<フラワーセンター>
早春の鎌倉:大船・植木・岡本の社寺を巡る(1)
(単独散策)
2010年1月30日(土)
<散策地図>
■急に思い立つ
早朝2時に目が覚める.
「よお~しっ!・・今日こそ塔ノ岳へ行くぞ・・!」
と決心する.でも,2時ではいくらなんでも早すぎる.もうひと眠りしようかと思う.でも,次に目が覚めたときには,5時を過ぎてしまった.もちろん,これからでも,十分,塔ノ岳を往復する時間はあるが,私の場合,渋沢発大倉行の1番ないしは2番バスより遅くなると,とても出かける気にならない.私は,残念ながら,塔ノ岳へ行くのを諦める.
とはいえ,今日も上々の天気である.そこで,私は午後から大急ぎで,大船・藤沢北部地区を中心に,梅を求めて一回しようと思い立つ.
■鎌倉中央公園から妙法寺へ
昼食を済ませて,今日の出発点である鎌倉中央公園入口を12時50分に歩き出す.何処へ行くのか漠然としかアイデアがないが,とりあえずは鎌倉中央公園を抜けて山崎口へ向かう.今日は土曜日.沢山の家族連れが公園を訪れている.芝生でじゃれ合う子どもたちの仕草がとても可愛い.
公園を抜けて薬師寺跡から山崎へ向かう.天神山の山裾を回り込むようにして,まずは妙法寺を訪れる.
妙法寺の由来などについては,このブログでも何度か取り上げているので,今回は妙法寺の説明は省略する.
境内には全く人気がない.境内を一回りして,山崎跨線橋に向かう.
■フラワーセンター
13時27分,山崎跨線橋を渡り始める.橋の下には東海道本線の線路が沢山並んでいる.橋を渡っている間にも,何本かの電車が往来する.
13時40分,フラワーセンターに到着する.入口で高齢者の入場料100円也を支払って,園内に入る.
ここは,手入れの行き届いた素晴らしい植物園である.広々とした芝生を見ると,もうこれ以上歩かずに,ここで夕方まで昼寝をしていたくなる.
公園の一角に沢山の梅の木が植えられている.まだ,どの梅のきも,ちょうど咲き始めたばかりだが,何とも見事である.辺り一面にほのかな梅の香りが漂っている.
■何処へ行こうかと迷う
園内を一回りして,14時02分に外に出る.ここから龍宝寺方面に行こうか,それとも二伝寺方面に行こうか迷う.こうして散策の途中で迷うのも一人散策の楽しみでもあり,醍醐味でもある.迷いながらあちこちと歩き回る・・・こんなのが,私の性にも合っているし,性(サガ)でもある.私は5~6分の間,フラワーセンターの周りをグルグルと歩き回って,再びフラワーセンター前に戻る.
ここで,意を決して,ひとまず,自動車が通れない裏道を通って,岡本耕地公園に出る.ロジュマンションの東南の角に当たる.ここで,また迷う.このまま武田薬品の敷地沿いに進むか,それともここから西北西に進んで,久々に貞宗寺や円光寺を訪れてみようか.これがまた楽しい.
結局,私はロジュマンションの敷地沿いに歩く.鎌倉みどり幼稚園,岡本耕地西公園を経由して,最初の三叉路を右折する.
■貞宗寺
鎌倉市街地図を頼りに,適当なところで左折して,狭い路地に入る.
14時40分,玉縄山貞宗寺(テイソウジ)入口に到着する.貞定寺は細い上り坂の路地の突き当りにある.訪れる観光客は皆無で,境内はひっそりと静まり返っている.庭先には沢山の梅が咲き始めている.
「・・落ち着いた良いお寺だな・・」
私は,暫くの間,この寺の片隅に立って,静かな雰囲気を楽しむ.
