<路地を行く>
[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第1日目(3);依田川を遡る
(五十三次洛遊会)
2010年9月11日(土)~13日(月)
※本稿の初出は2010年12月22日である.
初稿の地図の差し替え,本文の加除修正をおこなった.
第1日目:2010年9月11日(土) (つづき)
<ルート地図>
■依田川
■観音橋
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<和田宿から一の橋まで>
■双体道祖神
14時32分,高札場跡を通過する.この辺りで和田宿を通過,宿外に出る.
14時44分,双体道祖神,14時48分,「右諏訪街道,左松沢歩道」という刻字の石造りの案内板を通過する.鍛冶足の五叉路交差点で,国道142号線(中山道)を横切る.そして,川沿いの道に入る.この辺りに日本橋から50番目の和田一里跡がある.
<双体道祖神>
■薄暗い寂しい道
何となく薄暗くて寂しい登り坂が続く.
14時58分,道端に白い字で「中山道」と書いてある青色の案内標識を見付ける.心細い気分が幾分癒される.
この道標を通過してやや急な坂道を登る.そして,15時06分,再び国道142号線に合流する.
<中山道道標>
■案内杭を頼りに
中山道を歩いていると,ときどき下の写真のような案内杭が立っている.この杭を見ると,間違いなく歩いていることが確認できるので,ホッとした気分になる.
<中山道の案内杭>
■そば処「黒曜」
15時13分,そば処「黒曜」に到着する.黒曜が営業しているかしていないか分からないが,先を急ぐ私達は,そのまま通過する.
<そば処「黒曜」>
■食事処「杉の屋」と牛宿跡
15時17分,私達は漸く食事処「杉の屋」に到着する.
杉の屋の近くに牛宿跡がある.資料1(p.156-157)によると,「昔,幕府の用材の木曽檜を牛に載せて江戸に運んだが,この牛を泊める宿があったからの名なのか」という説明がある.
<食事処「杉の屋」>
■ドライブイン和田峠
15時34分,ドライブイン和田峠に到着する.ここで休憩.
ここから,今日の終点観音橋までは,あと2キロメートル程度.草臥れてもう大変という人は,このドライブインで待っていて貰うことにする.そして,残りの元気な方々には,予定通り観音橋まで歩いてもらう.そして,のペンションの車にピックアップして貰った後,ドライブイン和田峠まで戻って貰い,ここで落伍した方々を拾って貰うことにする.
10分ほど休憩を取った後,元気組は再び歩き出す.
<ドライブイン和田峠>
■一の橋
国道142号線に沿って西南西の方向にひたすら歩き続ける.
15時41分,一の橋に到着する.現在国道142号線から進行方向右手の側道に入って,現在の国道の橋よりも下に架かっている橋を渡る.
<一の橋>
<観音橋を目指して>
■茶屋本陣跡
15時41分,唐沢入口の標識た立っているY字分岐を道に入る.入った途端に,道幅の狭い鄙びた道になる.
地図を頼りに,多少心細くなるような道を進む.
「・・この辺りに茶屋本陣跡があるはずだが・・」
辺りをキョロキョロと見回す.
進行方向右手に,大谷石の門柱に「本陣」と書いた門札が填め込んである家がある.今風の平凡な造りの民家である.丁度,この民家の軒先に腰掛けている老婆がいるので,
「ここが本陣跡ですか・・」
と伺ってみる.
「そうですよ・・」
という答えが返ってくる.手許の資料2には,「羽田宅,藁葺き屋根の旧家がある」と記述されているが,既にこの旧家も現代風に建て替えられてしまった.
資料3(p.11)によると,ここには5軒からなる立場があったようである.
後になって,ここが本当に本陣跡だったのかな疑問になる.というのも,あるいはこのお宅の「姓」がたまたま「本陣」なのかもしれないぞ…とも思えるからである.もし,そうなら,名前を聞かれて,「そうですよ」と答えても一向におかしくないからだ.
<本陣跡>
■道なき道
茶屋本陣跡の道路を挟んで反対側に元茶屋の庭がある.地図で確かめながら,この庭をかすめるように続く踏み跡に入る.こんな所を通って大丈夫かな,叱られないかなと心配になる.草ぼうぼうの道なのか,それとも空き地なのかあまり判然としないところを,とにかく先へ進む.
<野趣溢れる道を行く>
■唐沢の一里塚跡
唐沢入口の道標のところで再び国道142号線に合流する.そして,15時58分,江戸日本橋から51番目の唐沢の一里塚跡を示す石碑に到着する.
資料2によると,本来の一里塚は,今私達がいる場所から北へ500メートルほど離れた森の中にあったとのことである.ここには,今でも二つの塚が残っていて,国史跡に指定されているようである.
今回は残念ながら,わざわざこの一里塚跡を見学にまわる時間はない.
<唐澤の一里塚>
■観音橋
今はもう9月中旬.夕方,暗くなるのが早くなっている.鬱蒼とした木々の間の道は,16時を過ぎると段々と暗くなり寂しくなってくる.暗くなり始めた道路を歩いていると,道路脇の白いガードレールだけがやけに目立ってみえている.
何人かの同行者の疲労はピークに達しているようである.
二の橋で依田川の左岸に渡る.さらに長くて単調な登り坂が連続する.
「あと少し・・あと少し・・」
と自分に言い聞かせながら登り続ける.
足の強い人と弱い人との間隔が広がり始める.そして,16時13分,ようやく今日の終着点である観音橋に到着する.ここで今日の宿泊ペンションの送迎車を待つことになっている.
観音橋は,美ヶ原高原方面と和田峠観音坂方面との分岐点に架かる橋である.
既に辺りは薄暗くなり始めている.
[参考資料]
資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
[加除修正]
2013/8/6 地図の差し替えと本文の加除修正を行った.
(つづく)
「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b8bc04134e1288bdeb58c411b54fc95b
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ae518e2de072e68309998bd469bed33b
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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