アダム・カヘン「手ごわい問題は対話で解決する」の続きです。
複雑な問題で、何からどう解決すべきかわからないとき、例えば虐殺などが行われている国際紛争の現場でです。
そうした時に、きわめて個人的なストーリーが語られることにより場が変わるということがあるようです。虐殺現場で行われていた悲惨さをただ淡淡と話す中で、その問題がどれほど重要であるかということが参加者に共有されるのだと。カール・ロジャース氏が、「最も個人的なことこそ、最も普遍的なこと」と語っているように、個人的なストーリーが、そのグループが共有すべき源に導くという現象があるようです。
p157
***ここから引用
自分の仕事のより大きな目的は何であったかを参加者が思い出し、さらに、なぜそれが個人、また全体にとって重要なのかを感じたり、思い出したりすることができたことです。そして、それは、彼らが共有するコミットメントの源となりました。困難な問題を解決するためには、共有化された新しい考え以上のもの、共有化されたコミットメントが必要なのです。また、全体性に対する感性やそれが私たちに何を求めているかを感じる力を磨く必要もあります。
***ここまで引用
参加者がビジョン共有し、新しい出発点にたつためには、それぞれの個人がより大きな全体性の中にある目的を知るということが大事であるとアダム・カヘンは述べています。その場を形成するのに、何かのたとえ話ではなく、実際に個人でおきている現実のストーリーが役に立つこともまた述べています。そして参加者はその全体性、その場に何が起きているのかについて敏感でなくてはならない。きっと、その場面では、ファシリテーターがうまく、全体性をつかまえて、自然に参加者から何かが湧きあがるように導くあるいは待つ必要があるのかもしれません。
個人のストーリーがうまく伝わるには、各人が事実を安心して表現できる場というのもまた大切になってきますね。また、沈黙は、人々を結束させる強い力があるとカヘンは述べています。われわれ教師は、意見がでない静まった場では、ついつい指したりして意見発表を促したりしますが、時に沈黙をわざと演出するということも必要なのでしょう。
複雑な問題で、何からどう解決すべきかわからないとき、例えば虐殺などが行われている国際紛争の現場でです。
そうした時に、きわめて個人的なストーリーが語られることにより場が変わるということがあるようです。虐殺現場で行われていた悲惨さをただ淡淡と話す中で、その問題がどれほど重要であるかということが参加者に共有されるのだと。カール・ロジャース氏が、「最も個人的なことこそ、最も普遍的なこと」と語っているように、個人的なストーリーが、そのグループが共有すべき源に導くという現象があるようです。
p157
***ここから引用
自分の仕事のより大きな目的は何であったかを参加者が思い出し、さらに、なぜそれが個人、また全体にとって重要なのかを感じたり、思い出したりすることができたことです。そして、それは、彼らが共有するコミットメントの源となりました。困難な問題を解決するためには、共有化された新しい考え以上のもの、共有化されたコミットメントが必要なのです。また、全体性に対する感性やそれが私たちに何を求めているかを感じる力を磨く必要もあります。
***ここまで引用
参加者がビジョン共有し、新しい出発点にたつためには、それぞれの個人がより大きな全体性の中にある目的を知るということが大事であるとアダム・カヘンは述べています。その場を形成するのに、何かのたとえ話ではなく、実際に個人でおきている現実のストーリーが役に立つこともまた述べています。そして参加者はその全体性、その場に何が起きているのかについて敏感でなくてはならない。きっと、その場面では、ファシリテーターがうまく、全体性をつかまえて、自然に参加者から何かが湧きあがるように導くあるいは待つ必要があるのかもしれません。
個人のストーリーがうまく伝わるには、各人が事実を安心して表現できる場というのもまた大切になってきますね。また、沈黙は、人々を結束させる強い力があるとカヘンは述べています。われわれ教師は、意見がでない静まった場では、ついつい指したりして意見発表を促したりしますが、時に沈黙をわざと演出するということも必要なのでしょう。