[復刻版] 東南アジア紀行[14] やっぱり日本もいいな
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日(木)
まずは,手納めに鎌倉日記を少々・・・(2012年注;これは1997年当時の日記)
秋の遅い鎌倉でも,12月になると,冷たい風が海から吹き付けるようになる.そうなると空も一段と高くなり,我が家からも6~7合目まで真っ白な雪化粧をした富士山がよく見えるようになる.澄み切った青空に紅葉が映えるようになると,とても家の中で,じっとしているわけにはいかない.そこで,暇さえあれば鎌倉の山中を散歩して回ることになる.だから,私は,四六時中,多忙なのである.
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1997年12月7日(日)
天気予報が「雨だ,雨だ・・・」と宣伝していたからか,大変天気に恵まれたにもかかわらず,例の天園ハイキングコースは,いつもの混雑が嘘のように閑散としていた.私は「鳥打ち帽」と2人で,鎌倉駅裏口を起点にして,朝9時から,そちこちの裏道や獣道を堪能した後,十王岩で昼食を摂った.そこで,偶然にも,Nさんとばったり会った.偶然とは不思議なものである.
(2012年注;鳥打ち帽氏は某大学教授で国際経営論の先生.2~3年前に定年退職した.)
1997年12月8日(月)
太平洋戦争の開戦記念日である.
当日のことを,私は,良く覚えている.子供心に「大変なことになった」と興奮していた.その後,父が応召し,どん底の生活が待ちかまえているとは,その時は,ついぞ想像すらしなかった.シンガポール陥落を祝って提灯行列をしたのを覚えている.あの頃,日仏印三国同盟なんていうのもあったな.あれから幾星霜.自分がそのシンガポールを訪れるなんて,当時は想像さえできなかった.
午前中から,どんよりと曇っていた.そして,天気予報は,午後から雨になると頻りに報道していた.だから,雨は,十分に分かってはいたが,千葉の「武骨」と,北鎌倉を起点にして,六国見山から円覚寺へ抜け,建長寺の半僧坊経由で,前日同様,天園ハイキングコースを楽しんだ.
途中から激しい雨に遭って,ずぶぬれになってしまったが,それでも風邪を引かなかったのが不思議である.私は毎日のように歩いているので,多少の雨でも,どうということもなかったが,途中で,さすがの「武骨」も,大分草臥れたようであった.そこで,近道をして,覚円寺へ下った.
(2012年注;「武骨」は私が大学生時代に同じ下宿に居た親友.私は工学部,武骨は経済学部の学生だった.卒業後もずっと仲良くお付き合いしていた人生の恩人.数年前に残念ながら他界した.合掌.)
1997年12月9日(火)
火曜日は,朝と夜に授業がある.こんな時に限って天気がよい.散歩したい気持ちを抑えて,朝一番の授業に励んだ.
その後,すぐ東京の広尾へ出て,某大手企業の研修センターで開催された研究会で「戦略的アウトソーシングの奨め」というテーマで,1時間ばかり講師をした.約30人の参加者がいた.
終わるとただちに,大学にトンボ帰りをして,夜の授業を行うという離れ業を強いられた.
1997年12月10日(水)
いつもはいろいろな会議があるのだが,今週に限って,会議が全くない.
午前中にいろいろな仕事を大急ぎで片づけて,またもや天園ハイキングコースを,ぐるりとまわる.途中,十王岩で展望を楽しんでいると,同年輩の紳士に道を尋ねられたので,
「それならば,ご案内しましょう・・・」
と瑞泉寺方向に歩き出した.そこへ,折から通りかかった中年のご婦人が加わった.2人を私が道案内する.途中,天園の茶店の側の岩塊の上から,獅子舞の谷を見下ろす.岩の下から強い風が吹き上げてくるので,まともに立っていられない.
獅子舞の谷の紅葉は,それなりに美しいが,例年のような華やかさはない.それが幾分寂しい.そういえば,昨年の丁度今頃,この岩の下の茶店で,昼食を広げていたときに,見事に紅葉した葉が1枚,おにぎりの上に,落ちてきたことを思い出した.あの紅葉した葉を,どこかへ仕舞い込んだ筈だが,どこへ仕舞い込んだか思い出せない.
