<府中宿脇本陣跡にて>
歩いて巡る甲州道中四十四次(第2回);(5)府中宿と大国魂神社
(五十三次洛遊会)
2013年4月14日(日) つづき
<ルート地図>
※再掲
<府中宿>
■府中宿の概要
資料2(p.270)によれば,府中宿宿内人口は2,762人.内,男1,386人,女1,376人.宿内惣家数430軒.内,本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠29軒であった.
資料3によると,「府中宿は,甲州街道の約7里半に位置する.国府や総社(大国魂神社社)が存在する武蔵国の中心部であった.鎌倉街道と甲州街道(現在の旧甲州街道)が交わる交通の要所には高札場があり,非常に栄えた宿場であった.これら街道は,豊臣秀吉が川越から,党側家康は平塚から府中へ鷹狩に訪れる街道であり,後には東西の甲州街道が幹線となったため,特に甲州街道に沿って六所明神を中心に発展した宿場である.」という.
なお,府中宿は番場,本町,おおび新宿の府中三町によって構成されているという.
■国府八幡神社
京王線の踏切を渡って,暫くの間,西へ歩き続ける.
14時30分,国府八幡神社参道入口に到着する.神社の本殿は,写真のように遙か先にあるもう,大分時間が押してきているので,参道入口で遙拝を済ませ,先を急ぐことにする.
資料1によると,聖武天皇の頃(724~748年),一国一社の八幡宮として創建されたという.祭神は言うまでもなく応神天皇である.大国魂神社の末社である.
<国府八幡神社>
■脇本陣跡
4j時38分,「新宿」という刻字のある石柱の脇を通過する.この辺りが府中三町の中の新宿にあたるようである.
14時42分.明治天皇行在所跡に到着する.資料1によると,ここは柏屋脇本陣があった場所のようである.
この柏屋の直ぐ隣に近江屋中屋平兵衛脇本陣跡があるようだが,見渡したところ,その痕跡すら見当たらない.j
<脇本陣跡>
■ケヤキ並木馬場寄進の碑
14時45分,「ケヤキ並木馬場寄進の碑」に到着する.この碑は府中市指定文化財である.
傍らにある案内板の説明によると,場田大門のケヤキ並木両側の歩道部分は,かつて馬場であり,「馬場大門」の名称もこれに由来するという.馬場は慶長年間(1596~161年)に徳川家康が六所宮(現在の大国魂神社)に寄進したものと伝えられている.
この石碑が,何時頃,誰によって立てられたのかは不明だという.ただ,江戸後期の誌『武蔵名勝図絵』には図入りで紹介されているので,その頃は有名だったという.
<ケヤキ並木馬場寄進の碑>
<大国魂神社>
■素晴らしい門
14時46分,大国魂神社に到着する.
大分時間は押しているが,ここだけは少々時間を取って参拝したい.神社入口で15分ほど自由行動の時間を取る.
資料には「大國魂神社は,武蔵国総社.旧社格は官幣小社で,現在は神社本庁の別表神社である.東京五社の一社.また,武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを祀るため,六所宮とも呼ばれる.」という説明がある.
浅学の私には,この説明でも良く分からないところがあるが,まあ,これ以上の詮索はしないことにしよう.
参道を2~3分進むと,きらびやかで素晴らしい門がある.この門の名称は調べていないので分からない.
門の先の突き当たりに拝殿らしい建物が見えている.
<素晴らしい門>
■拝殿で詣でる
立派な門を潜ると拝殿(正式な名称は違うかもしれない)の前に到着する.立派な拝殿である.
今日は日曜日ということもあってか,沢山の参拝客が訪れている.あちらこちらに私たちのグループメンバーの姿も見えている.
<大国魂神社の拝殿>
■図らずもロケ現場見学
参拝を済ませて,ちょっと境内から外に出てみる.偶然,人だかりの中を通過する.
どうやら,テレビ番組のロケをしているようである.写真左側の建物の庇に「○○○警察署」という字が取り付けてある.乗用車の中から,有名な俳優○林○○氏が出てくる.○林さんは渋い味が持ち味,好感の持てる俳優さんである.
<ロケ現場>
■集合写真
大国魂神社の鳥居の前で集合写真を撮る.
ここでも,先ほどであった大人数のグループと出会う.彼らは鳥居の真ん前で.神様にお尻を向けて集合写真を撮っていたが,私たちはそんな不作法なことはしない.神様の通り道を避けて,集合写真を撮る.
皆さん,なかなかいい顔をしているし,歩道は一列になって粛々と歩かれるので,大変お行儀が良いなと思っている.
<集合写真>
<再び府中宿を歩く>
■現存する貴重な高札場
15時06分,大国魂神社の軒が戸を終えて,再び府中宿内を歩く.
歩き出して直ぐ,15時11分に,高札場に到着する.
