中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九(第8回):第2日目(6);布施から野趣溢れる山道を辿る

2013年07月19日 09時07分18秒 | 中山道六十九宿

                  <野趣溢れる瓜生峠手前の中山道>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九(第8回):第2日目(6);布施から野趣溢れる山道を辿る
              (五十三次洛遊会)
         2010年6月12日(土)~14日(月)

※本稿の初出は2010年7月9日である.
 初稿の地図を訂正番に差し替えて,本文の加除修正を行った.

第2日目:6月13日(土)
 (つづき)

<ルート地図>

■八幡宿・望月宿

※再掲

■望月宿詳細図


<素晴らしい布施の集落>

■満腹になって上機嫌

 やっと有り付いた「くまさん」での昼食を終えて,14時06分,「くまさん」を出発する.
 威勢の良い女主人が,お店の外まで出てきて,私たちを見送る.
 「・・いいですか.中山道は,あそこの右側の道を行くんですよ・・」
と,まるで母親がドラ息子を諭すような口調で,私たちに注意する.
 私たちは,絶えず地図と首っ引きで歩いているので,指示されなくても,先刻から自分の行き先ぐらい分かっているが,女主人の諭すような口調に,ある種の懐かしさを感じる.
 目の前の広い道から,やや道幅が狭い道が右手に分岐しているのが見えている.ゆるい登り坂である.
 私たちは,女主人にお礼を言ってから,14時06分に歩き出す.
 残念ながら,先ほど女主人の車でピックアップしてもらった場所まで,戻って歩きなおす気力もないので,車で移動した1キロメートル余りの区間は歩かないことになる.これも致し方ない.

<フェンスの向こうにこれから歩く道が見える>

■立派なお屋敷が続く
 14時13分,三叉路を右へ入る.緩い登り坂が続く.すぐに道の両側に白壁の家並み続く集落に入る.地図で確かめると,望月町百沢という所らしい.
 とにかく閑静な所である.真壁の立派なお屋敷が続く.道には全く人影はなく,静まりかえっている.道路の両側には,側溝が作られていて,水量豊富で綺麗な水が,コロコロと音を立てながら流れている.

<立派な家並みが続く>

■祝言道祖神
 14時17分,進行方向右手に安置されている祝言(しゅうげん)道祖神に到着する.
 道祖神の傍らに設置されている案内板の記事によると,「祝言道祖神は長野県安曇地方で発生した道祖神で,宮廷貴族の装いをした男女が酒を酌み交わす華麗な祝言像である.
 安曇系は主尊が日本神話も神々で,着衣も神々の装束で造像されるのが通例であるが,この道祖神は宮廷貴族風の精緻な造像である.発祥地安曇地方にも類例のない貴重な遺産である.」ということである.
 資料2によると,ここにある大小3体の道祖神は「縁結び夫婦和合の神」のようである.
 また,資料4(p.67)によると,この「王朝貴族様の百沢の双体道祖神.伊那の遠石工による秀作が周辺に多い」という.
 
<微笑ましい祝言道祖神>

■若宮大権現と二十三夜塔
 14時19分,若宮大権現と二十三夜塔に到着する.立派な石塔が2基並んで安置されている.これらの石塔の由来は分からない.
 石塔の先に,先ほど分岐した道路が見えている.そして,直ぐ先で,私たちが歩いている道と合流する.

<二十三夜塔>

<迷い道の瓜生峠;いよいよ望月宿>

■旧中山道元禄の道標
 百沢の聚落を抜けると現中山道の道路を横断する.現中山道は上り勾配になっている.私たちは右手の土手上に続く現中山道を眺めながら,長閑な田園が広がる田舎道を進む.
 14時25分,旧中山道元禄の道標を通過する.草むらの陰に元禄の道標が見えている.大多数の仲間は,この道標には興味を示さずに,どんどん先へ行ってしまう.
 道標近くの案内板には,「元禄十一年三月吉日,右中仙道 左□施谷」の記がある 旧中山道は,ここから・・・・・月宿に通□□・・望月町教育委員会」と書いてある(「□」は消えて読めない字).

