<烏森皇大神宮>
新春の藤沢:藤沢七福神巡り(1)
(五十三次洛遊会)
2010年第1回例会
2010年1月13日(水)
************************
一昨年12月に発足した五十三次洛遊会は,2009年中は,ほぼ,月に1回程度,定例会や臨時定例会を開催して,まずは成功裏に,今年,2年目の節目の年を迎えた.
今回は,藤沢市在住のOさんが企画した藤沢七福神巡りを楽しんだ. 参加者は,やや少なめの14名.
10時頃,藤沢駅から歩き出して,烏森皇大神宮,養命寺,白旗神社,常光寺,諏訪神社,感応院,竜口寺,江島神社の順に,七福神8ヶ所を一回りした.
その後,江の島大橋の袂にある藤沢市観光協会で景品の手ぬぐいを100円で購入した. 天気は良かったが,強風が吹き荒れる寒い一日であった.
一同,小田急電鉄で藤沢に戻り,駅前の「わたみ」で,遅めの新年会を開催した.
************************
<散策地図>
<参拝した七福神一覧>
烏森皇大神宮 恵比寿(商売繁盛)
養命寺 布袋(不老長寿・無病息災)
白旗神社 毘沙門天(知恵・勇気)
常光寺 福禄寿(幸福・財宝・長寿)
諏訪神社 大黒天(富貴・長寿)
感応院 寿老人(長寿)
龍口寺 毘沙門天(知恵・勇気)
江島神社 弁財天(商売繁盛)
■塔ノ岳にも行きたいけど・・
昨日(1月12日)は,終日冷たい雨が降り続いていた.サンデー毎日の私は,こんな寒くて憂鬱な天気の日に,わざわざ外へ出かけることもないので,終日,碌なこともしないで家に籠っていた.
今日は幸いなことに,朝から快晴.ただ風が強くてとても寒い.
昨日,平野では雨.ということは,丹沢は雪.本来ならば,今日は塔ノ岳に登って,雪の丹沢を存分に楽しみたい・・・が,今日は残念ながら五十三次洛遊会の開催日.でも,雪に会えなくても,同じ釜の飯を食べた仲間と再会するのも楽しい.
昨日,一日中,家に閉じこもっていた私は,天気が良いとなると,早く外へ出たくなる.そこで,ちょっと早すぎるかなと思ったが,8時45分に家を出発してしまう.
家の近くのバス停からバスに乗って大船駅まで出る.今日は平日.まだ,この時間では,バスの乗客の大半が通勤客である.そんな通勤客に混じって,スットコドッコイのリュック姿のまま乗車するのが,一寸,気が引ける.
バスの中で,自分の有様を反省しながら,
「・・俺は,早く散歩に連れて行けとキャンキャン吠え続けるスピッツみたいだな・・・」
と一人苦笑いする.
■集合時間10分前
大船駅近くのコンビニで,昨日,急場しのぎで作り終えた案内地図を23枚コピーする.そして,そのまま惰性で,9時少し前に大船駅構内に入ってしまう.このまま集合場所の藤沢へ向かったのでは,集合時間の10時に間がありすぎるので,暫くの間,駅構内の書店で本の立ち読みを続ける.それでも,時間を持て余して,とりあえずは東海道本線の電車に乗って藤沢へ移動する.そして,駅ビルの喫茶店にはいりこんで,ダージリン紅茶を奮発する.
紅茶を味わっていると,気分がとても安定してくる.喫茶店の窓越しに,今日ご一緒する連中が三々五々と集まってくるのを,面白がって眺めている.
集合時間の10分前に,私も集合場所に移動する.私は,ご一緒する皆さんに近づきながら,
「・・・おはようございます.本年もよろしくお願いします・・・」
と挨拶する.すると幹事のOさんが,
「・・・これで全員集まりました・・・」
と言う.なんと,10分前に集合場所に行ったにもかかわらず,私が皆さんをお待たせしてしまった.
■烏森皇大神宮
定刻に歩き出す.
まずは七福神巡りの最初,烏森皇大神宮を目指す.
藤沢駅から線路沿いの道を辻堂方面に向かって,真っ直ぐに歩く.終始,冷たい風が吹いている.途中,日本精工の工場沿いに右折して北西に向かう.そして,すぐに左折.そこに烏森皇大神宮がある.ここには商売繁盛の神,恵比寿さんが祀られている.
まずは,お参りをする.そして,参拝記念の印鑑を押す.
大きなお社である.私たち以外にも,何組かのグループが参拝している.
