<高麗の彼岸花>
彼岸花咲く奥武蔵の里山:日和田山・物見山縦走
(ARENAオフミ)
2010年9月26日(日)
<山行地図>
<プロフィールマップ>
■何だか眠くて・・
昨日(9月25日),久々に某学会の研究発表会に出席した.というのも,私がサラリーマン時代の同僚と,私の娘の旦那の2人が,奇しくも発表をするというので,出席しないわけにはいかなかった.正直なところ,ここ1~2年,学会活動からはすっかり遠ざかっていたので,今更,研究発表会に出席するのも気が重いし,それに何となく敷居が高く感じるようになっていた.
ところが,いざ,研究会に出席してみると,久々に懐かしい方々にお会いできるし,また,山登りのときとは違った懐かしい雰囲気がとても楽しい.久々に知的な対話も新鮮だったしし,さらに,当初は研究会後の懇親会には出席するつもりはなかったが,ついつい旧知の仲間に誘われるまま,ずるずると懇親会にも出席した.
懇親会はさまざまな話題で弾んだ.そして,ついつい飲めないアルコールを限度まで飲んでしまった.元々,下戸である私は,正気を失うほど飲むことは不可能である.従って限度とは言っても,心臓がドキドキして顔が赤くなる程度だが,それでも,全身に何となく倦怠感が充満するような気がしてくる.
私は懇親会から帰宅してすぐに,ARENAオフミの幹事に,
「・・一寸,アルコールが入ってしまったので,明日の朝,寝坊して,集合時間に間に合わないかもしれません.そのときはドタキャンさせて下さい・・」
とメールを打つ.
■観光客で大賑わいの高麗駅
平常通りに,早朝4時に起床する.
昨夜,何となく疲れた感じがあったが,一晩良く寝たら疲労感もなくなっている.これなら何とかなりそうである.私は,急遽,今日のハイキングに参加することに決める.
何時も丹沢塔ノ岳に登るときよりも,随分遅い6時過ぎに家を出る.大船から湘南新宿ラインで池袋へ.池袋から西武池袋線に乗車する.
今から10年以上も前になるが,私は飯能にある某大学の非常勤講師を2年ほど務めていたことがある.その頃,毎週1回,わざわざ鎌倉くんだりから,ここまで通勤していた.電車に乗りながら,その頃のことを懐かしく思い出す.
9時28分に高麗駅に到着する.ここは登山学校に通っていた頃,十数回に亘って,岩登りの練習に通ったところでもある.あの頃の印象では,この駅はほとんど人気がなく,何時も閑散としていていたような気がする.そんなイメージのまま,高麗駅に下車する.すると予想に反して,偉く活気に満ちている.どうやら,駅近くの巾着田の彼岸花が見頃を迎えているらしく,想像以上の人出て大賑わいである.
今日の参加者は6名.男性5名,女性1名.何れも気心知れたご常連の面々である.
9時30分に高麗駅前から歩き出す.
■聚落を抜けて鹿台橋を渡る
駅前の地下道を潜って,西武線の北側に出る.そこから,観光客の流れに入って,岩登りの時に通った道とは違う回り道を辿る.自動車道路から外れて,久保の聚落の中をウネクネと続く裏通りのような所を通る.道路の両側には出店が立ち並んでいる.ブラブラと歩いている方々の大半は,服装から見て巾着田を見物する人たちのようである.
住宅地を抜けて,9時47分に鹿台橋を渡る.何時もは高麗川に沿って,5分ほど進んだところから右折して狭い谷間の山道を登って岩場に向かっていたが,今日は案内書の通りに,高麗川から少し離れた元宿の聚落の入口で左折.水道タンクの手前から,左折して登山道に入る.私たちの前後には,沢山のハイカーが居る.私たちは地図を見ながら,ハイカーの後を付ける.
■男坂を登る
10時04分,少々古びた大きな鳥居に到着する.ここで登山道がY字型に二手に分かれる.私たちは何となく左手の道を進む.
