浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

なぜ仏像の前に水をお供えするのか

2020-01-05 | 【疑問に答える】

為什麼佛像前面要供一杯水? / なぜ仏像の前に水をお供えするのか
文摘恭錄—二零一二淨土大經科註(第五0九集)2013/11/17 檔名:02-040-0509

所以我們用什麼心?用清淨心、平等心。清淨心、平等心,用一杯水做代表。你看我們供佛,佛像前面一定供一杯水,那水代表什麼?清淨平等,心,真心。佛是真心變現出來的,極樂世界,真心變現出來的,十方世界都是真心變現的。真心裡面加上個妄心就變成十法界,變成六道,如果沒有妄心,那就是一真法界。
所以供那一杯水什麼意思?不是給佛看的,不是佛要喝水,不是,提醒我自己,我自己面對著諸佛菩薩,要用清淨平等心,這個意思。
私たちはどのような心を用いるのでしょうか?清浄(しょうじょう)心、平等心です。清浄心、平等心は一杯の水に代表されます。私たちは仏にお供えするのに、仏像の前に必ず一杯の水をお供えします。その水は何を表すのでしょうか?清浄、平等の心です。真心です。仏は真心が変化して現れたものです。十方世界はすべて真心が変化して現れたものです。真心の中に妄心が加わると十法界に変わり、六道に変わります。もし妄心がなければ、それは正に一真法界です。
その一杯の水をお供えするのはどのような意味なのでしょうか?仏に見せるためではありません。仏菩薩と向き合うのに、清浄、平等の心を用いなければならないことを自分自身に注意喚起するためです。その意味です。

我們用清淨平等心,跟佛就直接溝通,感應,我們跟佛不能感應是心不清淨、心不平等,就這麼個道理。誰用清淨心、誰用平等心,感應它就現前。理跟事都要明瞭,才知道佛法裡頭沒有迷信。佛法講的諸法實相,一切法的真相,有事有理,理跟事都要搞清楚、都要搞明白。
 私たちが清浄、平等の心を用いれば、仏と直接通じ合えます。感応します。私たちが仏と感応できないのは心が清浄ではなく、心が平等ではないからです。このような道理です。誰でも清浄心を用い、平等心を用いれば、感応は目の前に現れます。「理」と「事」を明らかにしてこそ、仏法に迷信はないことが理解できます。仏法は諸法実相、一切法の真相を講じます。事があり理があって、理と事をすべてはっきりと、明瞭にしなければなりません。

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