<緑が美しい新林公園>
鎌倉:柏尾川から江ノ島古道へ
(山旅スクール5期有志ほか)
2009年7月23日(木)
梅雨は明けたはずなのに,連日のようにはっきりしない日が続いている.
私は,自分の体力維持のために,塔ノ岳へ登れる日を狙っているが,なかなか好天気に恵まれない.そうこうしているうちに,北海道トムラウシの事故や,皆既日食,衆議院解散と,世の中が慌ただしく過ぎていく.
7月22日,素晴らしい朝焼けである.俗に朝焼けの日には天気が崩れるという.すんでのところで塔ノ岳へ向かうところだったが,パソコンで天気予報を見ると,強い雨雲が西から刻々と神奈川県の方に移動している.これではどうにもならないなと諦め,山行は取りやめる.
こんな日には,久々に自分の部屋を片づけようかと思う.そしてたまたま手にした未来予測の本に興味を持つ.その本は,1968年,日本生産性本部発行の『西暦2000年の世界と人類』である.アメリカ科学文芸アカデミーが編者になっている.あのころ,私自身少なからず影響を受けた著名な未来学者のハーマーカーン,ダニエルヘル,リースマン,ロストウなどの方々の論文をまとめたものである.
今年は2009年,今は,当時,ハーマーカーン氏達が予測した未来を,すでに10年ほど越えている.
予測と結果を見比べてみると,とても興味のある点が多々あることに気が付く.まあ,有り体に言ってしまえば,予測はあまり当たっていないということになる.
ここまで書き進めると,この本のことをもっと触れたくなるが,このブログは野山の散策を記録することなので,この辺りで本題に戻ることにしよう.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は暇人だが,それでも,毎日,一通りのルーチンワークはある.いわゆるデイリージョブである.パソコンの前に座って,ゴシャゴシャと雑務をこなしてから,自分のブログや,趣味人倶楽部のページを覗く.たまたま山旅スクール同期の方のページを拝見すると,この方も最近ほとんど歩いていないようである.
「・・・ならば,・・・他の方々も,事情は,私と同じだろう・・・」
と想像する.
そこで,数名の方々に,軽く鎌倉でも歩こうかと携帯メールで呼びかける.その結果,翌日の7月23日に,鎌倉を散策することに決まる.残念ながら,古くからの山友達である浄明寺在住の仙人は,用事があって不参加.山旅スクール同期の野詩歌さん,トドさん他総勢4名で,曇り空の下,そぞろ歩きをすることになる.
<散策地図>
※降雨のため破線のルートは省略した.
■大船駅近くの丑堰跡と玉縄首塚
10時02分,大船駅南口の大船観音寺側から歩き出す.
駅前の柏尾川を渡る.橋の上から牛堰跡が見下ろせる.石垣の途中から,砂押川が柏尾川に流下しているところである.1625年(官営2年)丑年に,柏尾川から水を引こうとして堰を作ったことから丑堰と呼ばれるようになったという(鎌倉市教育センター,2009,p.230)(注1).
柏尾川に沿って下る.玉縄首塚で先を行く皆さんを呼び止めるが,そんなものに興味はないらしくて,,野詩歌さん以外は,素通りしてしまう.私は,
「あそこに見えるのが玉縄首塚ですよ・・・」
と北条氏時の故事を,極々,簡単に説明する.
<御霊神社の北側:畑が広がる>
■新駅予定地
大船の北側を歩くことは殆どない.しばらく来ていない間に,町の様子が大分変わっている.
川沿いにブラブラ歩きを続け,やがて県立フラワーセンター大船植物園の脇に出る.植物園の垣根に沿って,そのまま東海道本線沿いの道を藤沢方面に歩き続ける.やがて,長い武田薬品工業の白い塀の脇を通るようになる.塀の中を覗くと,随分と大がかりな工事が進んでいる.