貞宗寺は1611年(慶長16年),暁誉源栄という方が開山,家康の側室お愛の局の生母の名,貞宗院に由来するという(したがって,貞宗院は江戸幕府2代目徳川秀忠の祖母に当たる)(鎌倉商工会議所(監),2009,p.100).本堂の大棟に徳川ゆかりの寺であることを証明する葵の家紋がついているというが,ちょっと目では良く分からなかった.
■円光寺
貞宗寺を出る.地図を見てもハッキリしない住宅地の中のクネクネ道を進む.
14時48分,円(正確には旧字)光寺に到着する.本堂前に数本の梅の木がある.2~3分咲きというところだろうか.境内は人気がなく静まり返っている.
ここは真言宗大覚寺派の寺で,山号は城護山.北条氏時が永禄年間(1558~1570年)に玉縄城内に創建されたという(鎌倉商工会議所,2009,p.85).薬師堂には行基作の薬師如来像,十二神将が安置されているという.
貞宗寺に比較すれば,梅の木の数はずっと少ない.
<ふあん坂登り口>
■久成寺
14時52分,円光寺から歩き出す.道なりに路地を進む.ほんの数分で,見馴れた自動車道路に出る.道路を渡ると,古い石塔がある.ふあん坂の登り口である.これで,私にも位置関係がはっきりと分かる.
なだらかな坂道をほんの数分上る.そして,14時59分,久成寺に到着する.
山号は光円山.日蓮宗.1520年(永正17年),梅田尾張守秀長(北条氏家臣)創建で,徳川幕府との関係が深い寺だという(鎌倉商工会議所,2009,p.104).境内には公暁(源実朝を殺害した武士)を討った長尾定景の墓があるようだが,見学したことはない.
<長い階段を登る>
■二伝寺
15時01分,久成寺から歩き出す.ここまで来たら,お隣の藤沢市の社寺も廻ろうと思う.
久成寺から往路を少し戻って右折する.目の前に長い階段が見えている.この階段を登り切ると藤沢市渡内3丁目の高台にある二伝寺の前に出る.この辺りは,平安時代,平良文ゆかりの鎌倉郡村岡郷荘園のあった場所のようである.
私の手許には,藤沢市内にある社寺の資料はほとんどないので,二伝寺の由来は全く分からない.
そこで,インターネットで調べると,次のような記事があった
(引用:http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/nidenzi.htm)
****************************
平良文公の塚、 平忠光公の塚、 平忠通公の塚 がある。二伝寺(にでんじ)は、二伝寺砦があったところ、北条氏の玉縄城の鎌倉方面への防御のために築かれた。寺にある塚の入り口右手に村岡郷土史研究会が建てた写真の「村岡五郎平良文公墓前碑」がある。そこには、仁和2年(886年)3月18日生まれ、延長元年(923年)正月、母とともに東国に下り、相模国村岡郷渡内村に館を構え・・・坂東八平氏の始祖・・・天慶6年(952年)12月18日に病没、この地に葬る。」とある。(以下略)
******************************
■日枝神社
ついで,道なりに進む.以前,長屋門があった辺りは,何の変哲もない新興住宅街に変わっている.ここにあった長屋門は,すでに新林公園内に移設されている.
15時16分,日枝神社に到着する.
真新しい石垣の上に,社殿が残っている.周りに木の一本もない.何だか丸裸で気の毒な社殿である.わざわざ石段を登ってお参りする気にならないので,そのまま通過する.
■村岡城址公園
日枝神社前の十字路を左折して,南へ向かう.途中から西側の裏道に入る.200メートルほど下ると,広場に出る.この広場が平良文ゆかりの村岡城址である.
手許の資料がないので,この広場の由来は良く分からないが,今は運動場になっている.丁度,野球(サッカーかな?)を終えた十数人の子供たちが,付き添いの母親たちと帰宅の準備をしている.
広場の一番高い所に,大きな石碑,その横に立派な忠魂碑が立っている.
