[復刻版] 東南アジア紀行[13] ♀・・・とゞ〆#%!”
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日(木)
<本題に入る前に>
■ジョホールバル水道あれこれ
さて,Nさんのご質問・・・
ジョホールバル水道の橋の建設費は,シンガポールとマレーシアのどちらが負担したかという質問だが,もともとはシンガポールもマレーシアも同じ国だった.さらに遡れば,共に英国領であった.この橋は何時作られたか知らないが,多分,シンガポールが分離独立する以前に作られたものであることは確かである.ただ,維持費もかなり掛かっているはずである.この維持費,どちらの国が,どのていど負担しているかは調べていない.次回,訪問のチャンスがあったら,是非,調べてみたい.
そういえば,シンガポールの植物園に隣接する広大な原始林はマレーシアのサルタン某氏の所有だという.一寸前まで,同じ国であった因縁で,マレーシアとシンガポールでは,いろいろなことが複雑に,こんがらかって,入り交じっている.
ちなみに,シンガポールの水は,この橋を渡って,マレーシアから供給されている.そして,その水をシンガポールで上水にして,この上水の一部を,逆にジョホールバル地区に送って給水している.この辺りの相互依存関係が面白い.しょっちゅう喧嘩しているのに分かれられない中古夫婦のようなものだ.競合と協調の併存,つまり会社間の関係に例えるならば,アウトソーシングによる戦略的連携をしているようなものだ.
■マレーシアは産油国か
次にマレーシアが産油国かという質問である.
マレーシアの1994年における原油産出量は,3,729百万kl,極東地区では,第1位が中国(17,120百万kl),第2位インドネシア(7,711百万kl)に次いで第3位である.ちなみに日本は,たった88百万kl(以上の数字は『世界国勢図会95/96』より).マレーシアは,一応,石油の輸出国でもある.なお,シンガポールは,いうまでもなく石油の輸入国である.
3番目のコメント,「工業団地見学は最初から予定していなかったか」というご質問である.勿論,当初から予定していたのだが,日本からわれわれに同行して案内していただくことになっていたK社の偉いさんが,出発直前に急病になってしまった.そのために,偉いさんの案内がないものの,「工業団地の臭いだけでも嗅いで置こう」という気持ちで,無理矢理,見て回った次第である.
さて・・・
**********************************
第13話 「♀・・・と,ゞ〆#%!”」
■夕方から全員で散策
1997年9月1日.月曜日の夕方から夜の話である.
午前中はK社,午後はパシアグタング工業団地を,せっかちに,一回りしてきたわれわれは,終日案内役をしていただいたK氏をお見送りした後,各自部屋に戻った.つかの間の時間に,シャワーを浴びたり,多少ぼんやりしたりだったが,ラフな格好に着替えると,すぐロビーへ戻る.
今夜は「真面目」の提案で,全員で散歩することになっている.いちいち拘束されるのも辛いが,これもグループ旅行では致し方ない.
集合は18時,ロビーである.
リーダの「真面目」が,とにかく団体行動をしたがる.私は,内心,そろそろフリーにして貰いたかったが,これまた,やむを得ない.
■再びオーチャード通りを歩く
「折角,シンガポールに来たのだから,オーチャードロードを散歩しよう」 ということになった.私は「ナイトサファリ」辺りまで行ってみたかったが,暑さに負けた数名の方々に,そんな元気がないので,これもやむを得ない.
「真面目」「ゴムゾーリ」「貴公子」「ソカさん」「煙突」・・・それぞれが,だらしなく,ぶらぶら歩きでオーチャードロードの南端から北へ歩き出す.
\\
\\
\\
●\\
大丸 \\●TANGS百貨店
\\
オ \\ ▲地下食堂
| \\ ●ヤオハン跡
チ \\ ∥
ヤ \\ ∥「ソカさん」が興味を持った暗渠
| \\
ド \\ ●大統領官邸
通 \\
り||▲ほったて小屋風の店
| \ 映画館
\ |(この辺りから
|| 薄暗い通り)
||
公園風||●博物館 ||
___||_______
___ _______→国際会議場
| |
ラッフルス|| ●
スクエア || われわれの
____ ホテル
マーライオン / \
∴/ \ 工事中
| 海 |
\
■次々にウインドウショッピング
オーチャードロードもホテルの付近は商店が少ないためか,何となく薄暗い.
