
天がくれた試練に対して、嘆いたりしちゃダメ。
天をうらまなくても、自分の運命をうらんだりしてもダメ。
天をうらんでるのと同じことだよ。
だから、天をうらむ人は逆境から抜け出せないんだよ。
逆境でつぶれる人の特徴なんだよ。
つぶれない人は、逆境のときに天をうらまない、時をうらまない。
逆境を利用して上に伸びるんだよ。
『斎藤一人 商人道』より
「天の神様が喜ぶことって何だろう」という言葉
すごくいいですねえ。
神様に喜ばれることをして生きていきたいものです。
それでは!!
神様なしでは生きていけない。
人間は、自分で何でもできると
思っていても
神様によって生かしてもらっている存在である。
ということを先週は書いてみました。
こんにちは ファーティマ松本です。
人生のテストについて
今までは”困難”について書いてきました。
困難 つまりイヤ~なことですね。
でもその困難があるおかげで
1、私たちの悪行が減って
2、天国での階位が上がって
3、いろいろな事に気づかせてくれる。
ということでした。
いろいろなことに気づく事
を邪魔するのは傲慢な心。
傲慢な心というのは、
真実を受け入れず、人を見下す心。
その傲慢な心の治療法は
「感謝」をすること。
というのが、一応今までの復習です。
さて今週は、
物事にはすべて
”良いことと悪い事が一緒になっている”というお話です。
『本当に困難と共に安楽はあり、
本当に困難と共に安楽はある。』
(クルアーン94:5ー6)
神様は同じ章で、同じことを2回も繰り返しています。
つまり、相当強調されたい事なのでしょうね。
それから、日本語ではわかりませんが、
アラビア語では、困難は単数形で
それに続く安楽は複数形になっています。
つまり、
困難一つに対して、安楽はいっぱい、いっぱいということです。
例えば、病気になった。
でも、お金はあるし、子供たちは元気だ。
住む家もあるし、食べる物もある、等々。
または、
お金がない。
でも目は見えるし、耳も聞こえる。
子供も自分も五体満足で健康だ。
それに子供達はなかなか良い子に育っている、等々。
悪いことが起きると、ついつい
その悪い事に目がいってしまいがちですが、
実は、
今いるその困った状況の中にも必ず
良いこと、というのはあるんです。
だからどっちに目を向けるか、というのが大事になってきますよね。
自分が目を向ける方、自分の意識を集中させる方が
だんだんと大きくなっていきます。
自分が持っていないもの、自分が困っていることに
目を向けてそれに気持ちを集中させてしまうと
それが必要以上に大きくなって
心を縛ってしまいます。
反対にどんな状況においても、
必ず良いことはあるんだと
良いことを探して、それに気持ちを集中させれば
そちらの方が大きく見えてくるようになります。
失くしたものを悲しむよりも、まだあるものに目を向け
それに感謝をする。
嫌な人のことばかりを考えないで、他の良い人のことを考える。
まあ、少し難しいことではありますが、
この辛い人生を生きていくには、大切なことだと思います。
良いことに目を向けて
それについて感謝、です。
神様に感謝!
感謝をしていれば、
必ず、神様は今いる苦しい状況から救い出してくれるでしょう。
そしてそれ以上の良いことをもっともっと与えてくれるはずです。
では、来週は
(本当は今週にこれを書きたかったのだけど)
人生のテストの”困難じゃないバージョン”です。
人生には、つら~くないテストというのも
あるんだ、という話です。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
#追加#
今日は大変興味深いものを見つけましたので、
それをシェアーしたいと思います。
斎藤一人さんのご著書からです。
(以下 引用)
ともかく、逆境をうらんだりしちゃいけない。
そして、逆境というのは、上にいる、絶対なる人が自分を試そうとしているんだ、と。
そしたら、オレなんかの場合、「神さま、あなたは、オレが泣き言をいうと思ってるかもしれないけど、その手は食いませんよ」って、それで、「こういう答えを出しますけど、神さま、どうでしょう」って、対話するんだよ。
なんか、あやしい話になってきたんだけど(笑)
でも、代々続いているような家ってね、家訓のなかに必ず「神仏を敬え」っていうのが入っているんだよね。
神仏を敬うって、神にすがって生きろ、ということじゃないんだよ。
どんなに成功しても、この世の中には、絶対、おまえなんかに勝てないものがあるんだ、といってるんだよ。
そうやっていわないと、人間って傲慢になってダメなんだよ。
傲慢にならないために、「絶対なる神」というものがいて、それを「敬え」っていう、ね。
その絶対なる神に「一人ちゃん、今の答えよかったよ」って、いってもらえるような生き方を見せたいと思って、やってるんだよね、オレは。
だから、神さまにお願いするんじゃなくて、神さまが「一人ちゃん、よくやったね」って喜んでくれるような生き方、だな。
そうすると、よく「客観的に自分を見る」っていうよな。
「外から自分を見る」っていういい方があるけど、それって人間目線なんだよ。
だけど、天の神様が喜ぶことって何だろう、っていったとき、人は天の目線でものを見て考えるんだよ。
これが、実にいいんだよ。
いろんな“気づき”をもらえて、おもしろいぐらいに、商売でも何でも、うまくいくの。
不況がこようが、どんな問題が出てこようが、飛行機が空気抵抗で上に上がっていくように、逆境を利用して伸びていけるんだよ。
これが、災い転じて福となす、なんだよ。
いいかい、もう一度いうよ。
天がくれた試練に対して、嘆いたりしちゃダメ。
天をうらまなくても、自分の運命をうらんだりしてもダメ。
天をうらんでるのと同じことだよ。
だから、天をうらむ人は逆境から抜け出せないんだよ。
逆境でつぶれる人の特徴なんだよ。
つぶれない人は、逆境のときに天をうらまない、時をうらまない。
逆境を利用して上に伸びるんだよ。
『斎藤一人 商人道』より
「天の神様が喜ぶことって何だろう」という言葉
すごくいいですねえ。
神様に喜ばれることをして生きていきたいものです。
それでは!!
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