中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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セピア色の画集(8):春の渓流

2009年06月07日 02時51分16秒 | 鎌倉あれこれ


                 セピア色の画集(8):春の渓流
             2009年6月7日(日)

 この絵を描いたのはいつ頃のことだろうか?
 この絵を描いたとき,私は,多分,大学生だったと思う.
 丁度春休みで,私は小諸に帰郷していた.天気の良い日,私は絵の道具一式を持って,母と一緒に小諸の郊外へ出掛けた.そして,小川の河岸に陣取って,素直な気持ちで,小川と向き合った.
 多分,絵を描いていた時間は,せいぜい2~3時間だったと思う.
 雪解けの水は冷たかった.
 空き缶に冷たい水を汲んで,絵の具を溶かす.そして,少しずつ塗り重ねる.こんな繰り返しが,とても楽しかった.絵の上手下手は全く関係ない.
 当時,若い私に絵の指導してくれたのは,隣村に住んでいた壮年の男性であった.勿論,絵の本職ではなく,素人の方である.
 信州の佐久地方では,昔から,素人ながら絵を楽しむ人達がとても多かった.
 その方に,誘われ,この絵を,東京上野で開催された第四十七回日本水彩展に応募した.下手くそな絵だったが,何とかビリカスで入選した.
 私は喜び勇んで,展示会場を訪れた.
 所が,私の絵は,会場の隅っこに,恥ずかしげに飾られていた.この絵の大きさは一応全紙である.でも,大きくて,素晴らしい絵の中では,ハズカシイことこの上ない.
 同じ展覧会に,母は「シャクナゲ」を題材にした絵を出展した.母の絵は,私の絵に比較して,素晴らしかった.
 でも,私は出展という貴重な体験をしたことが,とても嬉しかった.
 母は,「折角出展したのだから」と,記念に絵を写真に取ってくれた.昭和30年当時のことだから,カラー写真はまだない.手許にあるのは白黒の写真である.それでも,50年ぶりに,がらくたの中から,この写真を見付けたときは,懐かしさで胸がいっぱいになった.
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 一緒に絵を楽しんだ母は,とうの昔にあの世に旅立った.
 今,私は,馬齢を重ねて,母の享年をとっくに越えてしまった.この絵も,押入の奥に仕舞いっぱなしになっている.写真を見付けたのを機会に,この絵を,改めて引っ張り出したいと思っている.
 一枚の写真から,母と一緒に絵を楽しんだ頃のことが,つい昨日のことのように,頭の中に甘酸っぱく甦ってくる.

     **********************

 あれから幾星霜.サラリーマン時代の私は,日々の仕事で疲れ果てていた.とても,山や絵を楽しむ余裕がなかった.第一線をしりぞくと,山歩きや絵を楽しむ余裕ができてきた.
 
   

 この絵は,数年前に,ロシアのカムチャッカ半島にあるアパチャ山に登ったときに書いたスケッチである.
 無事にアパチャ山に登った私達のために,現地スタッフがファイヤー祭を開いてくれた.夏だというのに底冷えがする夜である.辺りには全く電灯もなく真っ暗.降り注ぐように見える星空が素晴らしい.
 赤々と燃える炎を囲んで,雑談を楽しむ.現地スタッフがロシア民謡を披露してくれる.
 顔は炎の熱でジリジリと暑いが,背中は寒い.
 くらやみの中で,焚き火を囲む人達が,炎で照らされてボンヤリと見えている.
 私は黒のマジックインクを使って,大急ぎでこの場の印象をスケッチブックに写し取る.
 苦労して登頂を終えた充実感と満足感.
 この絵を見ていると,あの時の情景を懐かしく思い出す.

     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 今日(6月7日)から,私はモロッコへ2週間弱の間,旅に出る.北アフリカ大陸の最高峰,ツブカル山に登頂するためである.また,今年もなけなしの資金をつぎ込んで海外へ出掛けることになってしまった.
 いくら私が頑張っても,健康で旅を続けられるのは,後,せいぜい2~3年だろう.
 今回の旅でも,できるだけ沢山のスケッチをしたいと思っている.そして,印象に残る絵が描けたら,ここで披露することにしたい.
                        (つづく)
「セピア色の画集」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/c/774fda2da97d597eda3fa2ae4e1c06d2
「セピア色の画集」の次回の記事
(なし)
 



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