【科学技術と倫理道徳】
【司会者】:我們再說,下面還有個問題,是科技的問題,二千多前年中國有一個,其實是一個偉大的科學家,叫墨子,他做過一個小的飛鳥,是用木頭做的,這個飛鳥能夠在天上飛三天不落下來。我有機會在大學裡面做匯報,做講座,我就給大家提過一個問題,現在哪一個科學家能夠造出來這樣的飛鳥?同學們確實是回答不上來,真的是沒有,現在科學家真的是造不出來這個。想請教您老,為什麼我們中國古代有那麼燦爛的聰明智慧,那麼高超的能力,今天人都辦不到,他為什麼不往前推進一步?真有專家提過這個問題,在那本書上他就發出感嘆,墨子他當初為什麼不把這個推進一步,也許再推進沒多久,登月的是我們中國人,宇宙在天上飛行的,自由自在飛行的宇航器,就是太空飛船,是我們中國人造出來的。尤其是到後來,就是鴉片戰爭之後,西方的堅船利炮,尤其到現在,很多年輕人還都有這種看法,我們的老祖宗,他心裡面很怨恨中國的老祖宗,為什麼?你有那樣的聰明智慧,四大發明都是你們搞出來的,你們為什麼不造一些這種發達的武器?
次にこのような問題があります。科学技術の問題です。二千年前の中国には、実は一人の偉大な科学者がいました。墨子と言います。彼は木を使って鳥を造ったことがあります。その鳥は空を三日間飛んでも落ちませんでした。私はある機会に大学で講義したことがあるのですが、私は聴衆に提起したことがあります。現在どの科学者がこのような鳥を造れるのでしょうか?学生たちは答えることはできません。本当にいません。現在の科学者は本当に造ることはできません。老法師にお伺いします。なぜ中国の古代にはあれほど輝かしい聡明な智慧があり、優れた能力があったのに、今日の人にはできません。彼はなぜそれを更に発展させなかったのでしょうか?ある専門家はこの問題を提起したことがあり、彼は本の中で感嘆しています。墨子はなぜそれを前に進めなかったのでしょうか?もし更に進めていれば、月に行ったのは中国人だったかもしれません。宇宙を自由自在に飛行する宇宙船は、中国人が造っていたかもしれません。特に時代が下ってアヘン戦争の後、西洋には強力な軍艦がありました。特に現在に至ると、多くの若者は中国のご先祖様を恨んでいます。なぜでしょう?あれほどの聡明な智慧があり、四大発明【注】もすべて創り出したのに、なぜ発達した武器を造らなかったのでしょうか?
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【注】 古代中国の四大発明・・・・羅針盤、火薬、紙、印刷。
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【浄空法師】:對,如果中國老祖宗也像外國人一樣,外國人是急功好利,這個世界早就毀滅了,不會存在。所以中國人他有徳行,他對於歷史負責任,對後世負責任。如果這些東西發明出來,如果與道徳不能平衡,那個災難就沒有法子估計。所以倫理道徳傳下去,絕不出毛病。如果說是科學技術傳下去,把倫理道徳喪失掉,這個世界就毀滅了。我們聽聽外國很多報導裡面講,五萬年前亞特蘭提斯科學發達比我們現在還要進步,倫理道徳沒有了,沒有人再相信上帝了,結果整個社會的淫亂達到了登峰造極,使整個大地沉到大海,叫大西洋,那時候叫大西國。
そうです。もし中国のご先祖様が外国人と同じようなら、外国人は目先の功利を求めて、この世界はとうの昔に壊滅していたでしょう。存在していません。中国人には徳行があり、歴史に責任を負い、後世に責任を負ったのです。もしそのようなものが発明されて、道徳とのバランスが悪くなれば、災難は想像を絶したことでしょう。倫理道徳を伝えれば、間違いはありません。もし科学技術を伝えるというなら、倫理道徳を失えばこの世界は滅びます。外国の報道を聴いてみると、五万年前のアトランティスは科学では私たちよりも発達していましたが、倫理道徳が無くなり、誰も神を信じなくなった結果、社会全体の淫乱は極限に達して大地が海に沈みました。大西洋と言います。その頃は大西国と言っていました。
【司会者】:原來他們那個國家最後滅亡的原因之一是淫亂,還有科技。