進行方向左手には,つい先日,今日とほぼ同じメンバーで散策した御霊神社の山が見えている.この辺りは,鎌倉市岡本から藤沢市村岡東2丁目に入ったところである.この辺りから,村岡城址公園,皇大神宮,長福寺,日枝神社,二伝寺を経由して大船方面に戻る散策コースも魅力的である.このまま江の島方面へ向かうか,それとも村岡城址方面へ向かうか,一瞬迷うが,まあ,今日は,江の島方面で良いかと簡単に決める.
私たちが歩いている道路が,右に大きくカーブして,東海道本線の線路から離れるところで,東海道本線のガードを潜る.天井が低くて,実に通りづらい不思議なガードである.通路の真ん中の高い位置に暗渠がある.この上を歩くと,天井に完全に頭をぶつける.
ガードを潜って線路の反対側に出ると,一面の畑が広がっている.丁度,御霊神社がある山の北側になる.この辺りは,大船と藤沢の中間に位置していて,今,新駅を建設する計画が具体化しつつあるという.直線距離で比較すれば,我が家からは,大船駅へ出るより,新駅の方が幾分近くなるが,新駅を利用するかどうかは微妙である.
やがて,御霊神社からの鎌倉古道上の道と合流する.ここまで来れば,先日歩いたコースとの相互の位置関係がハッキリする.
<『タウンニュース』平成21年7月24日号より転載>
■アイス最中と野菜直売所
徳寿院跡付近の住宅地を抜け,柏尾川を渡り,藤沢鎌倉線の藤沢市東端,川名に到着する.ここで枝道に入って,川名の御霊神社,神光院,横穴墓群を一回りして,元へ戻ろうかとも思ったが,新林公園で昼食を摂りたいので,残念ながら割愛する(別途,単独で,この辺りを散策してから,このブログで紹介することにしたい).
藤沢鎌倉道を藤沢に向けて歩き続ける.途中,大きなマンションの前にあるコンビニに立ち寄る.出来心で,134円也のアイス最中を購入.食べ歩きをする.コンビニの直ぐ近くで,掘っ建て小屋の野菜直売所がある.11時23分,掘っ建て小屋の中に入って,直売野菜を見物する.平素,あまりスーパーに出入りしていない私には,高い安いは良くわからないが,沢山の買い物客が店内にいるのは安い証拠なのだろう.
<直売の八百屋>
■新林公園で昼食
柏尾川と境川の合流点少し手前で,左折して,江ノ島街道に入る.この道は道幅が狭い上に,結構,自動車の往来が激しい.余り安心して歩けないのが難点である.
江の島街道に入ってから,10分弱,11時40分,新林公園入口に到着する.私にとっても,ここを訪れるのは2年振りのような気がする.
広い公園の中に入る.公園の緑が雨で濡れていて瑞々しい.園内には人影が殆どない.何だかもったいないような気がする.入り口から右手の階段を登る.子供用の遊具がいくつかある.私たちは,広場の片隅にランチョンマットを広げて,昼食を摂る.
例によって,主婦達は思い思いのご手製料理を広げる.同じ糠漬けでも,それぞれのご家庭で微妙に味が異なるので,これが楽しいし,趣がある.
食事をしている内に,上空の雲行きが,ますます怪しくなってくる.
<藤沢市の新林公園入口>
<ネーベンが並ぶ:ゴボウのあえもの,卵焼き,等々.美味しい>
■公園の裏山を一回り
ゆっくりと食事を済ませる.そして,12時25分頃から,公園の裏山を一周する.程々の上り下りが連続する.山道のほぼ全体が,良く整備された階段道になっている.山道を歩いている内に,雨が落ち出す.そして,次第に雨足が強くなる.
コーモリを持参しているので,直ぐ使えば良いのだが,濡れたコーモリは始末が悪い.暫く,コーモリを使わずに,我慢していたが,いよいよ雨が本降りになってくる.仕方なくコーモリを広げる.