薄暗い道を,トボトボと歩き続ける.
昨日,1人1万円で食べた華料理店や,シニアメンバーになって入った博物館の前を通りすぎる.
大統領官邸から5分ほど手前に,売り場面積50坪ばかりの「ほったて小屋」風の衣類雑貨を扱う店があった.「ゴムゾーリ」が先頭になって,ぶらぶらと店に入る.品質は何とも名状しがたいが随分と安い.ズボン,革靴,衣類などが所狭しとばかり並べられている.こういうのを,冷やかしに眺めているのも,随分と楽しいものである.
行き当たりバッタリに,次々に店に入って冷やかしてまわる.でも,だれも何も買わない.ジャストルッキングも楽しいが,気温が高く,少々蒸し暑いのが,玉に瑕である.
「どこかで夕食をとりましょう」
とだれともなく言い出す.
■猥雑な大食堂
丁度,右手のビルの地下に大きな食堂がある.中に入ってみる.ムッとする人いきれがする.150人ほども座れると思われる広い客席の周辺に,いろいろな食べ物屋が並んでいる.自分の好みに合わせて,適当な店から食料を仕入れて,真ん中の客席に持参して食べる仕組みである.沢山の現地人で混雑している.日本人も当然いるだろう.だが,同じ肌をしているせいか,あまり目立たない.
「ざ~っ」と店を見て回る.麺類,餃子,チャーハン等々,何でもござれである.いろいろな食べ物の匂いが混ざって,何とも名状しがたい臭いになって漂ってくる.それにしても安い.如何にも庶民的である.
私は,気取りのない,こういう雰囲気が,大好きである.
「ここが良い! ここで夕食を済ませましょう!・・・」
と私は提案する.
でも,あまりに客が多いせいか,室内の冷房が殆ど利かず,やたらに蒸し暑い.「真面目」は暑さに弱いし,大衆的なところは好まない.
「よそへ行きませんか」
と「真面目」は苦笑しながら,別の提案する.
もとより,私は,どこだろうと,食べ物にありつければ,それで構わないので,反対する理由はない.だからただちに賛成する.
「適当な,レストランはないかな・・・」
とキョロキョロしながら,オーチャードロードを,さらに歩き進む.
■結局大丸デパートへ
19時30分.オーチャードロードの,ほぼ中央にある「大丸」に到着した.誰からともなく,ここならば食堂があるだろうから行ってみようということになる.
「大丸」の中に入る.広い店内は明るく清潔である.だが,お馴染みの日本の百貨店とは,どことなく異なった雰囲気を感じる.ただ,何が違うのかが良く分からない.あちこちの売場を冷やかしながら,4階までエスカレータを使って上る.
4階のエスカレータを降りたところに,小さな食堂がある.少々,野暮ったい感じの店である.店内には20人分ほどの客席がある.デパートにしては,随分とこぢんまりした食堂である.店の名前を「遊彩食(Family Restaurant)」という.日本食のお店なので「煙突」や「真面目」は大喜びである.一方,私は
「わざわざシンガポールまで来て,また日本食か・・・」
と辟易とする.でも口に入れば何でもいいやと思い直す.
結局,私は7シンガポールドルの「東京ラーメン」なるものを注文する.なぜ名前が「東京」なのかが良く分からない. 普段,アルコールを全く嗜まない「ゴムゾーリ」が,珍しくビールを注文する.
「へぇ~ どうしたんですか・・・?」
と周りから冷やかされる.
若い「煙突」もサラダやビールを注文する.
「今日は,何時もと違って,随分と安い夕食ですんだな・・・」
と金欠病の私はホッとしている.だが,いざ勘定となると,「煙突」が,
「現金を持っていないので貸して欲くれ・・・」
と言い出す.私は,内心,ムッとする.その理由は金額の多少ではなく,事前に,
「私は現金を持っていないが,どなたか建て替えてくれないか・・・」
と,なぜ,事前に相談しないのかという点である. 仮に,みんなが他人の懐の現金を当てにして,もし現金が不足したらどうするつもりなのだろうか,
「う~ん,これは何時か,きちんと,しつけなければいけないな・・・」
と思いつつ,飲めないビールを飲んでいる内に,私は忠告するのを忘れてしまう.