百八ヤグラや,観光案内の掲載されていない枝道を案内すると,2人から,是非,またの機会に,私に案内して欲しいと懇願する.だが,束縛されるのは,どうも気が進まない.一期一会ではないが,出会いは別れの始まりということで,名前は名乗らずに,鎌倉駅で,そのまま分かれることにた.
「私は,暇さえあれば,鎌倉を散歩しています.また,どこかでお会いしたら,本に書いてない鎌倉をご案内します」
と挨拶して分かれた.
別れ際に,お2人に鎌倉駅西口近くの喫茶店「陶季」の優待券を手渡した(2012年注;陶季は数年前に廃業した).
「この店に行って,いつも鎌倉の山をフラフラしているオッサンに合ったといえば,ひょっとしたら私の身元が分かるかも知れませんよ」
と余韻を残した.女性の方は,そのまま鎌倉駅の裏口の方に向かった.
紳士と私だけが鎌倉の表駅前に残った.男2人だけが残ると,すかさず,
「もしかして,先生ですか?」
と紳士が私に聞く.
「えっ どうして分かったんですか?」
と私は吃驚する.紳士は,
「いえ,先ほど月,金,日がお休みというようなお話でしたので・・・」
「はぁ 実はお察しのとおり,教師でして・・・」
と初めて自己紹介する.
「実は私はS嵐高校の教員をしていて,一昨年定年退職しました.その後,すぐそこにある私立の○○高校の先生をしている××といいます・・・・・」
と紳士は言う.そこで,おたがいに安心して,改めて名刺を交換する.
(2012年注;正確に言うと月,金はお休みではない.たまたま授業がないだけ.授業以外の業務や研究をしなければならない.ただ,ある程度時間が自由になるので,ときどきは小さなノートを持って散策することもあるという意味である.)
こんな出会いが,鎌倉の山の中では,ときどきある.
それにしても,かくも沢山出版されている鎌倉案内には,どうして,どれもこれも同じことしか書いてないのか,調査不足も甚だしいと,私は勝手に憤慨している.
1997年12月12日(金)
■発想は野外で…
今日は授業がない.でも,年寄りだから,あい変わらず早朝から目が覚めて,起きだしている.日が差し始めると,4~5合目付近まで真っ白になった朝焼けの富士山が,わが家からもくっきりと大きく見える.もうこうなると,家の中で,じっとしているわけには行かなくなる.早々に最低限の片づけごとを済ませて,ノートと筆記具を携えて,「鎌倉の山の中」という勤務場所へ出勤することになる.こうなるとマンネリ化しているこの「奇行」の続編を書く気力も薄れる.
~~
富士山 / ̄ ̄\ ~~~雲
/ \ ~~~~
/ \
/~~~~~~~~~~~ ~~~~雲~~~~
/ \ / ̄ ̄ ̄\
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ \
 ̄ ̄ ̄\ 箱根 \ / ̄ ̄ ̄ 丹沢山塊 ||
伊豆 ======= || =海岸線=|==^^__|∥∥ ||||
茅ヶ崎~~舟~~~~海~~== 「]|=^-~=~[^ == 藤沢 ||||||||||||||
||||||||||||||||||||| ~~~~~~^^]|_> ||^^_・・{|##||||||||||||||||||
|||||||||||||||||||||||||||||||||| ^^^^^^ ^^ ||||||||||||||||||||||||森林|||||||||||||
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||近所の山や家|||||||||||||||||||
<わが家の2階からの眺望>
(12月12日,朝焼けの富士が,ことのほか見事であった.)
幸いなことに,この会議室(2012年注;ARENAというパソコン上の会議室;今は閉鎖されている)も,
「お後が宜しいようで・・・・・」
という恵まれた状態になっている.
だから,富士山を眺めながら,そそくさと目の前の仕事をまとめてしまい,陽が上がったら散歩に出たいと思っているのである.
蛇足ながら・・・・
私たち研究者は,常に新しい研究テーマのことや,自分の研究分野のことを考え続けている.しかし,立派な机の前に座っていたのでは斬新なアイデアは中々生まれてこない.山野を散策している間に,ふと思いつくことが実に多い.だから,私,は閑さえあれば,小さなノートを持って,散歩をしている.そして,何か思いつくと,すかさず,そのノートに書き留める.