10時08分,男岩,女岩の標識が立っている分岐に到着する.私たちは右手に分岐する男坂を登る.坂道を登りだした途端に,やや本格的な岩場になる.勿論,足場はシッカリしているし,ホールドできる手がかりもシッカリしているので,ごく初歩的な岩場だが,暫くの間,結構,楽しい岩場が連続する.ただ,今日のメンバーでは,このコースを下りに使うのは無理だなと思いながら登り続ける.
■金乃比羅神社
10時20分,急に視界が開ける.目の前には金刀比羅神社の鳥居が立っている.女坂を経由して来られたと思われる沢山のハイカーが休憩を取っている.
鳥居の下に立って眼下を眺めると,すぐ目の下には,巾着の形をした巾着田が見えている.その無効には地平線の彼方まで関東平野が広がっている.西南西の方向になるのだろうか,丹沢の大山らしい山が聳えている.そして,遙か左手には,今建設中の東京スカイツリー,さらにその左手には,池袋(?)辺りの高層ビル群が望める.
■日和田山山頂に到着
鳥居の下で休憩を取った後,10時32分に出発.神社の社殿の脇を通り過ぎて,ほんの少し登って,10時39分に日和田山山頂(標高305m)に到着する.
山頂には立派な宝筐印塔が建っている.傍らの案内板によると聖天院の僧侶の供養塔らしいが,詳しいことは,私には分からない.
山頂には,大げさに言えば立錐の余地もないほど沢山のハイカーが休憩を取っている,どうやら数十名のグループが居るようである.
※人物は混雑していてたまたま写っただけ
■物見山山頂
10時55分,日和田山山頂を出発する.西北西に延びる尾根沿いの道になる.ほんの少し下り坂を進むと,今度はなだらかな登り坂が続く.登山道というよりは公園の遊歩道を歩いているような感じである.
途中,電波塔のある高指山への分岐を通過して,11時05分頃,駒高のあずま屋を通過する.
すぐに舗装道路を横切って,再び山道に入る.道路の両側は深い杉木立に覆われている.なだらかな登り道を暫く進んで,11時22分,物見山の標識のある分岐に到着する.この分岐を左手に折れて,ほんの数分歩く.そして,11時27分,物見山山頂(標高375m)に到着する.
ここにも沢山のハイカーが集まっている.私たちは日陰を求めて,山頂から100メートルほど先の木陰に腰を下ろす.眺望はあまりないが,ここで少し早めの昼食を摂る.
■北向地蔵
12時03分,物見山を出発する.往路を少し戻って元の道に出る.ここから再び尾根道になる.この辺りになって,周囲にハイカーの姿が随分と少なくなっているのに気がつく.杉林に覆われた登山道を暫くの間進む.ごくごくなだらかな登り下りが続く.
やがて,標高405メートル峰の南側斜面のトラバース道になる.
一旦,舗装道路と交差する.交差後は杉木立に覆われた尾根道を進む.杉林の間から尾根の両側に舗装道路が見下ろせる.やがて,ごく緩やかな下り坂になる.進行方向左手に,杉林の間から見えている舗装道路との高度差がだんだんと縮まり,12時39分,歩道道路と合流する.合流点には向地蔵のお堂がある.
地蔵堂の中を拝ませて戴くが,肝心の地蔵は寝食が激しくて,お顔がどっちを向いているのか,余りよく分からない.地形図を重ね合わせてみると,お顔がやや西へ傾いているようにも見えるが,定かではない.地蔵堂付近には,舗装道路を経由して来たと思われる軽装の観光客が沢山集まっている.
■権現堂
北向地蔵を通過して.再び山道に入る.ここからは,やや単調な下り坂が続く.
10分あまり静かな山道を下ると土山の聚落に入る.この辺りまで来ると,殆どハイカーの姿はない.深い谷間の右岸沿いの道を下り続ける.
ときどき,25,000分の1に記載されていない新しい道と交差して迷うが,関ノ入ヤツの谷を左手に見ながら,方向を外さないようにして下り続ける,
12時52分,突然,前方が開ける.権現堂という地名の集落に入る.道路の進行方向右手に500坪ほどの空き地があり,土手に沢山の彼岸花が咲いている.空き地の隅に小さなお堂が建っている.何のお堂かは良く分からないが,地名から察して,これは権現堂だろうと勝手に想像する.
