[復刻版] 東南アジア紀行[12] パシア グタング工業団地
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日(木)
■朝食とコーヒー
1997年9月1日.月曜日.
今日から本格的にシンガポールの企業調査を開始する.
例によって,早朝5時に目が覚める.外はまだ真っ暗だ.まだ朝食までには時間がある.それまでの間,朝風呂に入ったり,某外資系の企業から依頼された2000字の原稿の構想をあれこれと考えたりしながら過ごす.原稿の構想は,どうもすっきりとは纏まらない.いつまでこんな堂々巡りをしているのだろうかと,少々厭になってくる.
漸く7時になる.早速,小さなメモをポケットに入れ,朝刊の英字新聞を持って,朝食のためにレストランへ行く.新聞は,どのページも「ダイアナ妃」の記事で満載であった.
ゆっくりと朝食を摂った後,コーヒーを楽しみながら,ぼんやりとしていると「真面目」が現れた.そこで,インフォーマルに,今日の行動予定について確認する.午前中は,全員でK社のシンガポールの現地法人を訪問する予定である.午後からは,ジョホールバルへ渡る組と,シンガポールで某団体を訪問する組の2班に分かれて調査する予定である.
■K社見学
すこし早めにロビーへ降りる.ロビーからホテル入口に向かって左側にある小さな売店で,マレーシア南部の詳細な地図を購入する.午後のジョホールバル工業団地見学のためである.
9時20分にホテルを出発する.K社には,ものの10分ほどで到着する.
スマトラやカリマンタンの大規模な森林火災のために,上空には相変わらず厚い煙霧が立ちこめている.そのために白い「のっぽ」な何棟かのスカイスクレーパの上層部が霞んで見える.
K社は界面活性剤製造販売から出発した有名な化粧品製造業である.しかし,今回訪問したK社のシンガポールの現地法人は,化粧品の会社というよりはエレクトロニクス関連の企業のようなイメージを受ける.調査内容を詳細に書けないのが残念だが,CD関連の事業を手広く展開している.さらには,毎月,200万個に達するCD-ROMのデュープリケーションを大規模に行っている.
また,ここには,7万カートンの規模に達する自動倉庫が整備されている.東南アジア地区のK社関連企業の中でも最大級の自動倉庫である.
日本から出向している若い技術者が,はきはきした物腰で,われわれを案内してくれる.事務所も拝見する.セールス部隊は,日本流の大部屋になっていたが,その他の部署はアメリカのように低いパーティションで仕切られた部屋になっている.そしてこれらの部署では,おおむね「1人1台」のPCが設置されているようである(2012年注;当時としては大変なIT先進企業である).
■二手に分かれて調査
11時40分にK社を出発.途中でA班の「真面目」「貴公子」達3人は,リムジンから下車して,近くの某公的機関の調査に向かう.残りのB班は,これから国境を越えてジョホールバルへ向かうことになっている.B班は「ソカさん」「ゴムゾーリ」「煙突」と私,それに案内役のK氏,ガイドの陳さんの6人である.
シンガポールを南から北の端まで横断する.その間,素晴らしい道路が続く.ほんの15分も走ると郊外に出る.それでも,きれいな団地や公園が次々に続いている.まさに,ガーデンカントリーである.こうして見る限り,すみずみまで整備されているようにみえる.
時々,雑談しながら時を過ごす.
Kさんがいろいろと話題を提供してくれる.
「・・・・ASEANで,右側通行の国は,ベトナム,フィリピンです.左側通行の国は,インドネシア,マレーシア,シンガポールです・・・・・・」
そういえば香港も左側通行であった.昔の地図で桃色に塗ってあった大英帝国に属する国々は,どうやら左側通行のようである.
■安いマレーシアのガソリン
13時頃,ジョホールバル水道に架かる長い橋の手前で,シンガポール側の出国審査を受ける.クアラルンプールからシンガポールへ入国するときにパスポートに挟み込んでいる出国カードには,次の旅行先が東京と書いてある.ここで,再びマレーシアに入国することになると,あとで面倒にならないかなと心配したが,私達の同じように,シンガポールからジョホールバルへ入る旅行者が大変多いためか,全く問題にならない.出国しても,出国カードは取らずにそのままにしてある.ただ,パスポートには「出国」のスタンプが押される.
橋を渡って,ジョホールバル側で入国審査を受ける.多少緊張するが,「入国」のスタンプが押され,難なく国境を通過する.旅行者のわれわれは殆ど待ち時間なしに通過できたが,一般市民は辛抱強く長い列を作って待っている.
国境の審査待ちの車が,橋の上で,長い列を作っている.
