中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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小山敬三傑作集「浅間残雪」:浅間山登頂記(9)

2006年10月18日 15時50分02秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

         小山敬三傑作集「浅間山残雪」:浅間山登頂記(9)
                        (小諸グループ)
              2006年10月7日(土)~8日(日)


           ※http://ameblo.jp/flower-hillもご覧ください。

 次に紹介したいのは,小山敬三画伯が1972年に制作した「浅間山残雪」である。
 これがまた凄い。

■浅間山残雪

     <小山敬三画伯『浅間山残雪』(絵はがきより)>
 中央に残雪の浅間連山が描かれている。多分,佐久平辺りから描かれたものだろう。左に剣ヶ峰,その右に前掛山,浅間山山頂が聳えている。山頂からは噴煙が軽井沢方面に流れている。山頂は烈風に吹き飛ばされたためか,残雪はなく,寒そうな岩肌が露出している。でも,山麓では,もう若葉が生き生きと芽生えている。手前の梅は満開である。早春の信州である。
 この絵の信州には遅い春が訪れている。
 実にいい感じである! それにしても,浅間山はなんと表情豊かな山なのだろうか。 私は,前回紹介した「浅間山黎明」と今回の「浅間山残雪」,それに次回紹介する予定の「浅間山・風」の3枚が特に好きである。同じ山なのに季節によって素晴らしく変化する。 朝日を浴びて燃えたぎるように紅く染まる浅間山,それに対して鋼のように固く冷たい残雪の浅間山。この極端な対極は,正に私達が畏怖し,愛し続ける浅間山の本性であろう。
 私はこれらの絵から,体の中心から震えるような感動を覚えた。
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■回想
 信州の春は遅い。
 その昔,私は仙台にある大学で学んでいた。何しろ戦後の食糧難時代である。田舎者の私は,目まぐるしい大都会の東京へは出たくなかった。そこで,本多光太郎,中川善之助などの偉人の名前や,「杜の都」という美しい名前に魅せられて,仙台に行くことに決めた。今頃になって,下宿代や生活費を出してくれた両親に,心から感謝している。
 さて,新学期が始まると,春の遅い小諸から信越本線と東北本線を乗り継いで仙台の下宿へ戻る。列車が小諸駅を出発すると,左側の車窓には残雪の浅間山が見えている。軽井沢までは浅間山の山麓をトラバースしながら列車は進む。列車が進むと,時々刻々,浅間山は姿を変えるが,根っからの「小諸っ子」の私は,小諸から見る浅間の姿が一番素晴らしいと,今でも思い続けている。
 やがて軽井沢に到着する。早春の軽井沢は寒々としている。当時の軽井沢は,駅前にチョコチョコと家が並ぶだけの寂しいところであった。街を歩いても,人影はまばらであった。
 列車は,軽井沢で蒸気機関車から電気機関車に変わる。ここから先,横川まではアプト式である。標高差700メートルほどの急坂を一気に下る。列車の下り側,つまり横川側に2輌,軽井沢側に1輌の電気機関車が連結される。軽井沢駅で発車時刻となると,3台の電気機関車が汽笛を順次鳴らす。その汽笛を合図にして列車が「ガタン」と動き出す。そして,横川までの急坂をユックリと下り始める。
 蒸気機関車の汽笛は「ポーッ」という音がする。それに対して電気機関車の汽笛は「ピーッ」という鋭い音である。この電気機関車の汽笛を聞くと,いよいよ故郷を離れて遠くへ行くのだなという想いが強くなり,悲しく寂しい想いになる。
 列車は,軽井沢を出発して26個のトンネルを潜って,熊ノ平,横川の順に停まる。横川からは再び蒸気機関車に変わる。途端に列車の速度が速くなる。高崎に近付くと,関東平野が開けてくる。春が遅く,寒々とした軽井沢の風景に比較すると,関東平野は青々とした麦畑が広がっている。明るい春が一杯である。信州と比較して,何という違いだろう。私はこの風景を見る度に,
 「将来は,是非,関東平野のどこかで住みたいな・・・」
という強い願望を持っていた。
 私は,小山敬三画伯の「浅間山残雪」を見ながら,暫くの間,昔々の青春時代のことを回想していた。
                               (つづく)



