中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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陽春の鎌倉:雪の下地区社寺史跡巡り

2010年04月27日 09時54分14秒 | 鎌倉あれこれ
                     <倒れた大イチョウの前で>

         陽春の鎌倉:雪の下地区社寺史跡巡り
             (鎌っこ倉ぶ)
          2010年4月24日(土)

<散策地図>




■朝のコーヒー
 今日は「鎌っこ倉ぶ」定例会の開催日.久々の好天気である.
 コーヒー専門店で,朝のコーヒーを1杯賞味したいと思って,集合時間20分前の9時40分に鎌倉駅に到着する.ところが集合時間を間違えたMさんとバッタリ.Mさんは鎌っこ倉ぶのガイドである.私はコーヒーを諦めて,Mさん(お師匠さん)と一緒に早めに集合場所の鎌倉駅西口に回る.
 西口には,いくつもの団体が集まっている.どの団体も,鎌っこ倉ぶ同様に,中高年の方々が圧倒的に多い.元気な年配者が多いのはご同慶の至りだが,同じ中高年層でも,平素丹沢の山で出会っている方々に比較すると,太めでヨタヨタした雰囲気を醸し出す人が多いような気がする.
 定刻,10時丁度に鎌倉駅西口から歩き出す.

■巽神社
 線路脇の裏道を北へ向かう.この辺りには,つい数年前まで贔屓にしていた喫茶店が次々に閉店してしまった.これらの喫茶店に通っていた頃のことを思い出しながら,最初の踏切で左折して今小路通りに入る.今日は土曜日.今小路にも沢山の観光客が歩いている.
 10時15分頃,巽神社前を通過する.
 巽神社は1801年(延暦20年),蝦夷遠征に向かう途中の坂上田村麻呂が葛原ヶ岡に勘定したと言われている(鎌倉市商工会議所(監),2009,p.115).
 どなたかが,
 「・・この神社は鎌倉の巽(南東)の方向にあるんですよ・・」
と言っている.申し訳ないが“知ったかぶり”をされている.すかさず,
 「・・で,どこから見て辰巳の方向なんですか・・?」
と意地悪な質問をしてみる.
 「・・どこからって・・鶴岡八幡宮からですか・・どこからだろう」
 「実は,巽神社は寿福寺の鎮守なんですよ.だから寿福寺から見て巽の方向に当たるんです・・」
と,私は昨年受験した鎌倉検定一夜漬けの浅はかな知識をひけらかす.ひけらかして直ぐに,内心で,
 「ああ・・恥ずかしいことをしたな・・」
と反省する.

<今小路を進む>

■窟堂
 寿福寺前の横須賀線踏切を渡って,窟堂(岩窟不動)を訪れる.
 窟堂のある場所が私有地なのかどうか知らないが,何となく入りづらい雰囲気がある.今日は同行者が居るので,思い切って路地奥の窟堂を参拝する.ただ岩屋の入口に金網が張ってあり,岩屋の中は,ほとんど見えない.
 資料によると窟堂は,1184年(文治4年)からあり,窟の中には不動明王が祀られているという(鎌倉市教育センター,2009,p.34).とにかく金網が邪魔で,不動明王を拝むことができない.残念.

<窟堂>

■川喜多映画記念館
 次いで,窟堂の隣にある鎌倉市川喜多映画記念館を訪れる.入場料は200円だが,鎌倉市の福寿手帳を持っている私は,有り難いことに無料で拝観できる.有り難いことである.
 真新しい館内に入る.
 実は,この記念館が完成したことは知っていた.また,何回も記念館の前を通っているが,これまで何となく入館する気にもなれずにいた.今回は,折角のチャンスなので,入館してみる.
 展示室には川喜多氏ゆかりの洋画が沢山展示されている.その中には,昔々,大学生だった頃(仙台で学生時代を過ごした),繁華街から少し離れたところにあった映画館で,2本建て30円で見たことのある懐かしい映画が沢山ある.実に懐かしい.あの頃,大学の授業料は半期1800円だったな・・それに,ラーメンは1杯35円だったな,などと当時のことを序でに思い出す.
 中でも映画「パリ祭」の写真を眺めていると,あの懐かしいシャンソンの調べを懐かしく思い出す.
 「俺にも青春があったなあ・・・」
と一人感慨にふける.
 記念館を出る.そこで,山の知人,浄明寺の仙人とバッタリ会う.源氏山へ散策に行く途中だという.お師匠さんが,
 「・・どうです.一緒に歩きませんか・・」
と仙人を誘う.仙人は行き先を変更して,暫くの間,私たちと一緒に歩く.
 