ここで彼岸花と素晴らしい眺望を堪能しながら,5分ほど休憩を取る.
■五常ノ滝
さらに単調な下り坂が続く.途中から人一人がやっと通れるほどの細くて歩きにくい道になる.暫くの間,この歩きにくい道が谷底沿いに続く.多分,新しい舗装道路が出来たので,この道を通る人が少なくなり,荒れてしまったのだろうと勝手に想像する.
やがて,この細い道も舗装道路と合流してなくなる.ここからは,ひたすら舗装道路を下り続ける.ときどき自動車が通り抜けるが,落ち着いた雰囲気の道である.
やがて,進行方向左手の下の方から,賑やかな子ども達の声が聞こえ始める.この声を聞いて,あの声は五常ノ滝から聞こえてくるんだと確信する.
子ども達の声に誘われて,左に分岐する道路脇の小径を下る.そして,13時13分,五常ノ滝に到着する.数十人の小学生が滝の見物に訪れている.ボーイスカウトかな.
私たちも滝を眺めながら,7~8分の間,滝を眺めながら休憩を取る.
■武蔵横手駅
滝と子ども達に別れを告げて,13時20分,再び歩き出す.滝壺付近の滑りやすい岩や石で,滑る人が続出する.私は滑りやすいところを先に通過する.振り返って,参加者の皆さんの様子を見ていると,危なっかしいこと,見ている方でヒヤヒヤする.ただ,滑っても濡れるだけで,よほどのことがない限り.怪我をする心配は余りない.
その後も単調な道が続く.私は地形図を眺めながら現在地を絶えず確かめる.本当は参加者一同に,私と同じように現在地を確かめて貰いたいのだが,大半の方々は,結局,地図も見ずに付いてくるだけ.途中で,内心,腹が立ってくる.
「他人任せで,良いんですか・・お前さん方・・」
私は心の中で怒鳴りつける.私の腹が立つ建たないより,幹事長と私だけが地図を見ているだけでは,安全確保上大いに問題である.なぜ,そこんところが分からないのか,実に歯がゆい.
やがて山下の聚落に到着する.長閑で住みやすそうな家が並んでいる.
「あと,100~200メートルで武蔵横手駅ですよ・・」
と激励のために皆さんにいう.
予定通り,13時48分に,武蔵横手駅に到着する.のどかな田舎駅である.電車は1時間に2本しかない.次の電車は,14時20分発半の行である.私たちと前後して数人のハイカーが駅に到着する.
随分と待ち時間がある.駅のベンチに腰掛けて,ノンビリと電車を待つ.その内にボースカウトの数段がホームに入ってくる.ホームが賑やかになる.
■池袋経由で帰宅
東飯能駅で,池袋行ナントカ急行に乗り換える.幸いなことに座席に座れる.ノンビリした陽気に誘われて,すぐに眠くなる.その内に電車の窓枠に頭を支えて貰いながら池袋に到着する直前までグッスリと寝てしまう.
池袋で湘南新宿ラインの電車に乗り換える.混雑していて横浜まで立ちんぼ.
17時丁度に帰宅する.
<ラップタイム>
9:30 高麗駅歩き出し
9:47 鹿台橋(男坂経由)
10:24 鳥居(10:32まで休憩)
10:39 日和田山山頂(10:55まで休憩)
11:06 高指山入口
11:27 物見山山頂(12:03まで昼食)
12:39 北向地蔵
12:52 権現堂(12:57まで休憩)
13:13 五常ノ滝(13:20まで見学)
13:48 武蔵横手駅 着
[山行記録]
■水平歩行距離 9.0km
■累積登攀高度 499m
■累積下降高度 503km
■所要時間(休憩時間込み)
高麗駅 発 9:30
武蔵横手着 13:48
(所要時間) 4時間18分(4.02h)
■水平歩行速度 9.0km/4.92h=1.83km/h
(おわり)
「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f36c1b055611befb2547f15a50604349
「関東・上信越の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/44440ab4842704fee287a5a10cf6c602
彼岸花咲く奥武蔵の里山:日和田山・物見山縦走
(ARENAオフミ)
2010年9月26日(日)
<山行地図>
<プロフィールマップ>
■何だか眠くて・・
昨日(9月25日),久々に某学会の研究発表会に出席した.というのも,私がサラリーマン時代の同僚と,私の娘の旦那の2人が,奇しくも発表をするというので,出席しないわけにはいかなかった.正直なところ,ここ1~2年,学会活動からはすっかり遠ざかっていたので,今更,研究発表会に出席するのも気が重いし,それに何となく敷居が高く感じるようになっていた.