彼らの国が最後に滅亡した原因の一つは淫乱、そして科学技術だったのですね。
【浄空法師】:對,科技發達了,就是外國人講的人定勝天,自己狂妄,倫理道徳不要了,也不相信有神,也不相信有上帝。
そうです。科学技術が発達して、ちょうど人間の力は大自然に勝てると外国人が言うように、ひどく傲慢になり、倫理道徳を必要とせず、神がいることさえ信じなくなりました。
【司会者】:我記得您老曾經講過這樣的話,約束別人那是很不道徳的事情。但是從五四以來,很多人都認為傳統的聖賢教育正是約束人性的,正是約束人們自由自在的。
私の記憶では老法師はかつてこのように仰いました。他人を束縛することは不道徳なことであると。しかし五四運動【注】以来、多くの人は伝統の聖賢の教育は人間性を束縛するもの、正に人間の自由を束縛するものだと考えています。
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【注】 1919年5月4日、北京で起こった反帝国主義運動。
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【浄空法師】:不是的,那種約束是約束你反方向的,你違背了性徳的,是約束這一邊的,是教你發揚性徳。這是我們從教育上你能夠看到,幼兒園的學生,小學生,你看老師約束的東西就多,愈往上面去這個幅度就開放,到大學就完全開放。所以在中國教育也是如此,你在無知的時候,沒有開的時候,那時候要約束你,慢慢的提升,逐漸放,到最後,就像孔子,七十歲達到真正自由,那個自由絕對沒有絲毫弊病的。
そうではありません。その種の束縛はあなたを反対の方向に束縛するものです。あなたが性徳に背いたので、そちらを束縛するのは性徳を発揚することです。これは教育の中で見ることができます。幼稚園の生徒、小学生は先生の束縛は多く、上にあがるほど幅が開かれて、大学になれば完全に開放されます。中国の教育もそのようなものです。無知な時には開放する時はありません。その頃には束縛しなければなりません。少しずつ成長したら少しずつ開放し、最後は孔子のように、七十歳で真の自由に達します。その自由は絶対に少しの欠点もありません。
【司会者】:就像太空的宇宙飛船一樣,它可以看上去是自由自在的飛翔,但是它有軌道。
ちょうど宇宙船と同じように、見たところ自由自在に飛んでいるようです。しかしそこには軌道があります。
【浄空法師】:有軌道,所以它不踰矩。
軌道があります。ですから矩を越えません。
【司会者】:它要是踰矩就回不來了。
それがもし矩を越えれば帰って来られなくなります。
【浄空法師】:對,不錯,它不踰矩。你們今天這個自由有沒有越過倫理道徳,就十二個字,「孝悌忠信,禮義廉恥,仁愛和平」,你有沒有違背它?你能夠得大自在,絕對不違背這十二個字。
そう。その通りです。それは矩を越えません。あなた方の今日の自由は倫理道徳を越えていないでしょうか?つまり十二字の、「孝悌忠信,礼義廉恥,仁愛和平」に背いてはいないでしょうか?あなたが大自在を得ることができたなら、絶対にこの十二字に背きません。
【司会者】:這十二個字其實也就是一個規律。
この十二字はもまた一つの規律です。
【浄空法師】:對,性徳,是自性的性徳。
そうです。性徳です。自性の性徳です。
【司会者】:在這個節目當中,我們剛才一直在談到,就是西方的這些問題。下面我們就來談中國傳統古老的教育,就是「仁義禮智信」。我也經常聽您老講過這樣的問題,就是說天地之間就是一個和諧,就是一個愛字。有人就會提這個問題,為什麼天地之間它的最高原則就是愛,而不是恨,而不是競爭,這是為什麼?
この番組では私たちは先ほどからずっと西洋の問題についてお話ししました。次に中国伝統の教育、つまり「仁義礼智信」【注】についてお話ししたいと思います。私も以前老法師がお話しされた問題を聴いたことがあります。それは天地の間は正に調和しており、愛の一字であると。ある人はこのように質問します。なぜ天地の間の最高の原則が愛なのでしょうか?恨みでも競争でもありません。これはなぜなのでしょうか?