山道を下ると,大きな広場になる.雨でなければ,広場を一周するのも,至って楽しそうだが,こう強い雨では,歩きたい気分も阻害されてしまう.
<公園裏山の散策路>
■小池邸
道なりに進むと,広場入り口近くで,武家屋敷小池邸の前に出る.
外から屋敷を眺めていると,屋敷の中から,高齢の男性が,私たちの方に近づいてくる.どうやらボランティアのガイドのようである.私は,ガイドに捕まると話が長くなるのでイヤだなと思うが,逃げるわけにもいかない.易々と捕まってしまう.そして,男性に案内されるままに,屋敷の中に入る.
この男性の話によると,この屋敷は,この地方の名主の家だったようである.
家の様子が,その昔,私が幼少の頃,信州の田舎で住んでいた家と良く似ている.あの頃,土間のヘッツイで煮炊きをしていたことを懐かしく思い出す.
屋敷の土間には,脱穀機など昔の農機具が展示されている.私の田舎では,第二次世界大戦後も,ここに展示されている農機具を,ずっと使っていたので,古いという印象は余りないが,同行の皆さんは,このような農機具はご存じないようである.わずか10年少々しか年齢差がないのに,随分と違うなと実感する.
<小池邸:藤沢市指定文化財>
<小池邸の説明文>
■長屋門
13時15分頃,小池邸を後にする.相変わらず雨足が強い.
私たちは,小池邸の直ぐ近くにある長屋門にまわる.この長屋門は,もともと藤沢市渡内の二伝寺付近にあったものを,最近,新林公園に移築したものである.
大船駅から歩き出して,二伝寺から,この長屋門を経由して,慈眼寺,隆昌院,諏訪神社,遊行寺を経由して,藤沢に至る散策コースは,私の好きなコースの一つだが,このコースから長屋門がなくなって,少々寂しい思いをしていた.でも,まあ,新林公園で,この長屋門に再会できたのだから,まあ,いいや,としよう.
<長屋門:二伝寺近くにあったものを移築した>
■江の島古道散策は中止
長屋門ではアベックが雨宿りをしている.お二人の邪魔をするのも無粋である.そのまま,長屋門を通過する.そして,13時23分,新林公園の出入口に戻る.雨足は相変わらず強いままである.私は,同行者に,雨の中を予定通りに江の島道を歩くか,それとも,ここで散策を中止して,ここから藤沢駅へ出るかを伺う.一同,雨の中をさらに歩き続けるのも興ざめだったのだろう.このまま藤沢駅に直行することになる.
途中,近道をして,イトーヨーカ堂前に出る.そして,薬屋のサンドラッグに立ち寄って,13時45分に藤沢駅に到着する.
駅ビル1階のファストフード店「BECKERS」で,1時間30分ほど,コーヒーを飲みながら雑談.私は主婦3人の話題を興味深く伺う.伺いながら,やはり男性の方々の話題とは,大分趣が違うなと感心する.
15時30分頃,藤沢駅コンコースで解散.
私は,大船駅経由で,16時少し前に帰宅する.
<BECKERSの230円のコーヒー:量がタップリある>
[ラップタイム]
10:02 大船駅歩き出し
10:42 東海道本線ガードを潜る
11:40 新林公園 着
13:23 〃 発
13:45 藤沢駅(BECKERS)着
[散策記録]
■水平歩行距離 7.0km
■累積登攀下降高度 約85m
■所要時間(休憩時間込み)
大船 発 10:02
藤沢 着 13:45
(所要時間) 3時間43分(3.72h)
水平歩行速度 7.0km/3.72h=1.88km/h
[注] 1)同文献によると,早期に堰を作るために牛を使ったが,あまりに酷使して倒れた牛を,堰の護として丑堰と呼ぶようになったという説もある.
