中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第1日目(3);台ヶ原から松原へ

2014年04月25日 22時08分47秒 | 甲州道中四十五宿

                                                                                <白州付近の野道を行く>

   歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第1日目(3);台ヶ原から松原へ
             (五十三次洛遊会)
       2014年4月18日(金)~20日(日)

第1日目;2014年4月18日(金) 
つづき)

<ルート地図>
            

                                ↑
                   
(右上に→・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→つづく) 
         ↑ 


<台ヶ原の続き>

■台ヶ原郵便局と登記所跡
 金精軒の柏餅を賞味した後,再び歩き出す.
 12時23分,金精軒の直ぐ側にある台ヶ原湯便局の前を通過する.つづいて,石垣の上に何か由緒ありげな場所があるのを見付ける.何だろうと思って,石段脇にある案内板を見ると,ここは登記所跡のようである.
 少々時間が押しているので,案内板を子細に眺めるのは省略して先を急ぐ.

 
<台ヶ原郵便局>                                <登記所跡>

■長尾神社
 続いて,直ぐ近くの丘の上に神社があるのを確認する.同行者はそのまま先へ進むが,私一人で,この石段を駆け上ってみる.その先は公園風の広場になっている.余り時間を取ると,同行の皆様に迷惑が掛かるので,あまり時間は掛けられない,そこで大急ぎで写真を撮ってから,階段を駆け下りて,一同の後を追う.
 石段からほんの少し歩いたところから,丘の上を見上げると,先ほど駆け上がった広場の先にある社殿らしい建物が見える. 
 
<石段と鳥居>                                   <石段の上の広場>

■修験智挙寺跡
 12時26分,長尾神社のすぐ先にある修験智挙寺跡に到着する.余り広くない空き地に修験智挙寺跡の説明文が立っている.この修験智挙寺跡がこの空き地だけなのか,もっと広いのか,私には分からない.
 この説明文によると,「修験とは山岳宗教と仏教が習合された信仰的宗教である,室町時代には天台宗系本山派,真言宗系当山派がこれに当たる.甲斐国史によれば,山梨県内の本山派は85院,当山派が140院であった.智挙寺は当山派に属し,勝軍山と号し,甲斐国府中の宝蔵院,境町の明王院とともに三触頭の一院として,文政13年には男女各2人が居て除地4畝24歩を領有し権勢を誇り,布教に努めていた.なお,台ヶ原村の年中行事である「除昆虫祭祀」にも田中神社,龍福寺とともに参画し,地域に密着した活動を続けていたが,明治4年の神仏分離令により傘下の各院とともに廃寺となった」とのことである.

<修験智挙寺跡>

■つるや旅館
 12時32分,つるや旅館に到着する.資料1および資料2(pp.346-347)によれば,ここは「つるや諸国旅人御宿鶴屋」と言われたところのようだが,今の建物は新しいもののようである.

<つるや旅館>

■火の見ヤグラ
 12時35分,火の見ヤグラの前を通過する.この火の見ヤグラから進行方向右手奥に白州小学校がある.
 火の見ヤグラの下には小さな石塔が置かれている.石塔には注連縄が巻かれている.
 火の見ヤグラ先の三叉路を斜め右に曲がる.

<白州小学校近くの火の見櫓>

■自元寺入口
 12時39分,自元寺入口を通過する.住宅地の路地の突き当たりに自元寺が見えているが,時間が押しているので,路地を入って自元寺を詣でるのは省略する.
 資料1によると,自元寺は馬場美濃守信房が開基した寺である.馬場美濃守信房は武田24将の一人である.資料2(p.347)によると,この寺の本堂裏手に馬場美濃守信房の墓があるらしい.
 なお,信房は長篠の戦いで戦死した(資料2.p.347).
 資料3には面白い記事がある.その記事によると「馬場氏
は,清和源氏の中の摂津源氏,源頼光の曾孫の源仲政(馬場仲政)を遠祖とする源姓の氏族.摂津源氏の一派である美濃源氏の土岐氏の祖と源光信(土岐光信)の孫で,美濃国土岐郡に土着した土岐光衛の一族で,甲斐国教来石村に移り教来石を名乗る.信春もまた教来石(きょうらいし)景政と名乗り、後に馬場氏の名跡を継いで馬場信房と改名,さらに改名して信春となる.通称ははじめ民部少輔,のち美濃守」とのこと.
 私がなぜこんな細部のことを,わざわざここで揺れたかというと.これから私たちが訪れようとしている宿場の名前が教来石宿というからである.