ところが,いざ,研究会に出席してみると,久々に懐かしい方々にお会いできるし,また,山登りのときとは違った懐かしい雰囲気がとても楽しい.久々に知的な対話も新鮮だったしし,さらに,当初は研究会後の懇親会には出席するつもりはなかったが,ついつい旧知の仲間に誘われるまま,ずるずると懇親会にも出席した.
懇親会はさまざまな話題で弾んだ.そして,ついつい飲めないアルコールを限度まで飲んでしまった.元々,下戸である私は,正気を失うほど飲むことは不可能である.従って限度とは言っても,心臓がドキドキして顔が赤くなる程度だが,それでも,全身に何となく倦怠感が充満するような気がしてくる.
私は懇親会から帰宅してすぐに,ARENAオフミの幹事に,
「・・一寸,アルコールが入ってしまったので,明日の朝,寝坊して,集合時間に間に合わないかもしれません.そのときはドタキャンさせて下さい・・」
とメールを打つ.
■観光客で大賑わいの高麗駅
平常通りに,早朝4時に起床する.
昨夜,何となく疲れた感じがあったが,一晩良く寝たら疲労感もなくなっている.これなら何とかなりそうである.私は,急遽,今日のハイキングに参加することに決める.
何時も丹沢塔ノ岳に登るときよりも,随分遅い6時過ぎに家を出る.大船から湘南新宿ラインで池袋へ.池袋から西武池袋線に乗車する.
今から10年以上も前になるが,私は飯能にある某大学の非常勤講師を2年ほど務めていたことがある.その頃,毎週1回,わざわざ鎌倉くんだりから,ここまで通勤していた.電車に乗りながら,その頃のことを懐かしく思い出す.
9時28分に高麗駅に到着する.ここは登山学校に通っていた頃,十数回に亘って,岩登りの練習に通ったところでもある.あの頃の印象では,この駅はほとんど人気がなく,何時も閑散としていていたような気がする.そんなイメージのまま,高麗駅に下車する.すると予想に反して,偉く活気に満ちている.どうやら,駅近くの巾着田の彼岸花が見頃を迎えているらしく,想像以上の人出て大賑わいである.
今日の参加者は6名.男性5名,女性1名.何れも気心知れたご常連の面々である.
9時30分に高麗駅前から歩き出す.
■聚落を抜けて鹿台橋を渡る
駅前の地下道を潜って,西武線の北側に出る.そこから,観光客の流れに入って,岩登りの時に通った道とは違う回り道を辿る.自動車道路から外れて,久保の聚落の中をウネクネと続く裏通りのような所を通る.道路の両側には出店が立ち並んでいる.ブラブラと歩いている方々の大半は,服装から見て巾着田を見物する人たちのようである.
住宅地を抜けて,9時47分に鹿台橋を渡る.何時もは高麗川に沿って,5分ほど進んだところから右折して狭い谷間の山道を登って岩場に向かっていたが,今日は案内書の通りに,高麗川から少し離れた元宿の聚落の入口で左折.水道タンクの手前から,左折して登山道に入る.私たちの前後には,沢山のハイカーが居る.私たちは地図を見ながら,ハイカーの後を付ける.
■男坂を登る
10時04分,少々古びた大きな鳥居に到着する.ここで登山道がY字型に二手に分かれる.私たちは何となく左手の道を進む.
