耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

BIG BAND BEAT

2012年06月19日 20時34分08秒 | 都会の風景
 Disney Seaの、Bloadway Stage を観た。
 グレンミラーのスウィングジャズを中心とした、ミュージックショーだ。

 男女シンガーのパワフルな歌や、セクシーなダンス、軽快なタップ、コミカルな
ミュージックコント、夫々素晴らしかったが、私は楽器演奏の方に興味を感じた。

 ピアノ×1、ベース×1、ドラム×1~2、トランペット×3、トロンボーン×2、
サックス×3、テナーサックス×1の構成で、クラリネットが居ないのが少し不満だが、
メリハリのある演奏である。


 私が初めて自分で買ったレコードがグレンミラーだった。ディキシーランドの素朴さ
や、禁酒法時代のシカゴの裏町のもぐり酒場のライブの暗さ、プレスリーの下品さと
違った、洗練されたスマートさを感じたものだった。


 思えば、我々の年代は、ポピュラー音楽の歴史を生きていたような気がする。

 ルイアームストロングが、トランペットの名手で「聖者の行進」で一名を馳せたが、
彼があのだみ声でスキャットを歌っているのを聞いて、ジャズは何でもありなんだ、
と変に感心したことを覚えている。

 クラシックにかぶれていた私は、ソロのアドリブ演奏でつなぐディープなジャズは
演者の独りよがりで、プレスリーに始まるロックンロールは若者の馬鹿騒ぎに過ぎ
ないと思っていたし、ビートルズの人気が話題になり出した頃、ジョンが作詞して
ポールが曲を書くという話を聞いて、どうせ人気取りのためにゴーストライターを
仕立てている、なんて邪推したものである。

 それに対してグレンミラーのスウィングは輝いて見えた。戦後の暗い世相の中で、
アメリカ文化の象徴のように感じられた。ジャズ、というより既にオーケストラだった。

 その後、ブラスが中心だったジャズに、エレキギターやキーボードが使われるように
なって大衆化し、ロックのリズムに乗って踊るのが流行り、ツィストやゴーゴーで若者
が浮かれた。

 R&Bの流れを汲むローリングストーンズがギターの市民権を確立し、アルバート
キングが代表する3大キングなどの名手が、チョーキング奏法でむせび泣きを聞かせて
くれた。

 その頃日本では、フォークソングから派生した(と私は思っているが)グループサウンド
が一世を風靡する。今思えば良い時代だった。



 2年前、出張でアメリカに行った時、プレスリー生誕のメンフィスで、B.B.Kingという
ライブハウスに行った。

          <メンフィスの思い出>

 ディキシーのふるさとニューオリンズでは、夜の街頭で演奏しているジャズバンドも
見た。本場の生活に密着したMusicは良かった。



 ここ、浦安舞浜のBIG BAND BEAT では、フィナーレ近くで、舞台中央がせり上がり、
ドラムスがもう1セット出てきた。叩いているのはミッキーだ。

 BBBのドラマーとミッキーの動きが寸分違わず同じだったので、二つのことで驚いた。
ミッキーの着ぐるみを着ている背の低い人が、ダンスだけでなくドラムもこなす本物の
ミュージシャンだということと、そして、ドラム奏者の手足の動きがあれほどプログラム
されているとは思わなかったこと。


 我が家の裏庭の遊園地で、こんなことが日夜行われていたなんて、又一つ浦安が
好きになった!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