[参考文献]
鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/65790b2b8dc5b05da0a851cbddc5ef09
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/86a68a7ab6d106b0990c0ad7412fdd6d
鎌倉:柏尾川から江ノ島古道へ
(山旅スクール5期有志ほか)
2009年7月23日(木)
梅雨は明けたはずなのに,連日のようにはっきりしない日が続いている.
私は,自分の体力維持のために,塔ノ岳へ登れる日を狙っているが,なかなか好天気に恵まれない.そうこうしているうちに,北海道トムラウシの事故や,皆既日食,衆議院解散と,世の中が慌ただしく過ぎていく.
7月22日,素晴らしい朝焼けである.俗に朝焼けの日には天気が崩れるという.すんでのところで塔ノ岳へ向かうところだったが,パソコンで天気予報を見ると,強い雨雲が西から刻々と神奈川県の方に移動している.これではどうにもならないなと諦め,山行は取りやめる.
こんな日には,久々に自分の部屋を片づけようかと思う.そしてたまたま手にした未来予測の本に興味を持つ.その本は,1968年,日本生産性本部発行の『西暦2000年の世界と人類』である.アメリカ科学文芸アカデミーが編者になっている.あのころ,私自身少なからず影響を受けた著名な未来学者のハーマーカーン,ダニエルヘル,リースマン,ロストウなどの方々の論文をまとめたものである.
今年は2009年,今は,当時,ハーマーカーン氏達が予測した未来を,すでに10年ほど越えている.
予測と結果を見比べてみると,とても興味のある点が多々あることに気が付く.まあ,有り体に言ってしまえば,予測はあまり当たっていないということになる.
ここまで書き進めると,この本のことをもっと触れたくなるが,このブログは野山の散策を記録することなので,この辺りで本題に戻ることにしよう.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は暇人だが,それでも,毎日,一通りのルーチンワークはある.いわゆるデイリージョブである.パソコンの前に座って,ゴシャゴシャと雑務をこなしてから,自分のブログや,趣味人倶楽部のページを覗く.たまたま山旅スクール同期の方のページを拝見すると,この方も最近ほとんど歩いていないようである.
「・・・ならば,・・・他の方々も,事情は,私と同じだろう・・・」
と想像する.
そこで,数名の方々に,軽く鎌倉でも歩こうかと携帯メールで呼びかける.その結果,翌日の7月23日に,鎌倉を散策することに決まる.残念ながら,古くからの山友達である浄明寺在住の仙人は,用事があって不参加.山旅スクール同期の野詩歌さん,トドさん他総勢4名で,曇り空の下,そぞろ歩きをすることになる.
<散策地図>
※降雨のため破線のルートは省略した.
■大船駅近くの丑堰跡と玉縄首塚
10時02分,大船駅南口の大船観音寺側から歩き出す.
駅前の柏尾川を渡る.橋の上から牛堰跡が見下ろせる.石垣の途中から,砂押川が柏尾川に流下しているところである.1625年(官営2年)丑年に,柏尾川から水を引こうとして堰を作ったことから丑堰と呼ばれるようになったという(鎌倉市教育センター,2009,p.230)(注1).
柏尾川に沿って下る.玉縄首塚で先を行く皆さんを呼び止めるが,そんなものに興味はないらしくて,,野詩歌さん以外は,素通りしてしまう.私は,
「あそこに見えるのが玉縄首塚ですよ・・・」
と北条氏時の故事を,極々,簡単に説明する.
<御霊神社の北側:畑が広がる>
■新駅予定地
大船の北側を歩くことは殆どない.しばらく来ていない間に,町の様子が大分変わっている.
川沿いにブラブラ歩きを続け,やがて県立フラワーセンター大船植物園の脇に出る.植物園の垣根に沿って,そのまま東海道本線沿いの道を藤沢方面に歩き続ける.やがて,長い武田薬品工業の白い塀の脇を通るようになる.塀の中を覗くと,随分と大がかりな工事が進んでいる.