■長福寺
村岡城址のすぐ下の長福寺の墓地を経由して,長福寺の本堂前に到着する.本堂前の広場の片隅に居る犬が,私の方を見ながら盛んに吠えだす.私は犬が苦手である.苦手というより嫌いである.ここはサッサと退散するに限る.
急いで写真を数枚撮っただけで,そそくさと立ち去る.
■皇大神宮
藤沢市発行の『ふじさわ観光マップ』を頼りに,少し迷いながら,15時35分,皇大神宮に到着する.山を背負った長い石段が目の前に立ちはだかる.でも,折角,ここまで来たので,やけに急な石段を登る.
お参りを済ませた後,本殿の写真を撮ろうとするが,本殿前の広場が狭いので,全景が画面に入らない.仕方なく斜め横から,やっと撮影する.
急な石段を下るのは怖い.
■庚申塔
藤沢市の観光地図には細い道が載っていない.そのため,道順に少々迷う.思わず予期しない枝道に入る.こんなところに入ったら出られないかと思うような路地に迷い込む.まあ,いいかで先へ進むと,飛び出るように,広い道に出る.
地図で位置を確かめてから道沿いに南へ下る.15時47分,有名な靴チェーン店のある十字路に到着する.この角に立派な庚申塔がある.
傍らに,「寛文4年庚申供養塔」と書いた説明文が立っている.
(つづく)
[参考文献]
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/nidenzi.htm
鎌倉商工会議所(監),2009,『鎌倉観光検定公式テキストブック』かまくら春秋社
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a2dcc53db640beb06274f17dbab873f
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1c5d904e73bf4d8bc34d064480cc72ef
早春の鎌倉:大船・植木・岡本の社寺を巡る(1)
(単独散策)
2010年1月30日(土)
<散策地図>
■急に思い立つ
早朝2時に目が覚める.
「よお~しっ!・・今日こそ塔ノ岳へ行くぞ・・!」
と決心する.でも,2時ではいくらなんでも早すぎる.もうひと眠りしようかと思う.でも,次に目が覚めたときには,5時を過ぎてしまった.もちろん,これからでも,十分,塔ノ岳を往復する時間はあるが,私の場合,渋沢発大倉行の1番ないしは2番バスより遅くなると,とても出かける気にならない.私は,残念ながら,塔ノ岳へ行くのを諦める.
とはいえ,今日も上々の天気である.そこで,私は午後から大急ぎで,大船・藤沢北部地区を中心に,梅を求めて一回しようと思い立つ.
■鎌倉中央公園から妙法寺へ
昼食を済ませて,今日の出発点である鎌倉中央公園入口を12時50分に歩き出す.何処へ行くのか漠然としかアイデアがないが,とりあえずは鎌倉中央公園を抜けて山崎口へ向かう.今日は土曜日.沢山の家族連れが公園を訪れている.芝生でじゃれ合う子どもたちの仕草がとても可愛い.
公園を抜けて薬師寺跡から山崎へ向かう.天神山の山裾を回り込むようにして,まずは妙法寺を訪れる.
妙法寺の由来などについては,このブログでも何度か取り上げているので,今回は妙法寺の説明は省略する.
境内には全く人気がない.境内を一回りして,山崎跨線橋に向かう.
■フラワーセンター
13時27分,山崎跨線橋を渡り始める.橋の下には東海道本線の線路が沢山並んでいる.橋を渡っている間にも,何本かの電車が往来する.
13時40分,フラワーセンターに到着する.入口で高齢者の入場料100円也を支払って,園内に入る.
ここは,手入れの行き届いた素晴らしい植物園である.広々とした芝生を見ると,もうこれ以上歩かずに,ここで夕方まで昼寝をしていたくなる.
公園の一角に沢山の梅の木が植えられている.まだ,どの梅のきも,ちょうど咲き始めたばかりだが,何とも見事である.辺り一面にほのかな梅の香りが漂っている.