10時08分,男岩,女岩の標識が立っている分岐に到着する.私たちは右手に分岐する男坂を登る.坂道を登りだした途端に,やや本格的な岩場になる.勿論,足場はシッカリしているし,ホールドできる手がかりもシッカリしているので,ごく初歩的な岩場だが,暫くの間,結構,楽しい岩場が連続する.ただ,今日のメンバーでは,このコースを下りに使うのは無理だなと思いながら登り続ける.
■金乃比羅神社
10時20分,急に視界が開ける.目の前には金刀比羅神社の鳥居が立っている.女坂を経由して来られたと思われる沢山のハイカーが休憩を取っている.
鳥居の下に立って眼下を眺めると,すぐ目の下には,巾着の形をした巾着田が見えている.その無効には地平線の彼方まで関東平野が広がっている.西南西の方向になるのだろうか,丹沢の大山らしい山が聳えている.そして,遙か左手には,今建設中の東京スカイツリー,さらにその左手には,池袋(?)辺りの高層ビル群が望める.
■日和田山山頂に到着
鳥居の下で休憩を取った後,10時32分に出発.神社の社殿の脇を通り過ぎて,ほんの少し登って,10時39分に日和田山山頂(標高305m)に到着する.
山頂には立派な宝筐印塔が建っている.傍らの案内板によると聖天院の僧侶の供養塔らしいが,詳しいことは,私には分からない.
山頂には,大げさに言えば立錐の余地もないほど沢山のハイカーが休憩を取っている,どうやら数十名のグループが居るようである.
※人物は混雑していてたまたま写っただけ
■物見山山頂
10時55分,日和田山山頂を出発する.西北西に延びる尾根沿いの道になる.ほんの少し下り坂を進むと,今度はなだらかな登り坂が続く.登山道というよりは公園の遊歩道を歩いているような感じである.
途中,電波塔のある高指山への分岐を通過して,11時05分頃,駒高のあずま屋を通過する.
すぐに舗装道路を横切って,再び山道に入る.道路の両側は深い杉木立に覆われている.なだらかな登り道を暫く進んで,11時22分,物見山の標識のある分岐に到着する.この分岐を左手に折れて,ほんの数分歩く.そして,11時27分,物見山山頂(標高375m)に到着する.
ここにも沢山のハイカーが集まっている.私たちは日陰を求めて,山頂から100メートルほど先の木陰に腰を下ろす.眺望はあまりないが,ここで少し早めの昼食を摂る.
■北向地蔵
12時03分,物見山を出発する.往路を少し戻って元の道に出る.ここから再び尾根道になる.この辺りになって,周囲にハイカーの姿が随分と少なくなっているのに気がつく.杉林に覆われた登山道を暫くの間進む.ごくごくなだらかな登り下りが続く.
やがて,標高405メートル峰の南側斜面のトラバース道になる.
一旦,舗装道路と交差する.交差後は杉木立に覆われた尾根道を進む.杉林の間から尾根の両側に舗装道路が見下ろせる.やがて,ごく緩やかな下り坂になる.進行方向左手に,杉林の間から見えている舗装道路との高度差がだんだんと縮まり,12時39分,歩道道路と合流する.合流点には向地蔵のお堂がある.
地蔵堂の中を拝ませて戴くが,肝心の地蔵は寝食が激しくて,お顔がどっちを向いているのか,余りよく分からない.地形図を重ね合わせてみると,お顔がやや西へ傾いているようにも見えるが,定かではない.地蔵堂付近には,舗装道路を経由して来たと思われる軽装の観光客が沢山集まっている.
■権現堂
北向地蔵を通過して.再び山道に入る.ここからは,やや単調な下り坂が続く.
10分あまり静かな山道を下ると土山の聚落に入る.この辺りまで来ると,殆どハイカーの姿はない.深い谷間の右岸沿いの道を下り続ける.
ときどき,25,000分の1に記載されていない新しい道と交差して迷うが,関ノ入ヤツの谷を左手に見ながら,方向を外さないようにして下り続ける,
12時52分,突然,前方が開ける.権現堂という地名の集落に入る.道路の進行方向右手に500坪ほどの空き地があり,土手に沢山の彼岸花が咲いている.空き地の隅に小さなお堂が建っている.何のお堂かは良く分からないが,地名から察して,これは権現堂だろうと勝手に想像する.
