自分も人生を楽しんではいけないのだろうか?そんな観念が起こる。
このままだと将来は生活保護である。そんな人間が人生を楽しもうなどと身分をわきまえているのか?と頭の中で自分が自分を攻め続ける。
きっと生活保護といった人間は、世の中に申し訳なさそうに生きないといけないと、そんな価値観が自分にあるからだろう。人工透析といった多額の医療補助を受けている人間も同じようにだ。
きっとこの価値観は、ずっと病気の自分を攻め続けていた自分があるからだろう。よって何か他の障がい者と自分は違う。
以前に今話題の障がい者雇用代行ビジネスの貸農園の説明会へ行ったことがある。その時にいた他の障がい者を見た時になんだか自分の違うものを感じた。
堂々していてある意味わがままそうな、なんだか障がい者を許してもらえているどころか甘やかされているように感じてしまった。そして怒りのような感情が芽生えた・・・彼らは許されていて自分は許さていないみたいな。
きっとそんな彼らは障がい者でできないことをあえてやらされるような事が少ない人生を送っていたのだろう。きっと本当の意味の自尊心を高めるようにと人生を送ってきたのだろう。
自尊心とは自分を正しく評価して認められることである。障がい者に鞭を打って物事をやらせる環境では正しい自尊心は育たない。
何か歪んでしまった価値観から自分も人生を楽しんでよいと思うようにさせない。いいんだよそれでと、そんな許してくれるような愛情や自分への価値観を今の自分は求めているのだろうか。
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