■何処へ行こうかと迷う
園内を一回りして,14時02分に外に出る.ここから龍宝寺方面に行こうか,それとも二伝寺方面に行こうか迷う.こうして散策の途中で迷うのも一人散策の楽しみでもあり,醍醐味でもある.迷いながらあちこちと歩き回る・・・こんなのが,私の性にも合っているし,性(サガ)でもある.私は5~6分の間,フラワーセンターの周りをグルグルと歩き回って,再びフラワーセンター前に戻る.
ここで,意を決して,ひとまず,自動車が通れない裏道を通って,岡本耕地公園に出る.ロジュマンションの東南の角に当たる.ここで,また迷う.このまま武田薬品の敷地沿いに進むか,それともここから西北西に進んで,久々に貞宗寺や円光寺を訪れてみようか.これがまた楽しい.
結局,私はロジュマンションの敷地沿いに歩く.鎌倉みどり幼稚園,岡本耕地西公園を経由して,最初の三叉路を右折する.
■貞宗寺
鎌倉市街地図を頼りに,適当なところで左折して,狭い路地に入る.
14時40分,玉縄山貞宗寺(テイソウジ)入口に到着する.貞定寺は細い上り坂の路地の突き当りにある.訪れる観光客は皆無で,境内はひっそりと静まり返っている.庭先には沢山の梅が咲き始めている.
「・・落ち着いた良いお寺だな・・」
私は,暫くの間,この寺の片隅に立って,静かな雰囲気を楽しむ.
貞宗寺は1611年(慶長16年),暁誉源栄という方が開山,家康の側室お愛の局の生母の名,貞宗院に由来するという(したがって,貞宗院は江戸幕府2代目徳川秀忠の祖母に当たる)(鎌倉商工会議所(監),2009,p.100).本堂の大棟に徳川ゆかりの寺であることを証明する葵の家紋がついているというが,ちょっと目では良く分からなかった.
■円光寺
貞宗寺を出る.地図を見てもハッキリしない住宅地の中のクネクネ道を進む.
14時48分,円(正確には旧字)光寺に到着する.本堂前に数本の梅の木がある.2~3分咲きというところだろうか.境内は人気がなく静まり返っている.
ここは真言宗大覚寺派の寺で,山号は城護山.北条氏時が永禄年間(1558~1570年)に玉縄城内に創建されたという(鎌倉商工会議所,2009,p.85).薬師堂には行基作の薬師如来像,十二神将が安置されているという.
貞宗寺に比較すれば,梅の木の数はずっと少ない.
<ふあん坂登り口>
■久成寺
14時52分,円光寺から歩き出す.道なりに路地を進む.ほんの数分で,見馴れた自動車道路に出る.道路を渡ると,古い石塔がある.ふあん坂の登り口である.これで,私にも位置関係がはっきりと分かる.
なだらかな坂道をほんの数分上る.そして,14時59分,久成寺に到着する.
山号は光円山.日蓮宗.1520年(永正17年),梅田尾張守秀長(北条氏家臣)創建で,徳川幕府との関係が深い寺だという(鎌倉商工会議所,2009,p.104).境内には公暁(源実朝を殺害した武士)を討った長尾定景の墓があるようだが,見学したことはない.
<長い階段を登る>
■二伝寺
15時01分,久成寺から歩き出す.ここまで来たら,お隣の藤沢市の社寺も廻ろうと思う.
久成寺から往路を少し戻って右折する.目の前に長い階段が見えている.この階段を登り切ると藤沢市渡内3丁目の高台にある二伝寺の前に出る.この辺りは,平安時代,平良文ゆかりの鎌倉郡村岡郷荘園のあった場所のようである.
私の手許には,藤沢市内にある社寺の資料はほとんどないので,二伝寺の由来は全く分からない.