進行方向左手には,つい先日,今日とほぼ同じメンバーで散策した御霊神社の山が見えている.この辺りは,鎌倉市岡本から藤沢市村岡東2丁目に入ったところである.この辺りから,村岡城址公園,皇大神宮,長福寺,日枝神社,二伝寺を経由して大船方面に戻る散策コースも魅力的である.このまま江の島方面へ向かうか,それとも村岡城址方面へ向かうか,一瞬迷うが,まあ,今日は,江の島方面で良いかと簡単に決める.
私たちが歩いている道路が,右に大きくカーブして,東海道本線の線路から離れるところで,東海道本線のガードを潜る.天井が低くて,実に通りづらい不思議なガードである.通路の真ん中の高い位置に暗渠がある.この上を歩くと,天井に完全に頭をぶつける.
ガードを潜って線路の反対側に出ると,一面の畑が広がっている.丁度,御霊神社がある山の北側になる.この辺りは,大船と藤沢の中間に位置していて,今,新駅を建設する計画が具体化しつつあるという.直線距離で比較すれば,我が家からは,大船駅へ出るより,新駅の方が幾分近くなるが,新駅を利用するかどうかは微妙である.
やがて,御霊神社からの鎌倉古道上の道と合流する.ここまで来れば,先日歩いたコースとの相互の位置関係がハッキリする.
<『タウンニュース』平成21年7月24日号より転載>
■アイス最中と野菜直売所
徳寿院跡付近の住宅地を抜け,柏尾川を渡り,藤沢鎌倉線の藤沢市東端,川名に到着する.ここで枝道に入って,川名の御霊神社,神光院,横穴墓群を一回りして,元へ戻ろうかとも思ったが,新林公園で昼食を摂りたいので,残念ながら割愛する(別途,単独で,この辺りを散策してから,このブログで紹介することにしたい).
藤沢鎌倉道を藤沢に向けて歩き続ける.途中,大きなマンションの前にあるコンビニに立ち寄る.出来心で,134円也のアイス最中を購入.食べ歩きをする.コンビニの直ぐ近くで,掘っ建て小屋の野菜直売所がある.11時23分,掘っ建て小屋の中に入って,直売野菜を見物する.平素,あまりスーパーに出入りしていない私には,高い安いは良くわからないが,沢山の買い物客が店内にいるのは安い証拠なのだろう.
<直売の八百屋>
■新林公園で昼食
柏尾川と境川の合流点少し手前で,左折して,江ノ島街道に入る.この道は道幅が狭い上に,結構,自動車の往来が激しい.余り安心して歩けないのが難点である.
江の島街道に入ってから,10分弱,11時40分,新林公園入口に到着する.私にとっても,ここを訪れるのは2年振りのような気がする.
広い公園の中に入る.公園の緑が雨で濡れていて瑞々しい.園内には人影が殆どない.何だかもったいないような気がする.入り口から右手の階段を登る.子供用の遊具がいくつかある.私たちは,広場の片隅にランチョンマットを広げて,昼食を摂る.
例によって,主婦達は思い思いのご手製料理を広げる.同じ糠漬けでも,それぞれのご家庭で微妙に味が異なるので,これが楽しいし,趣がある.
食事をしている内に,上空の雲行きが,ますます怪しくなってくる.
<藤沢市の新林公園入口>
<ネーベンが並ぶ:ゴボウのあえもの,卵焼き,等々.美味しい>
■公園の裏山を一回り
ゆっくりと食事を済ませる.そして,12時25分頃から,公園の裏山を一周する.程々の上り下りが連続する.山道のほぼ全体が,良く整備された階段道になっている.山道を歩いている内に,雨が落ち出す.そして,次第に雨足が強くなる.
コーモリを持参しているので,直ぐ使えば良いのだが,濡れたコーモリは始末が悪い.暫く,コーモリを使わずに,我慢していたが,いよいよ雨が本降りになってくる.仕方なくコーモリを広げる.