■食堂に忘れ物
20時20分に食堂を出る.
一階に降りた途端に,「煙突」が,
「"あっ!" 食堂にバッグを忘れてきた・・・」
と青くなって,4階に引き返す.
彼はパスポートなど重要なものを,全部,このバックに入れて持ち歩いているのだという.危なっかしくて見ていられないよ.全く!
そういえば,「煙突」は一昨年,深せんへ行ったときも,パスポートを,どこかへ仕舞い忘れて,出発間際に大騒ぎしたことがある.
忘れたのに気付くのが早かったために,バッグは消え失せていなかった.
「どうもスミマセン」
といいながら「煙突」が戻ってきた.ああ~良かった.
■中国系のデパートを覗く
また,ぶらぶらとオーチャードロードを,ホテルの方向に引き返し始める.途中,進行方向の左側にある「時家董(有)"TANGS"」という名前の中国系のデパートがある.
何となく,このデパートに迷い込む.
「大丸」とは違って,結構,安物が沢山陳列されている.Styled in Italy というふれ込みの革靴が,日本円換算で2000円ほどである.どことなく,くすんだ感じで,聞いたこともない銘柄の家電製品や,異様な色彩の雑貨が沢山置いてある.これは大変面白い.だが,買いたいと思うものは何もないのも不思議である.
■怪しげな人が付きまとう
大統領官邸の付近で,外国人に道を聞かれる.われわれは,地元の人間に見えたのかな?
この辺りから,商店の数が減って,道路が薄暗くなってくる.一行の内「煙突」だけが白いワイシャツにバッグを抱えている.一目で日本人と分かるのだろう.いかがわしい風体の人物が「煙突」に,そっと近付いてきて,
「綺麗な♀・・・と,ゞ〆#%!”・・・」
と日本語で,怪しげなことを,ささやきかける.
「・・・・・!?」
と「煙突」は憮然としている.
一方,われわれには,ちっとも声が掛からない・・・・・うらやましい,悔しい.
クアラルンプールの某社の「ドンチャカ騒ぎ」のときもそうだったが,何かにつけて「煙突」は,「?」に言い寄られるという特技がある.「煙突」は十分に年配なのに,独身だけあって,そこはかとなく"花"が,ほんわかと漂っているのだろう.それに引き替えて,残りの連中には,どことなく,うらぶれて悲哀が漂っている.
私を含めて他の人間は,この「いかがわしい風体の人物」から,完全に無視されていて,鼻も引っかけられない.これが,また,われわれの自尊心を傷つける
.特に「ゴムゾーリ」は,色が褪せはじめて斑(マダラ)になった赤いTシャツを,だらしなく着込み,ダブダブのカーゴズボンに,すり切れた"ばっちい"元白色のスニーカーを履いている.
しかも,暑いものだから,ズボン裾を,両手で引きずり上げながら,トボトボとだらしなく歩いている.これでも「ゴムゾウリ」は歴(レッキ)とした商学博士なのである.こんな不格好なオッサンと肩を並べて歩いていたのでは,だれからも声を掛けて貰えない.そうは言いながらも,私も,サンダルと,ダブダブのすり切れジーンズ姿で汚らしい.
■中国人と間違えられる
どこの国から来たのか分からないが,何人かの旅行者から,何回ともなく中国語で道を聞かれる.こちらが,中国語が分からないことに気付くと,皆,一様に
「きょとん!」
とする.これがまた,悔しい!
「ベランベ~ェ・・・・・俺達ヤぁ~っ,日本人ダド~ッ・・・聞きたければ日本語で聞け~え・・・っ」
って啖呵を切りたくなる.
■こうして長い一日が終わる
21時30分にホテルに帰り着く.何となく解散.
私は,近くのセブンイレブンへ飲み水を買いに行く.また,「ゴムゾーリ」は,土産のTシャツを買いに,ラッフルススクエアへ向かった・・・
「う~ん だって,まだ,お土産何にも買ってないんだ・・・・」
と「ゴムゾーリ」は,なぜか急に元気になる.
かくて,長い,長い1日は終わった.草臥れた.長い一日が終わった!
K氏は,無事,家に着いたのだろうか.
(第13話おわり)
(第14話に続く)
「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/85bc4f71156447234666891f23d67096
「東南アジア紀行」の次回の記事
(編集中)
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