ここで彼岸花と素晴らしい眺望を堪能しながら,5分ほど休憩を取る.
■五常ノ滝
さらに単調な下り坂が続く.途中から人一人がやっと通れるほどの細くて歩きにくい道になる.暫くの間,この歩きにくい道が谷底沿いに続く.多分,新しい舗装道路が出来たので,この道を通る人が少なくなり,荒れてしまったのだろうと勝手に想像する.
やがて,この細い道も舗装道路と合流してなくなる.ここからは,ひたすら舗装道路を下り続ける.ときどき自動車が通り抜けるが,落ち着いた雰囲気の道である.
やがて,進行方向左手の下の方から,賑やかな子ども達の声が聞こえ始める.この声を聞いて,あの声は五常ノ滝から聞こえてくるんだと確信する.
子ども達の声に誘われて,左に分岐する道路脇の小径を下る.そして,13時13分,五常ノ滝に到着する.数十人の小学生が滝の見物に訪れている.ボーイスカウトかな.
私たちも滝を眺めながら,7~8分の間,滝を眺めながら休憩を取る.
■武蔵横手駅
滝と子ども達に別れを告げて,13時20分,再び歩き出す.滝壺付近の滑りやすい岩や石で,滑る人が続出する.私は滑りやすいところを先に通過する.振り返って,参加者の皆さんの様子を見ていると,危なっかしいこと,見ている方でヒヤヒヤする.ただ,滑っても濡れるだけで,よほどのことがない限り.怪我をする心配は余りない.
その後も単調な道が続く.私は地形図を眺めながら現在地を絶えず確かめる.本当は参加者一同に,私と同じように現在地を確かめて貰いたいのだが,大半の方々は,結局,地図も見ずに付いてくるだけ.途中で,内心,腹が立ってくる.
「他人任せで,良いんですか・・お前さん方・・」
私は心の中で怒鳴りつける.私の腹が立つ建たないより,幹事長と私だけが地図を見ているだけでは,安全確保上大いに問題である.なぜ,そこんところが分からないのか,実に歯がゆい.
やがて山下の聚落に到着する.長閑で住みやすそうな家が並んでいる.
「あと,100~200メートルで武蔵横手駅ですよ・・」
と激励のために皆さんにいう.
予定通り,13時48分に,武蔵横手駅に到着する.のどかな田舎駅である.電車は1時間に2本しかない.次の電車は,14時20分発半の行である.私たちと前後して数人のハイカーが駅に到着する.
随分と待ち時間がある.駅のベンチに腰掛けて,ノンビリと電車を待つ.その内にボースカウトの数段がホームに入ってくる.ホームが賑やかになる.
■池袋経由で帰宅
東飯能駅で,池袋行ナントカ急行に乗り換える.幸いなことに座席に座れる.ノンビリした陽気に誘われて,すぐに眠くなる.その内に電車の窓枠に頭を支えて貰いながら池袋に到着する直前までグッスリと寝てしまう.
池袋で湘南新宿ラインの電車に乗り換える.混雑していて横浜まで立ちんぼ.
17時丁度に帰宅する.
<ラップタイム>
9:30 高麗駅歩き出し
9:47 鹿台橋(男坂経由)
10:24 鳥居(10:32まで休憩)
10:39 日和田山山頂(10:55まで休憩)
11:06 高指山入口
11:27 物見山山頂(12:03まで昼食)
12:39 北向地蔵
12:52 権現堂(12:57まで休憩)
13:13 五常ノ滝(13:20まで見学)
13:48 武蔵横手駅 着
[山行記録]
■水平歩行距離 9.0km
■累積登攀高度 499m
■累積下降高度 503km
■所要時間(休憩時間込み)
高麗駅 発 9:30
武蔵横手着 13:48
(所要時間) 4時間18分(4.02h)
■水平歩行速度 9.0km/4.92h=1.83km/h
(おわり)
「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f36c1b055611befb2547f15a50604349
「関東・上信越の山旅」の次回の記事
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