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【注】 仁義礼智信・・・・仁(慈愛)、義(道義)、礼(礼節)、智(智慧)、信(信頼)。五常の徳。
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【浄空法師】:宇宙本來是和諧的,這個道理要講起來講得很深,這在哲學裡面講到本體。現在哲學裡面講的本體到現在沒有結論,每個哲學家所講的都不一樣,但是都不能叫人心服口服。真正在東方,這是佛經傳到中國來之後,中國人對佛經真的服了。我們中國也講,佛經沒來的時候,伏羲畫八卦,從八卦裡面講,最初,這是講太極,「太極生兩儀(陰陽),陰陽生四象,四象生八卦,八卦生萬物」,這是講宇宙起源。以後在太極上面再加個無極,實際上這是沒有必要的。在佛法裡面講,佛法講什麼?本體是自性,自性到底是什麼樣子?說不出來,所以佛經用四個字,「不可思議」。你沒有辦法想像,你說不出來,為什麼?它不是精神,它也不是物質,但是它存在,它永恆存在。
宇宙はもともと調和されています。この道理をお話しすればとても深く、哲学の中では本体を説いています。現在哲学で説かれている本体は、現在に至るまで結論が出ていません。どの哲学者も言うことが違います。しかし人を心底納得させるものではありません。本当に東洋に、仏典が中国に伝わってから、中国人は仏典に心から服しました。中国でも説かれています。仏典が伝わっていない頃、伏羲(ふっき)は八卦を描きました。八卦で言えば最初に太極を説きます。「太極は両儀(陰陽)を生じ、陰陽は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は万物を生ず」 これは宇宙の起源を説いています。その後太極に更に無極が加わりましたが、実際にはこれは必要ありません。仏法では何と言うでしょう?本体は自性です。自性とはいったい何でしょうか?言うことはできません。ですから仏典では四字を使って、「不可思議」と言います。あなたは想像しようもありませんし、言うこともできません。なぜでしょう?それは精神ではなく、また物質でもありません。しかしそれは存在します。永久に存在します。
【司会者】:超出了我們的認知範圍。
私たちが認知できる範囲を超えています。
【浄空法師】:我們思想達不到,佛法講我們的思想,就是起心動念、分別、執著,決定沒有辦法超過阿頼耶,第八識,在第八識的範圍之內,你沒有辦法超過,超過這上面就是本性。所以你沒有辦法超過,你只有不用這個東西,不用心意識。心是起心動念,意是執著,識是分別,你只要能夠不起心、不動念、不分別、不執著,那你就見到了,你就完全明白了。在《華嚴經》佛講的這個名詞叫「自性清淨圓明體」,體是本體,這個東西是本體。它什麼樣子?確實它是自性、是本性,沒有生滅的。圓,圓是圓滿,沒有一點欠缺,明是光明,明是講智慧。那個圓裡面是講什麼?就是我們講的道徳,倫理道徳,這在圓裡頭,還有我們講的福報,佛法不講福報,講相好,統統在這個圓裡頭,圓滿,它具足。但是它沒有這個緣它不現,不現,你不能說它沒有。所以我們六根接觸不到,我們看也看不見,聽也聽不到,摸也摸不到,我們用心想也想不到,就是眼耳鼻舌身意你都接觸不到,所以用個空字做代表。這個空不是無,這個空不好懂,這個空有,它能夠出生宇宙。所以宇宙從哪裡來的?是從這變現出來的。怎麼變現出來的?佛法講,起心動念。起心動念是非常非常微細,我們沒有方法覺察。
私たちの思考が及びません。仏法では私たちの思考、つかり起心動念、分別、執着は、絶対に阿頼耶識を超えられないと説いています。第八識の範囲内を超えられません。その上を超えたものが本性です。ですから超えられません。これらのものを使わない、心意識を使わないことです。「心」は起心動念、「意」は執着、「識」は分別です。あなたが心を起こさず、念を動かさず、分別せず、執着しなければ、見ることができます。完全に理解できます。『華厳経』において仏陀はこれを「自性清浄円明体」と言っています。「体」は本体です。これが本体です。それはどのようなものでしょう?確かにそれは自性、本性です。生まれも滅びもしません。「円」は円満です。少しの欠点もありません。「明」は光明、智慧を表します。その「円」の中は何でしょう?それが私たちの言う倫理道徳です。これは「円」の中にあります。そして私たちの言う福報です。仏法では福報とは言わず、相好と言います。すべてこの「円」の中にあり、円満で、すべてが具わっています。しかしそれは縁がなければ現れません。現れなくても、それが無いとは言えません。私たちの六根では触れることができません。見ても見えず、聴いても聴こえず、触ろうとしても触れず、心で考えても考えられません。つまり眼耳鼻舌身意、どれも触れることはできません。だから「空」の字を使って表現しているのです。この「空」は「無」ではありません。この「空」は理解し難いものです。この空有は宇宙を生み出すことができます。宇宙はどこから来たのでしょうか?これが変化して現れたのです。どのように変化して現れたのでしょうか?仏法で言う、起心動念(=思考の働き)です。起心動念は非常に微細なもので、私たちは感じる術もありません。