資料によると,この神社は832年(天長9年)創立.910年から923年頃(延喜年間)に総社に列せられる.祭神は天照大神,八幡大神,春日大神など(小林,2004,p.206).
<烏森皇大神宮>
<烏森皇大神宮>
■養命寺
烏森公園からバス通りを経て,引地川に架かる上村橋を渡る.そして,川沿いに引地橋まで遡る.ここで左折して,10時54分に七福神巡り2番目の養命寺に到着する.この寺にある布袋さんを拝む.
この寺は崇賢院の末寺.1592年(文禄元年),暁堂が開山1744年頃(延享年間),住僧大拙が中興した(小林,2004,p.205).ご本尊は薬師如来.国重要文化財である.
<養命寺>
■土居見付跡
往路をたどり,引地橋まで戻る.そのまま道なりに国道467号線に沿って,東へ向かう.旧東海道である.この道は,2年ほど前に,東海道五十三次宿場巡りで通ったところである.
11時23分,土井見付跡を通過する.ここは藤沢宿の上方側(つまり京都側)の入口にあたる.ただ,現在は木製の氷柱が立っているだけである.
<土井見付跡> <白旗神社>
■白旗神社
藤沢高校前の交差点を左折する.その突き当りにある白旗神社の毘沙門天を詣でる.
まずは急な石段を数十段登って,本殿でお参りをする.ついで,順路に従って,石段を降りる.社務所前で参拝記念の印鑑を押す.
この神社では,相模一之宮寒川比古命,源義経を祀っている.
<白旗神社>
■義経首洗井戸
白旗神社から交差点まで往路を引き返す.交差点を左折する.そして次の路地を左折すると,すぐに義経首洗井戸がある.以前は,下半分が腐ってしまった案内板があったが,いつの間にか新しい案内板に取り換えられている.
案内板の説明によると,1188年(文治4年),奥州から送られてきた義経の首が片瀬浜に捨てられる.その首が潮に乗って流されて境川を遡る.この辺りの住民が義経の首を拾って,この井戸で洗い清めたという.
<義経首洗井戸>
■常光寺
道なりに藤沢方面に歩く.11時54分,常光寺に到着する.ここは福禄寿.ここの境内には,明治時代,藤沢駅に勤務していた駅員(邏卒という)の駐屯所に使われていたという.その祈念碑が山門前に立っている・・・が,だれも興味を示さないので,説明を省略する.また,ここには野口米太郎の墓もあるが,省略.
この寺の近くに,泰堂・詩仏の墓もあるが,今日は七福神がテーマなので,残念ながらここも省略する.なお,小川泰堂は医師で『日蓮大真実伝』の著者.大窪詩仏は江戸四大詩家の1人.この2人の墓は藤沢市指定文化財史跡になっている.
<常光寺>
■永勝寺
折角なので,近くにある永勝寺だけは参拝することにする.道順がうろ覚えだったこともあって,多少,迷うが,12時04分に永勝寺に到着する.
山門を入ってすぐ左側にある飯盛り女の墓を詣でる.ここには飯盛り女の墓39基が並んでいる.
<永勝寺>
<蒔田本陣跡>
<飯盛女の墓>
■蒔田本陣跡
12時16分,蒔田本陣跡を通過する.ここには木製の杭が1本立っているだけである.
藤沢宿の本陣は,もともと大久保町の堀内家,1745年(延享2年)に火災で焼失.本陣職を坂戸町蒔田家に譲渡する.1803年(享和3年)現在の蒔田本陣の規模は,建坪210坪,間口13間だった(小林,2004,p.202).
■藤沢御殿跡
幕田本陣跡から左折,裏通りに入る,すぐに右折して,表通りに並行する路地を進む.
引地川に架かる御殿橋の北側の一角が藤沢御殿跡である.正確な位置は私も知らないが,この辺りをくまなく探せば,何か手掛かりがあるかもしれない.
1590年(天正18年),関東に移封した徳川家康が,各地を視察.その際,宿泊施設として利用した御殿があった.
<藤沢御殿があったと思われる場所>
■遊行寺に到着
そのまま路地を進んで,12時30分,遊行寺黒門に到着する.
私たちは,遊行寺境内で昼食を摂る予定である.