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4 コメント

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美しき抒情詩なり、「小諸っ子の回想」・・ (エセ男爵)
2007-01-31 02:28:15
おはようございます。
等と、朝のご挨拶申し上げても、まだ夜中の1時58分、、、。
早い時間には決して飲まないウイスキーを夕方6時から飲み始めたところ、やはり早く酔いが回って昨夜は珍しく7時半から睡眠開始。朝の5時半に起床する心算が、何と夜中1時過ぎに目が覚めてしまい、こうしてflower-hillさまの「旧記事」に入り込んでしまっています。
おっしゃっておられたご出身「小諸」から列車(蒸気機関車電気機関車乗り換えられて)軽井沢より碓氷峠下るくだり、当時の情景とご心情、浮かんでまいります。
先週、長野で知り合った新しい友人との打合せあり、いつもなら彼らのほうから軽井沢に出向いてくれるところ、あえてこちらから上田市に出向き、上田東急インに2泊。打合せの後、上田城址を散策。翌日は丸1日かけて小諸を散策しました。めっぽう寒かったけれど日和良く、懐古園界隈を4時間掛けてうろつきました。勿論、小山敬三画伯の記念館に入り、納得行くまで作品を鑑賞しました。シーズンオフにて館内はがら空き、お留守番役の(この上なくお上品な)中年女性は、私の質問に対して快く受け答えしていただき、結果として絵画の解説をしてくださり、館内の概要等を案内して下さいました。
感想として、私自身どうも画伯の描かれている浅間山が理解できず、むしろ画伯の人物描写の絵画に深い造詣を見出した次第です。多くの浅間山絵画の良さ理解できず、未だに困惑している最中、flower-hillさまのこの記事に出会い、ホッと安心したところです。
実は私自身、晩秋から厳寒の冬にかけて浅間山しか見ていなく、やはりその場所その山を理解しようと思えば、最低でもまるまる1年はかかる。春夏秋冬に立ち会わなければその土地は理解できないもの。と、若き頃すでに達観したはずの「自己理屈」を持っていたことあらためて思い出します。
そんな気持ちを新たにし、あらためて画伯の浅間山を鑑賞したく思いなおした次第です。
上田と小諸の小旅行、拙ブログに於いてもあらためて連載記事かきたく思っています。
さて、こうしているうちに、
また眠くなりました。
そろそろ2度寝、開始します。
そして、お休みする前に、
あらためて拍手をおおくりします。
小諸っこflower-hillさんの「回想」、すてきな抒情詩です、、、。またもう一度拝読にお伺いし、加えてこのシリーズを通読させて頂きたく思っています。
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ご丁寧なコメント有り難うございました。 (flower)
2007-02-05 11:36:48
バロンさま
ご丁寧なコメント有り難うございました。
バロン様に,小諸に興味を持って頂き本当に嬉しく思っております。
ご指摘の通り,小山敬三氏の浅間山の絵は,いわゆる写真的な見方からすると,デフォルメがきつくて,浅間山ではないということになるでしょう。しかし,心象的に見ると,浅間山の本質的な姿を見事に表現した実に素晴らしい絵だと思っております。
もとより私は絵には素人ですが,それにしても,小山氏の絵を見ていると,そこから醸し出される情感に,心底からの共感を覚えます。
3月に入りますと,私の所属するNPO浅間山クラブも今年度の活動を開始します。
遅い初夏が訪れる頃,小諸在住の弟とともに,浅間山に登ってみたいと思っております。
その頃,バロン様はどこで何をして居られるのでしょうか?
なお,2月10日から約1週間,私はパプアニューギニアのウイルヘルム山(標高4500m)の登頂に出掛けます。その間,ブログへの投稿はできなくなりますが,帰国後は再会しますので,倍旧のご愛顧をお願いします。
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Unknown (Fujimi)
2014-05-06 12:42:47
決していい絵とは思えません。下手な絵です。浮世絵研究のパイオニア福本和夫は、一水会の小山敬三を名指して批判しています。
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コメント有難うございました (FH)
2014-05-06 17:48:19
Fujimiさん
コメント有難うございました.
私は絵の素人,だから絵の上手下手は分かりません.というよりそんなことどうでも良いと思っています.
要するに私自身が,感激した絵は,私にとっては良い絵ということになります.その意味で,どんな高名な方が名指しで批判しようと,そんなこと私には無関係なことだと思っています.
絵って,それで良いんではないでしょうか?
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