ガイドの陳さんの話によると,ガソリン代がシンガポールよりマレーシアの方が格段に安い.そのために,放置すると,シンガポール籍の自動車が,安いガソリンをマレーシア側で調達しようとする.それを防止するために,シンガポール車は,ガソリンタンク容量の4分の3以上,シンガポール側でガソリンを入れてから出国しないと,罰金をとられることになっている.まさにシンガポールは「罰金」「罰金」の息苦しい国である.
■再びマレーシアへ
陳さんがガイドできる区域はシンガポールだけである.したがって,マレーシア側に入った途端に,マレーシア側のガイドがわれわれに付き添う.だからマレーシア側に居る間は,陳さんも,一介の旅行者になってしまったようなものである.
マレーシア側のガイドは,名前は紹介されたものの,すぐ忘れたが,40歳代の落ち着いたインテリ風の女性である.
マレーシア側に一歩入ると,辺りの雰囲気が,何となく,のんびりした感じになる.ジョホールバル水道の岸壁に沿った道路端で一休みする.どのくらいの距離があるのか良く分からないが,目分量では1キロメートル以上あると思えるが,ジョホールバル水道の向こうにシンガポール島が横たわっている.こんもりとした緑の中に,ところどころに高層ビルの天辺が見える.ジョホールバル水道の水面に,どんよりとした空が反射して,にぶく揺らいで見える.
「・・・・第2次大戦中に,日本軍は,ここからジョホールバル水道を横切ってシンガポールへ上陸したそうです・・・・」
とKさんが説明してくれる.
途端に,数年前にシンガポールを旅行したときに,セントーサ島の中にある博物館のようなところで,蝋人形で出来た山下将軍の“Yes or No!”の場面を,忌まわしい記憶とともに思い出す.
「ソカさん」がすかさず,
「あぁ ここが日本軍の上陸したところですか・・・・ 実は私の前の勤務先の知人がこのとき上陸した日本軍の1人だったんです.何かにつけて,そのときの話を,何回も,何回も聞かされていたので,『どんなところだろう?』と思っていました・・・」
「ソカさん」は,感慨深げに,得意のスナップ写真を何枚も撮す.
足下の水面を見下ろすと,ポリ容器,紙屑など沢山のゴミが,波に揺られながら浮いている.水もかなり汚く濁っている.しばらく,ゴミを見ている内に,暗然とした気持ちになってくる.
「ガーデンカントリーに面しているのに,このゴミは一体なんだ・・・・! 看板倒れではないか」
と,私は感じている.
■レストラン「新香港」で昼食
「先ずは昼食にしましょう・・・」
とKさんがわれわれを促す.
Kさんによれば,上司から,われわれがジョホールバルを訪問したら「是非,案内して欲しい」と厳命されている美味しいレストランがあるという.そこへ案内したいという申し出を受ける.すでに予約もしてあるとのことである.
「実は,その上司と一回しか行ったことのないレストランなので,場所はうろ覚えなんです・・・でも,港の近くだったので,すぐ分かると思います・・・・店の入口に赤い蟹の絵が描いてあったと思います・・・・」
Kさんは,現地のガイドと相談しながら,程なく「赤い蟹」の看板のあるレストランを探し出しだす.
成る程,入り口の上に,大きな赤い蟹の看板が掛かっている.このレストランの名は「新香港(New Hongkong Restaurant)」である.レストランの綴りが,RERTORANでないところが,クアラルンプールとは違った印象を受ける. ここは,国境を越えて,ジョホールバル水道から,ちょっと中に入ったところにある.そういえば,ここはクアラルンプールからは,350キロメートルほど南へ下がったところである.もし,高速道路を使って南下したら,5時間程度は掛かるという.
「新香港」の店内は小ぢんまりしている.奥まった部屋の丸いテーブルに一同が座る.ガイドさん達は,われわれとは別行動を取っている.
「適当に注文していいですか? 何か嫌いなものありますか?」
とKさんがわれわれに聞く. 無論,異存はない.
春巻きのようなもの,魚,スープなど,いろいろな品物が円いテーブル一杯に並べられる.中華料理である.なるほど,K社の偉いさんご推奨の店だけあって,どの品も,大変,美味しい.
食事をしながら,いろいろと雑談に花を咲かせる.
「この辺りは新山といって人口は約80万人ほどです.シンガポールに比べると,物価も安いし,のんびりしていますよ.だから,この辺りに住んで,シンガポールへ通勤するのが理想なんです.」
「ただ,マレーシアには健康保険制度がないんです・・・・医者も少ないんです.」
Kさんによれば,外国で医師免許を取った人が,マレーシアへ帰国すると,5年間は国の病院へ勤務することが義務づけられているという.この義務を果たさないと開業できない.その間,随分と安い給料で働かなければならないようである.給料が安いといえば,先ほどのガソリンも安い.マレーシアでは,ガソリンの値段が,45円/リットルだという.乗用車の車検制度もない.