<旧中山道道標>

■ヤブの中の中山道
 元禄の道標で道路は左右に分岐する.私たちは案内杭に従って,右側の細い道に入る.何となく心細い道である.路面は草に覆われている.こんなところを通っても良いのだろうかと迷うほど鄙びている.
 路面に天然芝が生えている登り坂を進む.
 やがて,「中山道」と書いた道標がある舗装道路に出る.旧中山道は,この道路を越えてヤブの中につながっているようである.
 舗装道路沿いに,ポツンと1軒屋が建っている.何かの事務所のようである.丁度,建屋から男性が出てくる.仲間の一人が,
 「・・中山道は,この道で良いんですか・・?」
とこの男性に伺う.
 「・・このヤブの中が中山道らしいですが,今は通れないようです・・」
 私たちも,予め用意した地図を確かめているが,どうもハッキリしない.
 暫くの間,地図を眺めながら迷いに迷う・・・が,現地に設置されている案内標識を信用して,
 「・・どうも違うなあ・・」
と思いながらも,標識通りに進む.
 標識通りに進むと,旧中山道ではなく,観光中山道になってしまうのではないがという懸念がある.

<疑心暗鬼で旧中山道に入る>


<待てよ・・この道で良いのかな>

■瓜生坂一里塚
 次第に上りの坂道になる.地図を確かめながら進む.やがて,道は大きく左にカーブする.
 進行方向右下に,先ほど分岐した現中山道の自動車道のトンネルが見える.地図で確かめると望月トンネルのようである.このトンネルを抜けると,間もなく望月町に到着するようである.
 相変わらず地図を確かめながら先へ進む.カーブの頂点が谷の奥で曲がるところに小さな枝道が合流している.私たちがカーブを歩いていると,この枝道から年配の男女数名が下りてくる.山菜採りでもしていたようである.
 ひょっとして,この枝道が旧中山道ではないかと聞いてみるが,違うようである.
 暫く進むと,道が,今度は,大きく右にカーブする.勾配がだんだんと緩やかになって,峠に達する.14時
51分,進行方向左手の瓜生坂の一里塚跡を通過する.江戸から45里目の塚である.
 この塚の近くで,元禄時代の中山道と合流するはずだが,目を懲らして見続けるが,そのような道は見当たらない.

<中山道一里塚>

■百万遍念仏塔
 一里塚を過ぎてから,暫くの間,下り坂の舗装道路を道なりに進む.
 14時55分,百万遍念仏塔に到着する.大きな木の根元に立派な石塔が2基並んでいる.その脇に,中山道瓜生坂と書いた案内柱が立っている.
 
<瓜生塚の百万遍念仏塔>

■途中から土手を下りる
 地図を見ると,旧中山道は,途中から左手の枝道に入るようになっている.そこで,目を皿のようにして,分岐を探す.やがて,土手を下りてつながる踏み跡程度の分岐を見つける.林の間から下を覗くと谷間に畑が見えている.畑があるからには,かならず道路があるはずだと判断して,枝道に入る.
 少々歩きにくい下り坂の山道が林の中に続く.物音一つしない静かな細道である.頭上を緑の樹木が覆っている.実に心地よい散策路である.
 でも,この路もほんの僅かで,また,大曲して下ってくる元の道に合流する.
 資料1によると,この辺りに瓜生峠茶屋跡がある筈だが,見落としたのか,どこだか分からない.

<静かな草道を行く>

■望月町遠望
 15時丁度.私たちは,野趣ある旧中山道から,舗装された現中山道に飛び出る.そのご,暫くの間,道なりに道路を下る.やがて,眼下に望月の街並みが見え始める.
 第2日目の行程も,もうすぐ終わりである.

<望月の集落を見下ろす>
                              (つづく)
[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
                                             (つづく)
                               
[加除修正]
2013/7/19  地図の挿入.誤字脱字転換ミスの修正,加除訂正, 推敲を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d8504035407090fce3fd8b50b676967d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f9f2432f277764e16569b68a500632c6 
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


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