資料5の説明では,「江戸には日本橋はじめ40個所ほど高札場があったといわれるが,多摩地域で現存するのは東大和市 の蔵敷高札場跡と府中宿の2個所しかない.府中宿高札場の場所は,東西にはしる甲州街道と北への 川越街道,南への相州街道との交差点に位置する交通の要にあり,道行く人々に報せる高札場の 好適地であった.」とのことである.
<貴重な高札場>
■長福寺
高札場から西へ夢魔って歩く.
15時14分,長福寺参道入口に到着する.民家の裏で少々暗くて陰気な感じの狭い路地が参道である.
“このまま通過しようかな…”
とも思ったが,本堂の写真だけでも撮っておこうと思って,駆け足で参道を駆け抜ける.境内は意外に広く,手入れが行き届いている.
本堂は八角形でユニークな形をしている.素早く写真を撮って,一礼だけの簡略参拝で,皆が待っているところへ戻る.
資料8によると,「正しくは古木山諏訪院長福寺.時宗遊行派(時宗).寺伝によれば,寛喜2年(1230年)天台宗として創建した古刹で,開山は一遍上人で,はじめに勝福寺と称した.その後,正応年間(1288-1292年)に遊行二祖真教の武蔵国巡化の際に時宗遊行派に改まったといわれている.」とのこと.
<長福寺>
■黒ネコ
15時20分,民家の軒下に置かれている段ボールの中で,黒ネコが気持ちよさそうに昼寝をしている.このネコ,見かけは少々怖そうだが,飼い猫なので人懐こく,なかなか愛想も良い.
「ネコちゃん…クロちゃん」
と呼びかけると,その都度,
「にや~ん・・・」
と返事をする.実に良い.
良く見ると,この段ボールはネコ用に半分に切ってある.それに段ボールの中には新聞紙が敷き詰められている.多分,新聞紙の下に何か敷いてあるのかもしれないが,ネコちゃんをどかさないと分からない.折角,機嫌良くお相手してくれるネコちゃんに迷惑を掛けたくないので,そのまま引き下がる.
<愛想の良い黒ネコ>
■高安寺
15時22分,高安寺に到着する.
まずは立派な山門に驚かされる.参拝を兼ねて境内を拝見する.
資料7によると「高安寺は曹洞宗の寺院である.開基は室町時代初代将軍足利尊氏であり,室町幕府によって武蔵国安国寺として位置づけられていた.なお,江戸時代初期までは臨済宗の寺院であった.寺の随所に古刹としての面影を残すなど,多摩地域を代表する寺院の一つである.」という.
<高安寺>
■高林吉利・野村瓜州の墓
高安寺の境内を散策する.
墓地の入口に,高林吉利と野村瓜州の墓があるという表示がある.浅学の私には,このお二人のことは全く分からないが,とにかく墓だけでもお参りしておこうと思う.
墓地入口にある案内図を頼りに探した結果,高村吉利の墓は直ぐ分かる.そして彼が初代代官だったことも墓地の説明で分かる.しかし,野村瓜州の墓はなかなか見つからない.時間も押しているので,こちらの方は見つからないまま,高安寺を出発する.
なお,資料8によれば,高林吉利は「徳川家康に仕えた武蔵国多東郡府中領の最初の代官」である.また,資料9によれば,「野村瓜州(のむら かしゅう,1736~1811年)は,江戸時代後期の日本の漢詩人,文人,教育家,名は維民,字は子則.通称は六郎右衛門.瓜州は雅号」である.
■京王線踏切
15時38分,京王線踏切に到着する.踏切を渡り終えたとき,案配良く踏切の警報が鳴り出す.
“しめたっ! 電車が来るぞ…”
私は,同行の皆さんには先に行ってもらって,電車が通過するのを待つ.
“ラッキ-!!…”
こうして,私はまた京王線の電車の写真も撮ることができた.
“3箇所の踏切の中で,2箇所の踏切で電車の写真を撮ったし,ネコの写真も撮ったぞ!”
私は一人悦に入っている.
<京王線の電車が行く>
[加除修正]
2013/4/22 「南武線踏切」を「京王線踏切」に訂正した.
(つづく)
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%AE%BF_(%E7%94%B2%E5%B7%9E%E8%A1%97%E9%81%93)
資料4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%8B%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%B8%82)
資料5;http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/tam/t035/t035.htm
資料6;http://genki365.net/gnkf04/pub/sheet.php?id=162
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%89%E5%AF%BA
資料8;http://www1.ocn.ne.jp/~ynosrtu/yougo.html
資料9;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E7%93%9C%E5%B7%9E
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墓地の一番東側の真ん中あたりにあります。
当家の本家が、野村家の位牌を預かり、名跡継ぎをしていたようです(祖父も、一度、野村の養子になっています。その時の養父も、本家から養子に入った、祖父の実兄でした)。