中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第1日目(2);犬目宿から大月へ

2013年10月03日 10時33分18秒 | 甲州道中四十五宿

                       <犬目宿から富士山を望む>

  歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第1日目(2);犬目宿から大月へ
            (五十三次洛遊会)
       2013年9月28日(土)~30日(月)

第1日目;2013年9月28日(土)(つづき
 

<ルート地図>



<犬目宿を行く>

■犬目宿の概要
 資料2(p.300)によると,犬目宿の宿内人口は255人.内,男,125人,女130人.宿内惣家数56軒.内,本陣2軒,旅籠15軒であった.
 昭和45年の大火で宿の6割が焼失し,殆どの家が建て替えられてしまったようである.残念!
 犬目宿に立っている案内板に書かれている説明文によると,「犬目宿は一つの村が「宿」どそのものになっていた.正徳2年(1712年),現在の聚落より600メートルほど下方の斜面(元土橋)にあったが,急遽そのまま現在の所に移住した.その翌年,宿駅起立の際に統一的意思により「一村一宿」の宿場として創設されたという.天保14年(1842年)現在,戸数56個,人口255名.本陣2,脇本陣0,旅籠15(大3,中3,小7).山峡の小さな宿場であった.」

犬目宿案内板
 見晴の良い木陰で休憩を終えた私たちは,10時10分,県道30号線に沿って歩き出す.
 10時18分,進行方向右側に,犬目宿の案内板を見つける.少々古くなった木片の案内板である,手前にある君恋温泉の案内板の陰になっているので,あやうく見落としそうになる.
 君恋温泉の案内板を見た途端に,つい半年ほど前に山仲間と一緒に,この辺りを歩いたことを思い出す.

<犬目宿の案内板>

立派なビルディング
 10時19分,突然立派な建物の脇を通過する.
 野趣豊かな山間の風景に染まっているときに,いきなら美しくて近代的なビルに遭遇したのでビックリしてしまう.
 玄関の上に「XXXXXX ENGINEERING XXXX BUIL」と書いてあるので,企業所有の建物のようである.

<立派なビルディングの前を通過>

■棚田を見下ろす
 見晴の良い道をノンビリと歩く.
 10時20分,進行方向左手を見下ろすと,小規模ながら棚田が広がっている.

<棚田を見下ろす>

犬目宿の案内板
 10時25分,犬目宿の案内板の前に到着する.
 案内板を眺めながら,私たちが歩いている現在地を確認する.

<犬目宿の案内板>

■犬目宿直売所
 10時25分,犬目宿直売所に到着する.
 あいにく,今日は閉店中である.直売所の前には,「犬目宿」と書いてある大きな石柱が立っている.
 数ヶ月前,山仲間と一緒に,扇山からの下山途中,この売店に立ち寄ったことがある.そのとき,何を勝ったのか,あるいは買わなかったか,全く覚えていないが,売店を出てから四方津駅前のテクテク歩きは,長くて辛かった.

<犬目宿直売所>

■奈良兵助の生家
 10時27分,奈良兵助の生家に到着する.生家前には「義民『犬目の兵助』の生家」と題した案内板が立っている.
 兵助が起こした一揆の次第は,この案内板に詳しいので,わざわざ説明をすることはしない.

<奈良兵助の生家>

法勝寺と千貫松
 10時25分頃,脇本陣跡と思われる所を通過する.脇本陣跡を示す立て札のようなものがあるはずだが,どうやら見落としてしまったようである.
 10時30分,法勝寺に到着する.
 法勝寺の由来などを,インターネットで調べたが,信憑性が高いと思われる資料は,いまのところ,残念ながら,見当たらない.
 資料1によると,ここは甲斐八十八ヶ所第六番札所である.境内には千貫松があったという.今も境内入口に大きな松が生えている.この松は千貫松の末裔だろうか.
 道を挟んで法勝寺の反対側に,本陣跡があるという,ここには明治13年に建造された岡部家があるようだが,どの家が本陣跡なのか分からないまま通過してしまう.
 
<法勝寺>                                             <千貫松の末裔か?>

■白馬不動尊鳥居
 10時36分,白馬不動尊の赤い鳥居の前を通過する.
 時間があれば,この赤い鳥居を潜って,不動尊を参拝見学したいところだが,今日のスケジュールがタイト.残念ながら見学は割愛する.

<白馬不動尊の赤い鳥居>

<君恋坂から大月へ>

■君恋坂を登る
 10時40分,君恋坂入口に到着する.入口の殺風景な壁に「右甲州街道古道」および「攻守道中」と書いてある板の案内板が打ち付けてある.
 私たちは,舗装道路から右折して,古道の君恋坂に入る.途端に,小石や礫がゴロゴロと転がる山道になる.

<君恋坂に入る>

■君恋温泉
 10時47分,君恋温泉に到着する.
 ここに到着した途端に,扇山からここまで下山したときのことを鮮明に思い出す.現在,この温泉が営業中かどうかは分からない.
 温泉前の広場で,数分間,立ち休憩を取る.

<君恋温泉>

■恋塚一里塚跡
 君恋温泉から坂道を下る.
 10時54分,恋塚一里塚跡に到着する.江戸日本橋から20里目の一里塚である.資料1におると,南塚は原形を留めているという.多分,この写真に写っている小さな山が南塚だろうと思う.

<恋塚一里塚跡>

■山住社
 一里塚を通過してすぐに,先ほど分岐した舗装道路(県道30号)に再び合流する.曲がりくねった舗装道路を進むと,集落に入る.
 10時58分,山住社に到着する.石段の先に立派な赤い鳥居と社殿が見えている.時間が押しているので,山住社の参拝と見学は省略する.
 山住社前の三叉路を右折して,集落の中の裏道に入る.

<山住社>

■深い森の中の道を行く
 集落を抜けると,鬱蒼とした山道になる.
 緩やかな登り坂である.私たちは,こぼれ日を拾うようにして,ノンビリ,ユックリと歩き続ける.森の中の路を歩くのは実に心地よいものである.

<深い森の中の道>

石畳道が残っている
 やがて古い石畳道に入る,この石畳は,何時頃作られたものなのだろう.手許の資料では良く分からない.
 暫くの間,林の中の閑静な道が続く,

<石畳道>

■いよいよ大月市内
 再び県道30号線に合流する.
 11時03分,上野原と大月の市境に到着する.

<いよいよ大月市>

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
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「甲州道中」の目次
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