今日になって気づいたことがある、自分はセーブした生き方をしていたのではない、ただの事なかれ主義だったと。
とにかく波風を立てるのが嫌だった。自分に負荷をかかるのが嫌だった。よって他人にも自分にも事なかれ主義でいた。そして10年が経った。
平穏な日々だったが何も得るものはなかった。10年間の思い出は?何か得たものは?虚無である。
そして思い出し怒りだけはあった。何か相手の苛立ちを感じるフラッシュバックがある。でもその時は自分は相手にストレスを表していない。むしろいい人を演じていただろう。
しかしいい人を演じていたのは相手のためでなく自分のためである。その時だけは面倒になるのが嫌だからである。まるで問題を先延ばしするような。なのでなんだかストレスは継続していく。
自分は相手に何を求めていてどうして欲しい、そんな本質から自分自身が逃げてしまっていたということだろう。相手にこうして欲しいといったことを素直にストレートの言えないのだ。
つまり相手の行動を我慢しているではなく、自分自身を我慢しているのか。
自分自身にも事なかれ主義だった。当事者意識も薄く向上心も熱くはない。ただ病気が悪化するのだけは嫌と自身を取り巻くものを蓋をしている様子だ。
事なかれ主義の挙句の果てが自分はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。どうなりたいのか?何にはなりたくないのか、といったものは無くてわからない。
ストレスは軽減すると事なかれ主義を徹した10年間は本当になんだったのだろうか?病気は悪化しなかったが虚無感で一杯だ。
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