山道を下ると,大きな広場になる.雨でなければ,広場を一周するのも,至って楽しそうだが,こう強い雨では,歩きたい気分も阻害されてしまう.
<公園裏山の散策路>
■小池邸
道なりに進むと,広場入り口近くで,武家屋敷小池邸の前に出る.
外から屋敷を眺めていると,屋敷の中から,高齢の男性が,私たちの方に近づいてくる.どうやらボランティアのガイドのようである.私は,ガイドに捕まると話が長くなるのでイヤだなと思うが,逃げるわけにもいかない.易々と捕まってしまう.そして,男性に案内されるままに,屋敷の中に入る.
この男性の話によると,この屋敷は,この地方の名主の家だったようである.
家の様子が,その昔,私が幼少の頃,信州の田舎で住んでいた家と良く似ている.あの頃,土間のヘッツイで煮炊きをしていたことを懐かしく思い出す.
屋敷の土間には,脱穀機など昔の農機具が展示されている.私の田舎では,第二次世界大戦後も,ここに展示されている農機具を,ずっと使っていたので,古いという印象は余りないが,同行の皆さんは,このような農機具はご存じないようである.わずか10年少々しか年齢差がないのに,随分と違うなと実感する.
<小池邸:藤沢市指定文化財>
<小池邸の説明文>
■長屋門
13時15分頃,小池邸を後にする.相変わらず雨足が強い.
私たちは,小池邸の直ぐ近くにある長屋門にまわる.この長屋門は,もともと藤沢市渡内の二伝寺付近にあったものを,最近,新林公園に移築したものである.
大船駅から歩き出して,二伝寺から,この長屋門を経由して,慈眼寺,隆昌院,諏訪神社,遊行寺を経由して,藤沢に至る散策コースは,私の好きなコースの一つだが,このコースから長屋門がなくなって,少々寂しい思いをしていた.でも,まあ,新林公園で,この長屋門に再会できたのだから,まあ,いいや,としよう.
<長屋門:二伝寺近くにあったものを移築した>
■江の島古道散策は中止
長屋門ではアベックが雨宿りをしている.お二人の邪魔をするのも無粋である.そのまま,長屋門を通過する.そして,13時23分,新林公園の出入口に戻る.雨足は相変わらず強いままである.私は,同行者に,雨の中を予定通りに江の島道を歩くか,それとも,ここで散策を中止して,ここから藤沢駅へ出るかを伺う.一同,雨の中をさらに歩き続けるのも興ざめだったのだろう.このまま藤沢駅に直行することになる.
途中,近道をして,イトーヨーカ堂前に出る.そして,薬屋のサンドラッグに立ち寄って,13時45分に藤沢駅に到着する.
駅ビル1階のファストフード店「BECKERS」で,1時間30分ほど,コーヒーを飲みながら雑談.私は主婦3人の話題を興味深く伺う.伺いながら,やはり男性の方々の話題とは,大分趣が違うなと感心する.
15時30分頃,藤沢駅コンコースで解散.
私は,大船駅経由で,16時少し前に帰宅する.
<BECKERSの230円のコーヒー:量がタップリある>
[ラップタイム]
10:02 大船駅歩き出し
10:42 東海道本線ガードを潜る
11:40 新林公園 着
13:23 〃 発
13:45 藤沢駅(BECKERS)着
[散策記録]
■水平歩行距離 7.0km
■累積登攀下降高度 約85m
■所要時間(休憩時間込み)
大船 発 10:02
藤沢 着 13:45
(所要時間) 3時間43分(3.72h)
水平歩行速度 7.0km/3.72h=1.88km/h
[注] 1)同文献によると,早期に堰を作るために牛を使ったが,あまりに酷使して倒れた牛を,堰の護として丑堰と呼ぶようになったという説もある.
[参考文献]
鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/65790b2b8dc5b05da0a851cbddc5ef09
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