<遊行寺山門>
(つづく)
[参考文献] 小林伸男,2004,『神奈川ぶらりいウオーキング鎌倉・江の島・藤沢編』神奈川図書
「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a67512de0a59fdbd24a069209de38f5d
「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/13df633d728d5f62dc20104e5f1b234f
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c21745f09eda8a1e6c906d3573923e4d
新春の藤沢:藤沢七福神巡り(1)
(五十三次洛遊会)
2010年第1回例会
2010年1月13日(水)
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一昨年12月に発足した五十三次洛遊会は,2009年中は,ほぼ,月に1回程度,定例会や臨時定例会を開催して,まずは成功裏に,今年,2年目の節目の年を迎えた.
今回は,藤沢市在住のOさんが企画した藤沢七福神巡りを楽しんだ. 参加者は,やや少なめの14名.
10時頃,藤沢駅から歩き出して,烏森皇大神宮,養命寺,白旗神社,常光寺,諏訪神社,感応院,竜口寺,江島神社の順に,七福神8ヶ所を一回りした.
その後,江の島大橋の袂にある藤沢市観光協会で景品の手ぬぐいを100円で購入した. 天気は良かったが,強風が吹き荒れる寒い一日であった.
一同,小田急電鉄で藤沢に戻り,駅前の「わたみ」で,遅めの新年会を開催した.
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<散策地図>
<参拝した七福神一覧>
烏森皇大神宮 恵比寿(商売繁盛)
養命寺 布袋(不老長寿・無病息災)
白旗神社 毘沙門天(知恵・勇気)
常光寺 福禄寿(幸福・財宝・長寿)
諏訪神社 大黒天(富貴・長寿)
感応院 寿老人(長寿)
龍口寺 毘沙門天(知恵・勇気)
江島神社 弁財天(商売繁盛)
■塔ノ岳にも行きたいけど・・
昨日(1月12日)は,終日冷たい雨が降り続いていた.サンデー毎日の私は,こんな寒くて憂鬱な天気の日に,わざわざ外へ出かけることもないので,終日,碌なこともしないで家に籠っていた.
今日は幸いなことに,朝から快晴.ただ風が強くてとても寒い.
昨日,平野では雨.ということは,丹沢は雪.本来ならば,今日は塔ノ岳に登って,雪の丹沢を存分に楽しみたい・・・が,今日は残念ながら五十三次洛遊会の開催日.でも,雪に会えなくても,同じ釜の飯を食べた仲間と再会するのも楽しい.
昨日,一日中,家に閉じこもっていた私は,天気が良いとなると,早く外へ出たくなる.そこで,ちょっと早すぎるかなと思ったが,8時45分に家を出発してしまう.
家の近くのバス停からバスに乗って大船駅まで出る.今日は平日.まだ,この時間では,バスの乗客の大半が通勤客である.そんな通勤客に混じって,スットコドッコイのリュック姿のまま乗車するのが,一寸,気が引ける.
バスの中で,自分の有様を反省しながら,
「・・俺は,早く散歩に連れて行けとキャンキャン吠え続けるスピッツみたいだな・・・」
と一人苦笑いする.
■集合時間10分前
大船駅近くのコンビニで,昨日,急場しのぎで作り終えた案内地図を23枚コピーする.そして,そのまま惰性で,9時少し前に大船駅構内に入ってしまう.このまま集合場所の藤沢へ向かったのでは,集合時間の10時に間がありすぎるので,暫くの間,駅構内の書店で本の立ち読みを続ける.それでも,時間を持て余して,とりあえずは東海道本線の電車に乗って藤沢へ移動する.そして,駅ビルの喫茶店にはいりこんで,ダージリン紅茶を奮発する.
紅茶を味わっていると,気分がとても安定してくる.喫茶店の窓越しに,今日ご一緒する連中が三々五々と集まってくるのを,面白がって眺めている.
集合時間の10分前に,私も集合場所に移動する.私は,ご一緒する皆さんに近づきながら,
「・・・おはようございます.本年もよろしくお願いします・・・」
と挨拶する.すると幹事のOさんが,
「・・・これで全員集まりました・・・」
と言う.なんと,10分前に集合場所に行ったにもかかわらず,私が皆さんをお待たせしてしまった.
■烏森皇大神宮
定刻に歩き出す.
まずは七福神巡りの最初,烏森皇大神宮を目指す.
藤沢駅から線路沿いの道を辻堂方面に向かって,真っ直ぐに歩く.終始,冷たい風が吹いている.途中,日本精工の工場沿いに右折して北西に向かう.そして,すぐに左折.そこに烏森皇大神宮がある.ここには商売繁盛の神,恵比寿さんが祀られている.
まずは,お参りをする.そして,参拝記念の印鑑を押す.
大きなお社である.私たち以外にも,何組かのグループが参拝している.