■鶴岡八幡宮の裏山,十王岩からの眺望
十王岩から鎌倉を見下ろす眺めは,今日も絶景であった.
初冬の海が,淡い太陽の光を反射して,鈍く光っている.真冬の風の強い日には,大島の右側に,尖った三角形の形をした遠い島が見える.島の名前は分からない.ここは,何時来ても,何回来ても,どれだけ長い時間居ても飽きない景色である.
眼下に,若宮大路と「段葛」が見える.ご存じの通り,「段葛」は,八幡様直前の道幅が狭く,海よりの二ノ鳥居の辺りの道幅は2倍程度になっている.だから,こうして高いところから「段葛」を見下ろすと,錯覚をおこして「段葛」が海に向かって上り道になっているように見える.これがまた,面白いところである.
今日は,大島もよく見える.伊豆,箱根も連なって見える.由比ヶ浜沖には,ヨットが数隻浮かんでいる.私は,ぼんやりと風景を眺めながら,年末までに仕上げなければならない仕事の段取りを考えていた.
冬の日が暮れるのは早い.
午後の3時過ぎには,麓まで降りていなければならない.遠くに見える「名越」の焼却炉の煙突を見ながら,今日はそこまで廻る時間はなさそうだなと思っている.
「そんなら,今日はゆっくりと天園だけで済まそう」
と考えると,ますます気が楽になって,長時間,ジッと座り込んで,眼下の鎌倉を眺め続けていた.
遠くの島
↓ ____~~~雲
大島 伊豆半島 /箱根 ~~~~
/ ̄ ̄ ̄ ̄\/\ ------------ ̄ ̄ ̄____ 江ノ島
||| ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」_~~~~~~~~/\~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ |
光明寺 」_ 」_ 由比ヶ浜 /||||||||| 稲村ヶ崎
||||| 材木座海岸 -------------------/|||||||||
|||||||||~~~~~~~~~~~-----------------~~~~####### || 大仏___________
名越■||||||| #####//############# |||||||||||||||
|切り通し|||||||||| ######//###鎌倉市内 |||||||||||||||||
||||||||||||||||||| ####/ /###### ||||||||||||||||||||||||||建長寺
瑞泉寺 |||||||||||||||| / / 段葛 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||方面
裏山 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八幡様裏山 ||||||■十王岩|||||||||||
<十王岩からの眺望>
(海が柔らかい冬日を浴びて光っていた)
-鳥瞰図のつもりだが,うまく見えるかな?-
■獅子舞の紅葉
獅子舞へ降りる.
数日来の寒波で,殆ど諦めかけていたモミジが,ものの見事に真っ赤に紅葉していた.これほどまでに紅葉するとは予期していなかった.例年に比較すれば"凛"としたところは多少薄れるが,それでも澄み切った青空を背景にして逆光で見上げるモミジの美しさは例えようがない.
1997年12月13日(土)
■土曜日の朝は早い
早朝,6時30分に家を出る.朝一番,8時50分から大学院の授業が始まる.
土曜日は,私の家から大船へ出るバスが,1時間に3本しかない.また,大船から金沢八景行きのバスも,1時間に3本である.そんなこんなで,土曜日はかなり早く家を出なければならない.それもこれも,社会人大学院の朝1番の授業を担当しているからである.
8時50分に授業を開始するが,社会人である学生諸氏は8時30分頃には見え始める.だから私は,8時15分には大学に出勤するようにしている.
10時30分からは大学院修士の演習の時間である.本学とは全く関係のない方も,共同研究のために,何人か合流する.そして,外部の方も,学生も,私も渾然一体になって,共通のテーマに没頭している.こんな週末が,すでに何回も続いている.
学生の中に社会人が居ると,授業が活発になる.私も社会人の経験が長いので,話が良く通じる.そんなこともあって,社会人学生とは,話が良く合う.だから,私も授業のし甲斐がある.
■祝い事に「ソカさん」が来てくれる
本当は,授業が終わった午後に,朝比奈切り通しを散歩したい.だが,今晩,私の学位取得のお祝いパーティを仲間が開いてくれる.
この年になって,今更学位でもないが,民間企業に定年間近まで勤めてから,大学の教師になった私は,自分の専門分野の知識の体系化と,これまでの実務経験をきちんと整理したかった.そのために,東京にある某国立工業大学の先生の指導を受けながら,足かけ3年掛けて博士論文を纏めた.学位取得までには,越えなければならない色々が儀式があり,その度に何回も挫折しそうになったが,漸く,博士(学術)を取得することができた.いわゆる論文博士というやつだ.