起心動念的速度,彌勒菩薩跟釋迦牟尼佛的對話,就在《法苑珠林》第八卷裡頭有這麼一段話,佛問彌勒菩薩,我們凡夫動個念頭,這念頭很粗,細分,這念頭裡頭還有念頭,到底有多少念?彌勒菩薩說,這一彈指,彈指時間很短,這一彈指有三十二億百千念,單位是百千,百千是十萬,三十二億乘十萬,就是三百二十兆,這一彈指有三百二十兆的念頭,我們彈指,一秒鐘大概彈四次,乘四,乘四那就是一千二百八十兆分之一秒。這是什麼?這是講宇宙的真相。所以物質跟精神跟因果同時起源,你迷了之後,那就念念都迷。所以我們現在六道眾生看的現象是什麼?是相似相續相,不是真的。所以佛講萬法皆空。《大般若》是佛一生講經精華的部分,講二十二年,總結就是「一切法,無所有,畢竟空,不可得」,這是講到最後的結論,就是事實真相。所以你要是悟入了,你自自然然跟自性合而為一,合而為一的時候,無量智慧、無量徳能、無量才藝、無量相好,那就是我們講極樂世界、講華藏世界,那是美不勝收,它是圓滿的,就這麼個道理。我們今天還是住在這個世界裡,迷了,迷了之後它就變質了,所以變成六道,變成輪迴,變成三途,扭曲了。
起心動念の速度は、弥勒菩薩と釈迦牟尼仏の対話、『法苑珠林』の第八巻の中にこのような話があります。仏陀は弥勒菩薩に質問します。私たち凡夫は意念を動かします。この念はとても粗く、細かく分かれ、意念の中に更に意念があります。いったい幾つの意念があるのでしょうか?無禄菩薩は言います。指を一度弾く僅かな時間に、三十二億百千もの意念があります。単位は百千です。百千は十万です。三十二億掛ける十万は、三百二十兆です。指を一度弾く間に、三百二十兆の意念があり、一秒間に四回弾くなら掛ける四です。四を掛ければ一千二百八十兆分の一秒です。これは何でしょう?これは宇宙の真相を説いています。ですから物質と精神と因果は同じ起源です。あなたが迷えば、その後はどの意念も迷っています。ですから現在六道の衆生が見ている現象は何でしょう?「相似相続相」(まるで継続して いるかのような相)です。これは本当ではありません。ですから仏は万法皆空と説かれています。『大般若経』は仏陀一生の講経の精華の部分です。二十二年説かれたその結論は、「一切法,無所有,畢竟空,不可得」(一切の有形無形の存在に実体はなく、詰まる所空であり、捉えることはできない)です。これは最後の結論を説いており、つまり事実の真相です。あなたはもし悟入すれば、自然に自性と一つになり、一つに合わさった時、無量の智慧、無量の徳能、無量の才能、無量の好相が現れます。それを私たちは極楽世界と言い、華蔵世界と言います。それは何もかもが素晴らしく円満です。このような道理です。私たちは今日まだこの世界に住み、迷っています。迷ってから変質したのです。六道に変わり、輪廻に変わり、三途に変わり、歪められたのです。
【司会者】:您說的這個境界,人人都能證得,按照這個方法就可以。
老法師の仰るこの境地は、誰でも証得することができます。この方法に照らせば良いのですね。
【浄空法師】:所以佛是科學,他叫你求證,不是叫你相信。
ですから仏は科学です。仏陀はあなたに証果を求めさせるのであって、あなたに信じさせるのではありません。
【司会者】:一般在社會裡,人們總是要對那些很辛苦的崗位的那些職工們表示特別的感謝,譬如說像掃馬路的、掏糞工的,做掏糞的,這些清潔工也好,都要特別的感謝。現在有的學生就提出來這樣的問題,我不知道您老人家怎麼回答他。有年輕人就說我為什麼要感謝他?他掙他的錢,我交給他錢,我是付過錢的,他幹的工作那麼辛苦,我們交過錢了,我還為什麼要感謝他?所以這個讓我們由此想到一個問題,整個現在大家都是這樣的一個習慣,就是不知道感恩,但是又很難說服他們,他們認為我確實付過錢了,我們之間沒有別的事情了。
社会では一般的に、人々は大変な仕事をされている人々によく感謝を表します。例えば道路を掃除したり、汲み取りなどの清掃員など、特に感謝しています。ある学生がこのような問題を提起しています。老法師はどのように回答されるのか私には分かりません。ある若者は、なぜ感謝しなければならないのかと言います。その人はその人のお金を稼ぎ、自分はその人にお金を払っています。その仕事が大変であっても、自分はお金を払っています。どうして感謝しなければならないのでしょうか?このことはある問題に気づかせてくれます。全体的に皆がこのような習慣を持っています。感謝することを知りません。しかし彼らを納得させることもまた難しいのです。彼らは自分はお金を払っているので、自分との間に他の事はないと思っています。