■ジョホールバル水道
ゆっくりと食事をしている内に,14時を過ぎた.
近くにはサルタンの住居や,史跡があるというが,平日の午後に観光しているわけにもいかない.
そこで,とにかく工業団地を,一目だけでも良いから見学しようということになる.
14時15分,レストランを出発する.暫くの間,ジョホールバル水道に沿って北上する.片道2車線で中央分離帯のある立派な道路が整備されている.中央分離帯には,木の名前は分からないが,並木が「ずーっ」と続いている.車の数はそれ程多くないので,どんどんと走れる.やがて,われわれを乗せた車は右折して東の方へどんどんとすすむ.
\
| マレーシア連邦
\ /
| ジョホールバル州 |
\ /
| 高速道路 パシアグタング |
\ ====●工業団地 /
| ∥ジョホールバル |
\ ∥ ∴新香港 /
\ / ̄ ̄∥ ̄ ̄\____/
 ̄ ̄ ̄ 橋∥ジョホールバル水道
\ マラッカ ∥/ ̄ ̄ ̄\
| 海峡 / ̄ ̄ ̄ ̄| 動物園  ̄ ̄ ̄\
\ | \ ∴  ̄\
| / | シンガポール |
| | ハ\ \
\ | イ| 植物園 |
| \ ウ| ∴ 国際空港
\ \ ∴ エ \ ●/
スマトラ島 | \ バード公園 | \ オーチャード通り
\  ̄ ̄ ̄ ̄\ | /∴マーライオン
| | ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\  ̄石油 | ̄ ̄ ̄ ̄\
| コンビナート \セントーサ島
 ̄ ̄ ̄
■猛烈なスコール
14時52分.突如として激しいスコールが降り始める.激しい雷が
「ピカリ,ゴロゴロ・・・」
と鳴りだす.
道路で跳ね返った雨が凄い飛沫になって,車にふりかかってくる.われわれを乗せた車はワイパーを激しく左右させながら「びしゃ~~」というような車輪の音を立てながら,豪雨をかき分けるようにして前進する.ほとんど見通しも利かないほどの強い雨である.
15時02分.先ほどまでのスコールが嘘のように雨が止む.ふと気付くと,路面が乾いている.ということは,あの激しいスコールは,ごく局所的な大雨だったということになる.
もともと椰子林であったところを切り開いた空間のあちこちに,工場や住宅団地が見え隠れする.何となく,密林の中に作られた工業団地のような印象を受ける.
この辺りには,化学関係の企業が集積しているように見受けられる.
辺り一面に紫色の花が咲き乱れているのが見える.
やがて,大きなコンテナーターミナルの脇を通る.5月に台湾の高雄へ行ったときに,やたらと目についたEver Greenのコンテナーがうずたかく重ね置きされている.その隣に台湾系と思われる樹脂関係の大きな工場が見える.
ここには,敷地面積が数万坪もありそうな企業が,何十社となく集積している.だから工業団地全体では大変な面積になると思われる.
■パシアグタング工業団地
広い道路を一回りして,もとの道に戻る.ここは港の近くだという.折角,出しなに買った地図があるので,場所を確かめようと思うが,どうも良く分からない.
やがて左手に,1キロメートル四方もあるかと思われる見渡す限りの荒野が広がり始めた.密林を切り開いたばかりらしくて,一面に赤土が露出したままになっている.なんとも無惨な姿である.あちこちのクリークには,赤土を含んだ赤い水があふれるように流れている.痛々しい光景である.
ガイドに,この工業団地の正式な名称を聞く.発音が不明瞭で聞き取れないので,紙にスペルを書いて貰う.ガイドは手慣れた手つきで,私の差し出した小さなノートに,「PASIA GUTANG」と書いた.つまり,パシアグタングという名称の工業団地であることが分かった.
15時40分頃,ジョホールバルの郊外に戻る.途端に,郊外型の大型スーパーや大団地が目につくようになる.大きなスーパーにはCariforとかMakroと書いてある.車の数が増え出す.道路も片道3車線になる.そして,町並みもゴチャゴチャしてきて,何となく,薄汚れてうらぶれたダウンタウンの様相を呈しはじめる.近代化とカオスが一度に颱風のように襲ってきたような印象を受ける.