<自元寺入口(間違っているかもしれない)> 

■若宮八幡遠望
 12時42分,若宮八幡参道入口に到着する.入口近くのシダレザクラが実に見事である.シダレザクラの向こうにこんもりとした森が見えている.この森の中に,多分,若宮八幡のお社があるんだろう.神社の位置は自元寺から西へ約500メートルの所に位置している.
 資料2(p.347)によると,馬場信房の屋敷は,若宮八幡宮近くにあったらしい.

<若宮八幡参道入口付近のシダレザクラ>

■白州の道祖神
 12時44分,白州の道祖神に到着する.石垣と竹林の前に道祖神がある.傍らに立つ大きな石柱は南無妙法蓮華経題目碑である.

<白州の道祖神>

■田んぼの中の石祠
 12時50分,立派な石の鳥居の前に到着する.鳥居から田んぼの向こうに立派な石祠が並んでいるのが見える.鳥居の神額に「武田神社」と書いてある.どうやら田んぼの中の石祠は武田神社のようである.
 本当は,田んぼの中を走って行って,もう少し近くから祠群の写真を撮りたかったが,ちょっと遠い.

<田んぼの中の武田神社>

■小さな祠
 12時53分,進行方向左手の民家の裏側の広場に安置された小さな祠の前を通過する.なんとも可愛らしい祠なので,とにかく写真を撮っておく.
 この祠がどのような由来のものかは全く分からない.

<小さな祠>

<竹花スポーツ広場で休憩>

■満開のサクラの下で…
 13時丁度に竹花スポーツ広場に到着する.広場のサクラは丁度満開である.私たちはサクラの下のベンチで休憩を取ることにする.
 数日前の天気予報では,今日は時々雨が降るということだったが,今のところ曇ってはいるものの雨は降りそうもない.気温も寒くも暑くもない.ちょうど居心地の良い花曇りである.

<満開のサクラの下で休憩>

■白州松原の址碑と宗良親王歌碑
 広場に隣接して白州松原址碑と宗良親王歌碑が並んで立っている.二つの石碑の間に説明文が立っている.
 向かって右側が白州松原の址碑のようである.説明文によると,平安時代からこの辺りにはすばらしい松林が4キロメートルにわたって続いていたようである.残念ながら昭和10年代に伐採されてしまったという.
 左側は宗良親王歌碑である.同じく説明文によると,宗良親王は南北朝時代の南朝側の征夷大将軍であった.宗良親王は甲斐国の武将を味方にしようとしたが,味方に加わる武将はなく,この松の陰で野宿したあと信濃国作久地方に向かった.そのとき詠まれた歌を,大正11年(1922年),菅原村が歌碑として建立した.
 歌碑に刻まれている刻字も,案内文に書かれている変体仮名混じりの文字も私には読みにくい.資料2(p.347)の記事によると,この歌碑には
 “かりそめのゆきかひぢとはきゝしかど 
          いざやしらすのまつひともなく”
という歌が刻字されているようである.

<白州松原址碑と宗良親王歌碑>

<前沢から松原へ>

■石塔群と法界萬霊塔
 13時08分,休憩を終えた私たちは,竹花スポーツ広場から歩き出す.
 13時19分,沢山の石塔と法界萬霊塔が設置されている広場に到着する.左側の大きな石塔が法界番霊塔である.石塔の真ん中に南無妙法蓮華経と刻字されている.

<石塔群と法界萬霊塔>

■山田玉斉歌碑(日長句碑)
 13時16分,進行方向右手,前沢という所にある山田玉砕歌碑に到着する.歌碑は満開の桜並木の下にある.この歌碑はどうやらそれほど古いものではないようである.
 歌碑には,
  “槍もちのおくれて通る日長かな”
という歌が刻字されている.
 資料1によると,山田玉斉はご当地出身.資料2(p.348)によると玉斉は郷土の人々をよく指導して徳望が高かった人物のようである.
 冒頭の地図に示したように,本来の日長句碑は,ここから左折して路地を南西に進んで国道20号線をわたったところにある.歌碑の近くに長光寺があるらしい.時間が許せば,ちょっと立ち寄って見たいところだが,先を急ぐ都合があるので寄り道せずにそのまま通過する.
 なお,資料2(p.248)によれば,ここにある句碑にはのびやかな大名行列が描かれているとのことである.