私が学位を取得したことを聞きつけた先輩,同僚,研究仲間達,50名ほどが集まって記念パーティを,今日,開いてくれる.まことに有り難く光栄である.
会場は横浜駅前の国際ホテルである.参加してくれる方の中には,久々にお会いする方も居られた.まるで忘年会のような雰囲気になった.まことに有り難いが,照れ性の私には,面ばゆくて困る.
会が始まってから,少し遅れて.「ソカさん」が現れる.今回のマレーシア,シンガポールの旅にご一緒したばかりの慌ただしい最中に,わざわざ出席してくれる.本当に有り難い.
「ソカ」さんは頭をかきながら,
「いや~ 間違って新横浜駅に行ってしまいました.慌てて横浜駅へもどったんですが,飛んでもない方に歩いていって,迷っちゃいましたよ.また,駅まで戻って,道を聞き直して,やっと来ましたよ・・・」
と照れる.
「ソカさん」は,相変わらず陽気である.
「「ソカさん」,日本でも道に迷うんですか・・・!」
と私は半ば呆れている.
「ソカさん」達とは,
「また,海外研修に行こう!」
と話が弾む.
(2012年注;ソカさんは開催の某国立大学の教授だったが,数年前定年退職.今は小田原で悠々自適,文字通り晴耕雨読の生活を楽しんでいる.)
(完)
「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a928290c9ca2e4ffb4b31bdef1cf8e2c
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/04f3897aaaef2734af3caecf3e2a4094
※次回からは「台湾訪問記」
「東南アジア紀行」の最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/69089d3ed134b200e641d549e9f62a9c
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[編集後記]
2012年2月29日(水)
■自分の生き様を記録に残そう
やっと,東南アジア紀行の編集が終わった.
当ブログをご愛読頂いている皆様方には,登山と全く関係のない古くさい記事の連載だったため,折角アクセスして頂いたのに期待はずれのことだったと思う.誠に申し訳ない.
ただ,私ももうすぐ卆寿を迎える.
お陰様で,今のところは体に特段の不具合もなく,何とか元気に暮らしているが,何時何があってもおかしくない年齢だなと自覚している.そこで,何よりも自分のために,過去に書き散らしたままになっている資料を整理しておきたいなと思い始めた.その一環として,もう15年も前の旅行記を,当ブログを使って纏めた次第である.
15年も前のことでも,改めて整理し直すと,当時の細々としたことも,つい先ほどのことのように鮮明に思い出すことができる.あの頃はさすがに若かったな,行動力があったなと,懐かしく思い出される.その一方で,過去の自分の生き様を見直すことによって,これからの自分の効き方に,何らかの示唆が得られることに気がつく.そして,今の私が抱いている感想は,「自分の生き様は克明に記録しておくことが大切」ということである.
■さて…次回は…
今回で「東南アジア紀行」は無事完了だが,引き続き「台湾紀行(仮題)」を纏める予定である.
台湾紀行の原稿は3.5インチのフロッピーディスクに記録されている.当然のことながら,私が現在使っているノートPC(Panasonic CF-F8)にはフロッピーディスク読書装置は付いていない.そこで2世代ほど古いPCを購入したときに一緒に購入した外付けフロッピーディスク読書装置をUSBで接続して使っている.
3.5インチフロッピーディスク上のデータはまだリカバリー可能だが,今更どうにもならないのが5インチフロッピーディスクやワープロ専用のフロッピーディスクにため込んだ資料である.もちろん,これらの資料も然るべき専門業者を探せば読むことも可能だろうが,それも面倒である.
私は棄てるに棄てられないこれらの資料を横目に眺めながらため息をついている.
「奈良平安時代の木片に書かれた泥まみれの資料でさえ読めるのに,たった10数年前の資料を読むのに苦労するとは・・・・技術の進歩って一体何だ・・・!」
大切な資料は紙に書いておくのが一番だな・・・これが私の偽らざる感想である.
“大切なものほど革新的技術は使うな! 古くて確かな技術を使え!”
これが究極の結論のような気がしている.
(愚痴おわり)
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