そこで,インターネットで調べると,次のような記事があった
(引用:http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/nidenzi.htm)
****************************
平良文公の塚、 平忠光公の塚、 平忠通公の塚 がある。二伝寺(にでんじ)は、二伝寺砦があったところ、北条氏の玉縄城の鎌倉方面への防御のために築かれた。寺にある塚の入り口右手に村岡郷土史研究会が建てた写真の「村岡五郎平良文公墓前碑」がある。そこには、仁和2年(886年)3月18日生まれ、延長元年(923年)正月、母とともに東国に下り、相模国村岡郷渡内村に館を構え・・・坂東八平氏の始祖・・・天慶6年(952年)12月18日に病没、この地に葬る。」とある。(以下略)
******************************
■日枝神社
ついで,道なりに進む.以前,長屋門があった辺りは,何の変哲もない新興住宅街に変わっている.ここにあった長屋門は,すでに新林公園内に移設されている.
15時16分,日枝神社に到着する.
真新しい石垣の上に,社殿が残っている.周りに木の一本もない.何だか丸裸で気の毒な社殿である.わざわざ石段を登ってお参りする気にならないので,そのまま通過する.
■村岡城址公園
日枝神社前の十字路を左折して,南へ向かう.途中から西側の裏道に入る.200メートルほど下ると,広場に出る.この広場が平良文ゆかりの村岡城址である.
手許の資料がないので,この広場の由来は良く分からないが,今は運動場になっている.丁度,野球(サッカーかな?)を終えた十数人の子供たちが,付き添いの母親たちと帰宅の準備をしている.
広場の一番高い所に,大きな石碑,その横に立派な忠魂碑が立っている.
■長福寺
村岡城址のすぐ下の長福寺の墓地を経由して,長福寺の本堂前に到着する.本堂前の広場の片隅に居る犬が,私の方を見ながら盛んに吠えだす.私は犬が苦手である.苦手というより嫌いである.ここはサッサと退散するに限る.
急いで写真を数枚撮っただけで,そそくさと立ち去る.
■皇大神宮
藤沢市発行の『ふじさわ観光マップ』を頼りに,少し迷いながら,15時35分,皇大神宮に到着する.山を背負った長い石段が目の前に立ちはだかる.でも,折角,ここまで来たので,やけに急な石段を登る.
お参りを済ませた後,本殿の写真を撮ろうとするが,本殿前の広場が狭いので,全景が画面に入らない.仕方なく斜め横から,やっと撮影する.
急な石段を下るのは怖い.
■庚申塔
藤沢市の観光地図には細い道が載っていない.そのため,道順に少々迷う.思わず予期しない枝道に入る.こんなところに入ったら出られないかと思うような路地に迷い込む.まあ,いいかで先へ進むと,飛び出るように,広い道に出る.
地図で位置を確かめてから道沿いに南へ下る.15時47分,有名な靴チェーン店のある十字路に到着する.この角に立派な庚申塔がある.
傍らに,「寛文4年庚申供養塔」と書いた説明文が立っている.
(つづく)
[参考文献]
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/nidenzi.htm
鎌倉商工会議所(監),2009,『鎌倉観光検定公式テキストブック』かまくら春秋社
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a2dcc53db640beb06274f17dbab873f
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1c5d904e73bf4d8bc34d064480cc72ef
コメント有難うございます.
後で,ブログに掲載しますが.本日(2月4日),塔ノ岳を往復しました.
一本松付近から上は雪です.堀山の家から上は,階段も分からなくなるほどの積雪があります.
当分の間,残雪は多いと思います.
アイゼン,スパッツ,サングラス,ストックは必須だと思います.
私は3月初旬まで,土曜日は先約があるので,塔ノ岳には参りませんが,尊仏山荘で,「ブログに山荘のネコを掲載している人」と聞いていただければすぐ分かると思います.
その内に,お会いできることを楽しみにしています.
今後ともよろしくお願いいたします.