資料によると,この神社は832年(天長9年)創立.910年から923年頃(延喜年間)に総社に列せられる.祭神は天照大神,八幡大神,春日大神など(小林,2004,p.206).
<烏森皇大神宮>
<烏森皇大神宮>
■養命寺
烏森公園からバス通りを経て,引地川に架かる上村橋を渡る.そして,川沿いに引地橋まで遡る.ここで左折して,10時54分に七福神巡り2番目の養命寺に到着する.この寺にある布袋さんを拝む.
この寺は崇賢院の末寺.1592年(文禄元年),暁堂が開山1744年頃(延享年間),住僧大拙が中興した(小林,2004,p.205).ご本尊は薬師如来.国重要文化財である.
<養命寺>
■土居見付跡
往路をたどり,引地橋まで戻る.そのまま道なりに国道467号線に沿って,東へ向かう.旧東海道である.この道は,2年ほど前に,東海道五十三次宿場巡りで通ったところである.
11時23分,土井見付跡を通過する.ここは藤沢宿の上方側(つまり京都側)の入口にあたる.ただ,現在は木製の氷柱が立っているだけである.
<土井見付跡> <白旗神社>
■白旗神社
藤沢高校前の交差点を左折する.その突き当りにある白旗神社の毘沙門天を詣でる.
まずは急な石段を数十段登って,本殿でお参りをする.ついで,順路に従って,石段を降りる.社務所前で参拝記念の印鑑を押す.
この神社では,相模一之宮寒川比古命,源義経を祀っている.
<白旗神社>
■義経首洗井戸
白旗神社から交差点まで往路を引き返す.交差点を左折する.そして次の路地を左折すると,すぐに義経首洗井戸がある.以前は,下半分が腐ってしまった案内板があったが,いつの間にか新しい案内板に取り換えられている.
案内板の説明によると,1188年(文治4年),奥州から送られてきた義経の首が片瀬浜に捨てられる.その首が潮に乗って流されて境川を遡る.この辺りの住民が義経の首を拾って,この井戸で洗い清めたという.
<義経首洗井戸>
■常光寺
道なりに藤沢方面に歩く.11時54分,常光寺に到着する.ここは福禄寿.ここの境内には,明治時代,藤沢駅に勤務していた駅員(邏卒という)の駐屯所に使われていたという.その祈念碑が山門前に立っている・・・が,だれも興味を示さないので,説明を省略する.また,ここには野口米太郎の墓もあるが,省略.
この寺の近くに,泰堂・詩仏の墓もあるが,今日は七福神がテーマなので,残念ながらここも省略する.なお,小川泰堂は医師で『日蓮大真実伝』の著者.大窪詩仏は江戸四大詩家の1人.この2人の墓は藤沢市指定文化財史跡になっている.
<常光寺>
■永勝寺
折角なので,近くにある永勝寺だけは参拝することにする.道順がうろ覚えだったこともあって,多少,迷うが,12時04分に永勝寺に到着する.
山門を入ってすぐ左側にある飯盛り女の墓を詣でる.ここには飯盛り女の墓39基が並んでいる.
<永勝寺>
<蒔田本陣跡>
<飯盛女の墓>
■蒔田本陣跡
12時16分,蒔田本陣跡を通過する.ここには木製の杭が1本立っているだけである.
藤沢宿の本陣は,もともと大久保町の堀内家,1745年(延享2年)に火災で焼失.本陣職を坂戸町蒔田家に譲渡する.1803年(享和3年)現在の蒔田本陣の規模は,建坪210坪,間口13間だった(小林,2004,p.202).
■藤沢御殿跡
幕田本陣跡から左折,裏通りに入る,すぐに右折して,表通りに並行する路地を進む.
引地川に架かる御殿橋の北側の一角が藤沢御殿跡である.正確な位置は私も知らないが,この辺りをくまなく探せば,何か手掛かりがあるかもしれない.
1590年(天正18年),関東に移封した徳川家康が,各地を視察.その際,宿泊施設として利用した御殿があった.
<藤沢御殿があったと思われる場所>
■遊行寺に到着
そのまま路地を進んで,12時30分,遊行寺黒門に到着する.
私たちは,遊行寺境内で昼食を摂る予定である.
<遊行寺山門>
(つづく)
[参考文献] 小林伸男,2004,『神奈川ぶらりいウオーキング鎌倉・江の島・藤沢編』神奈川図書
「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a67512de0a59fdbd24a069209de38f5d
「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/13df633d728d5f62dc20104e5f1b234f
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c21745f09eda8a1e6c906d3573923e4d