【浄空法師】:付過錢是一樁事情,這是一種交易,感恩的心是天性。能夠回歸到天性的人,在佛法裡講諸佛菩薩,他不但對所有眾生感恩,他對樹木花草感恩,對山河大地感恩,對於整個宇宙感恩,不一樣。那種才真正發現自己確實是愛心遍法界,善意滿人間。這種樂趣是這些迷失自性的人他永遠不能享受。
お金を払うのは一つの事です。これは一種の取引であり、感謝の心は天性です。天性に帰れる人は、仏法では諸仏菩薩と言われます。そのような人は衆生に感謝するだけでなく、樹木や草木にも、山河や大地にも感謝し、全宇宙に対して感謝します。同じではありません。そのようであって始めて、愛が法界に遍く行き渡り、善意が人間界に満ち溢れていることに本当に気がつきます。そのような喜びは、自性を見失っている人には永遠に享受できません。
【司会者】:如果他要是問自己的父母,這些父母真的是回答不上來,他們也沒有受過佛法的教育。
もしその人が両親に質問するなら、その両親も本当に答えられません。彼らも仏法の教育を受けたことはありません。
【浄空法師】:不錯,父母是答不出來,就正如同《無量壽經》上所說的「先人不善,不識道徳,無有語者」,最後叫我們不要怪他們,為什麼?丟掉好多代了。我總覺得世尊在經上說這幾句話是對我們現代人說的,三千年前他已經看到這個社會。
その通りです。両親も答えられません。ちょうど『無量寿経』で説かれている「先人不善,不識道徳,無有語者」(先人不善にして、道徳を識らず、語る者あること無し)【注】と同じです。最後には彼らを責めてはならないと説かれています。なぜでしょう?何世代も失われているからです。私はいつも世尊が経に説かれたこれらの言葉は、現代人に対して言ったものだと思っています。三千年前に世尊はこの社会が見えていたのです。
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【注】 「先人不善(無知),不識道徳,無有語者,殊無怪也」・・・・先人不善にして(知ること無く)、道徳を識らず、語る者あること無くば、殊に怪しむこと無し。
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【司会者】:不要責怪他們。
彼らを責めることはできません。
【浄空法師】:對,為什麼?他已經丟了好幾代了,你怎麼能責怪他?所以在今天傳道弘法是比任何時代都要艱難、辛苦。我們學佛法的時候,每天對老師都是跪著禮拜,接受老師教誨;老師告訴我,將來你們弘法利生,是你們跪在信徒面前把法傳給他,他還未必會接受。所以我們今天受這些辛苦,老師已經預先知道了,已經在幾十年前告訴過我,所以我們受得很甘心,很情願。
そうです。なぜでしょう?すでに何世代も失われているのです。どうして責めることができるでしょうか?ですから今日仏教を伝えることは、如何なる時代と比べても困難で、骨が折れます。私たちが仏法を学んだ頃は、毎日老師に跪いて礼拝し、老師の教誨を受けていました。老師は私に言いました。「将来君たちが衆生に法を伝える時、君たちが信徒の前で跪いて法を伝え、しかも必ずしも受け入れられるとは限らない」 ですから私たちが味わっている苦労は、老師は先に知っていたのです。すでに数十年前に私に話していました。ですから甘んじて受け入れています。
【司会者】:老師早就說過。
老師はとうの昔に話されたのですね。
【浄空法師】:早就說過,而且現在我們在經論裡面獲得了證實。我們為什麼這麼做?我們知道宇宙是一體,我們知道自他不二,但是他有分別、有執著,我們沒有,我們要慢慢感化他,慢慢去幫助他回頭。這個迷失方向時間很長,迷得很深,不是很容易就回來的,這我們一定要知道,所以要有耐心。
とうの昔に話されました。しかも私たちは経論の中に根拠を得ています。私たちは、なぜこのようにするのでしょう?私たちは宇宙が一体であり、自他は不二であることを知っているからです。しかし人には分別があり、執着があります。私たちにはありません。私たちは少しずつ人を感化します。少しずつ人が善に立ち返るのを助けます。この迷いの時間は長く、迷いはとても深く、簡単には目覚めません。これは私たちが必ず知っておくべきことです。ですから忍耐が要ることです。
>>天地に生きる人類が直面する最大の危機10/10につづく・・・。
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