■ホテルへ戻る
16時頃,マレーシア側の国境に到着する.一般市民の出国窓口は,何十人かの列ができていて大変混雑している.わたしたち観光組は,別の窓口から,いとも簡単に出国手続きを済ますことが出来た.その様子を見ていた家族連れの一般市民の子供が「どうしてあの人達だけ早く通れるの」と親に聞いているのが,子供の拗ねたような仕草で分かる.
マレーシア側のガイドとは,ここでお別れである.ふたたび陳さんがガイドとなる.シンガポール側の入国審査も簡単であった.しかし,シンガポール側に入ると,途端に街の様相が一変する.まさにガーデンシティーに入ってきたなという感じである.
次々にビルが立て込んでくる.大した渋滞もなく,16時にホテルへ帰る.
考えてみると,今日は何をしにジョホールバルまで,わざわざ行ったのだろう.ただ,ただ,大雨の中を,ひたすら自動車で走り回ったに過ぎないのではないかと思い始める.結局,この工業団地に関する数値的な情報は何も得られなかった.しかし,工業団地の雰囲気は良く分かった.この目で,団地を一目見たことは,Seeing is brieving になることは間違いないということにしておこう.
Kさんは,その足で,今日中にクアラルンプールへ帰るという.昨日はマレーシアの建国記念日,そして今日は連休だったという.その間,Kさんには大変お世話になってしまった.Kさんを見送って部屋に戻る.早速,風呂に入って汗を落とし,洗濯をする.まだ,少し時間があるので,性懲りもなく例の2000字の原稿の構想作りをやるが,やはり途中で行き詰まってしまった.そこで構想は,また放り出された.
■オーチャード通りに繰り出す
今夜は,18時にロビー集合後,全員で夕食を摂ることになっている.今夜こそ,夕食は簡単に済まそうと心に決めている.18時05分には全員揃う.
「少し歩いてみませんか・・・」
と「真面目」がいう.
私自身も,今回の旅行中,ず~っと運動不足だと感じていたので,勿論,散歩には異論はない.そこで,全員揃って,オーチャード通りを目指してぶらぶらと歩き出す・・・・・
(第11話おわり)
(第12話につづく)
**********************************
[資料編] NさんとMさんのご質問にお答えする意味で今回は用語解説にします.
用語解説(1) 『ブミプトラ』
(参考資料:さくら総合研究所環太平洋研究センター編『マレーシアでの事業展開』さくら綜合研究所,1997年,28~30ページより一部抜粋編集引用)
■ブミプトラ
マレーシアの民族構成は,大きく分けてマレー系(ブミプトラ,「土地の子」の意)と非ブミプトラ系に分けられる.
一般に,ブミプトラはマレー系先住民族全体を指すが,その民族的背景にはいろいろある.
半島部の先住民族は総称してオランアスリ(Oran Asli)と呼ばれる.
アランアスリは,半島中央の丘陵地帯に住むセノイ族,タイ国境近くに住むネグリト族,および紀元数千年前に中国から移住してきたプロトマレーと呼ばれる民族から構成されている.
オランは「人」,アスリはアラビア語からきた言葉で「古来」や「良い生まれ」を意味する.サバ,サラワクのブミプトラ系としては,イバン族やカダザン族がある.
■非ブミプトラ
○華僑系
次に非ブミプトラ系のひとつである華僑系は,主に中国南部から移住してきた人々が多く,広東省,福建省出身者の割合が多い.華僑系の住民は,19世紀後半の錫の鉱山開発の時期に中国から大量に移民が流入してきたことにより急増した.
この移民に対して,英国植民地政府やマレー人のスルタンは,その生活管理を自治に委ねたため,同郷の者同士が頼りあって生活していく仕組みができあがり,マレー人との融合が促進されなかったという説がある.
○インド系
インド系住民も,19世紀末のゴム園の開拓にともなって急速に増加した.サバ,サラワクでは移民の流入が少ないためにマレー系住民の比率が高く,半島部では華僑系,インド系が多い.
■ブミプトラ政策の由来
1961年,ラーマン首相は,マラヤ連邦にシンガポールと英領北ボルネオ(サバ),サラワク,ブルネイを加えてマレーシア連邦結成の構想を発表した.
その後,ブルネイを除いて,マレーシア連邦が成立した.
しかし,マレー人優遇政策をとる連邦政府と,中国人が大半を占めるシンガポールとが対立,1965年にシンガポールは分離独立した.
しかし,民族的対立は解消されず,1969年にはクアラルンプールで大規模な人種暴動が発生した.その結果,ブミプトラを一層優遇するブミプトラ政策がとられるようになった.
ちなみにブミプトラは全員,回教徒である.
おわり
「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5287291127134c4b8f862aff521ba637
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a928290c9ca2e4ffb4b31bdef1cf8e2c
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