<街道沿いにある日長句碑>

■神宮川橋を渡る
 13時21分,日長句碑の前から200メートル程歩いたところで,国道20号線と合流する.そして,神宮川に架かる神宮橋を渡る.橋の上から上流を眺めると,川の左岸に今が満開の桜並木が見えている.
 右下の写真の左端に写っている林の辺りに御嶽神社があるはずだが,交通量が多い国道20号線を横断歩道のないところで横切るのは無謀すぎるので,御嶽神社はやむなく通過する.
 資料2(p.348)によると,神宮川は,昔,濁川と呼んでいたようである.その後,明治神宮にこの川から採取した玉砂利を献上したことから神宮川という名前が付いたようである.
 
<国道20号線に合流>                               <神宮川橋を渡る>

■松原の常夜灯
 神宮川橋を渡ってから,サントリー白州工場の敷地沿いに200~300メートルほど国道20号線を歩き,13時28分にバス停県営白州団地入口を通過する.
 このバス停から100メートルほど先へ進んだところで,国道20号線から右側に枝分かれして旧道に入る.
 地図を見ると,この辺りは松原というところらしい.進行方向右手には,八ヶ岳連峰の南端に位置している編笠山らしい山が雲の間に霞んで見えているような見えていないような…また,左には甲斐駒ヶ岳がうっすらと見えている.何れも私が持っているバカカメラでは上手く写らない.
 13時38分,松原の常夜灯に到着する.大きくて立派な常夜灯である. 
 
<バス停白州団地入口>                            <松原の常夜灯>

<やっとコンビニで昼食を摂る>

■火の見ヤグラ
 13時40分,火の見ヤグラに到着する.資料1によると,この火の見ヤグラの近くに般若堂があるらしいが確かめなかった.
 火の見ヤグラのすぐ先で左折して路地に入る.路地の先には国道20号線の信号機が見えている. 
 
<火の見ヤグラ>                        <左折して路地に入る>

■蒸留塔のあるコンビニ
 交通の激しい国道20号線を横断する.信号の直ぐ脇にあるセブンイレブンに到着する.私たちはここでちょっと遅すぎる昼食を摂ることにする.
 コンビニの入口には,ウイスキーの蒸留塔(かな?)が置かれている.どうしてこのようなものが置かれているのか?
 私には分からない.先ほど通過したサントリー工場と関係があるのかな?
 まあ,どうでもいいや…ちょっと気になるが…
 実は,手許の地図を見ると,ここに「サントリーレストランじんぐう」という店の名前が書いてある.多分,このサントリーレストランがあった場所にコンビニができたのだろう.もしそうならば,ここに蒸留塔があるのも合点がいく.
 各自,コンビニで昼食を購入する.左下は私が食べた格安な弁当である.けちん坊な私にはこの程度で十分である.
 
<入口に蒸留塔のあるコンビニ>                     <私が購入したコンビニ弁当>

■ノンビリと日向ぼっこしながら…
 コンビニ横のベンチをお借りして座り込む.そして,ノンビリと昼食を摂る.和気あいあいの会食である.
 私は,先ほど購入したコンビニ弁当をたちまちの内に平らげてしまう.これで十分と思っていたが…食べてしまうと,もう一寸,何か食べたいなと思うようになる.それに,まだ,休憩時間が余っている.
 私はコンビニに戻って,熱々の1本をちょっと買い足す.私はこのソーセージを左手に持って.右手に持ったカメラで,この写真を撮ろうとする.すると,丁度画面に入る位置に座って居られる方が自分たちの写真が撮られるのかと勘違いして身構える.でも私が撮った画面は撮影範囲が狭すぎるので,ご覧のように身構えた皆さんは写っていない.ご容赦願うことにする.
 14時15分,昼食を終えた私たちは教来石宿に向けて歩き出す.
 
<コンビニ裏手のベンチで昼食>                                     <熱々の1本を買い足す>
                                           (つづく)

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E4%BF%A1%E6%98%A5
                                         (つづく)


「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c05c055a3bd0969754b7e43185950956
「甲州道中」の次回の記事
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「甲州道中」の索引
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2 コメント

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コメントありがとうございました (FH)
2014-04-28 05:22:56
ローリングウエストさん
コメント有難うございました.私たちの街道歩きは,正に適当な気儘旅.勝手流.
気心知れた仲間達と一緒の旅は,とても素晴らしいなと思っています.
ブログの記事には間違いが多いかと思いますが,お楽しみ頂ければ幸いです.
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Unknown (ローリングウエスト)
2014-04-27 10:20:21
なるほど・・!甲州道中をこういう形で楽しむ方法があるんですね。なかなか知られていない穴場を見ることができて感謝です。甲州道中と中仙道が合流する下諏訪には数年前に行きましたが、公武合体政策のもとで和宮が降嫁の旅途中で泊まった宿を見学したことがよき思い出です。
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