耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

九州の玄関口

2015年08月08日 12時35分29秒 | 思い出
 昔、門司港に住んでいた事がある。
九州の最北端で、丘の上から対岸の下関の火の山が望める
所だった。

 


 九州の玄関口と言ったら、何処を思い浮かべるだろうか。

 関東や関西から空路だと、福岡空港だろう。
昔は板付飛行場と言われ、進駐軍の管理下、民間機が借りて
使っていた。だから、ジェット戦闘機のスクランブル発進が
最優先で、朝鮮戦争では、大活躍した。
 今、国際線のハブ空港は韓国の仁川に成った。福岡空港
から韓国を経由して海外に飛び立つ便が多い。

 新幹線なら小倉駅だ、と思っていたら山陽新幹線は、博多
が終点だった。
 博多駅は、福岡市にある。地元では博多と福岡の地名を
厳密に使い分けているのだ。
 意外と知られていないのは、名古屋駅と博多駅は、南北
方向に線路が走っていると言う事。東西方向では無い。

 山陽本線は、下関では無く正式には幡生駅まで。鹿児島
本線の起点は、門司港駅だが、山陽本線の終点は門司駅
である。関門トンネルの開通に伴い、門司港をバイパス
して門司駅まで延長された。

 関門トンネルは、3つある。
JR山陽本線が通る鉄道トンネルと、国道2号線の国道トン
ネル、それに新幹線トンネルだ。



 鉄道トンネルは世界初の海底トンネルで、太平洋戦争
前に貫通し、開戦直後に開通している。橋は空爆の標的
になるからトンネルになったとか。国道トンネルは2階建
になっていて、上が車道で下が人道、つまり海峡を歩いて、
しかも無料で渡る事が出来る。1942年に貫通したが、
戦争の影響で開通は1958年になった。



 トンネルが出来る前は、下関・門司港間に鉄道連絡船
が就航していて、貨物車や客車をはしけで運んでいた。
艀の中にレールが敷かれ、桟橋のレールとピタリ合わ
せて車輌を渡すのは見ものだった。

 自動車なら、昔は関門国道トンネルだったが、今は
関門橋だろう。早戸の瀬戸の急流を眼下に海峡を渡ると、
九州に渡ったと、実感できる。

 最近はフェリー便も多い。先程北海道で火事になった
サンフラワー号は神戸から大分に着く。
韓国便は博多港に発着する。


 時代と共に交通手段が変遷し、それに伴って玄関口
も移り変わる。





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