■倒れた大イチョウ
 鉄の井で鎌倉街道に出る.沢山の観光客とすれ違いながら,鶴岡八幡宮の境内に入る.丁度,舞殿出結婚式が行われている.舞殿の回りに沢山の見物客が集まっている.
 先日,倒壊した大イチョウが,にわかに注目を浴びていて,回りに沢山の観光客が集まっている.鎌っこ倉ぶも例外ではない.一同,倒れた大イチョウの前に暫く留まって見物する.
 仙人が,だれから聞いた話か分からないが,
 「・・倒れたイチョウの枝一本も,外部の人に持ち出させなかったんです」
と説明する.
 「葉っぱ一枚ぐらい貰えると思ったんですよ・・でも,貰えなかったです」
と参加者の一人が言う.

 

<鶴ヶ丘八幡具境内の白旗神社:国重要文化財>

■源頼朝墓・白旗神社
 横浜国立大学付属鎌倉中小学校,西御門を経由して.源頼朝墓を詣でる.資料(鎌倉市教育センター,2009,p.42)によると,この辺り一帯は法華堂の跡地.当初,この跡地に高さ1メートルほどの五輪塔が残るだけだったが,1779年(安永8年),薩摩藩主島津重豪によって,大御堂から現在地に塔層が移築され,さらに近年改修されたという.
 頼朝の墓を見学した後,白旗神社境内と,その手前の公園に分散して,休憩を取りながら,昼食.

<白旗神社> 



■北条義時法華堂跡
 昼食後,白旗神社から山裾の道を数十メートル進む.そして,左折して草むした石段を十数段登ると,草ぼうぼうの広場に出る.資料によると,ここは北条義時法華堂跡だという(鎌倉市教育センター,2009,p.42).国史跡に認定されている所である.同資料には,広場の西隅にあるヤグラが三浦氏の墓だと記述されている.


■大倉山ヤグラ群
 広場の北に2列に並ぶ長い石段を登る.登った先には3個のヤグラが並んでいる.向かって左側が大江広元の子,毛利氏,中央が大江広元,右側が頼朝の子といわれる島津忠久墓だといわれている(鎌倉市教育センター,2009,pp.42-43).島津氏は九州地方の大名.頼朝の墓を改修した島津重豪は島津忠久の末裔である.
 毛利氏の墓の片隅で,箒を持って盛んに掃除をしている人が居る.ここで何回もお会いしている博識な先生である.人見知りの私は挨拶しようか,それとも密かに退散しようかと迷ったが,意を決して,
 「先生,こんにちは.ご無沙汰しています.ご苦労様です・・」
と挨拶する.
 幸いなことに,先生は私の顔を覚えていてくれた.その後のヤグラ群の様子などを説明してくれる.先生の話によると,つい先日の大雨が,ヤグラの中に大量に染み込んできているという.
 「このヤグラが見られるのも,あとわずかかもしれませんね・・」
と悲観的である.
 先生は,ここ数十年,きわめて頻繁にこのヤグラ群を訪れているが,今回ほどの浸水は過去になかったという.
 「ヤグラの上の山に厚みがないので雨水が浸水してくるんですよ.この辺りは凝灰岩なので,崩れてくると防ぐ方法がないんです・・結局はご存じの“紅葉ヤグラ”と同じような方法で保存するしか方法がないんです・・・まあ,これも歴史の必然として,見守るしかないですね・・」
 このほかに,鎌倉時代と江戸時代の鏨や刀の製錬技術の差や,岸壁をへつり方の違い,あるいは正宗の名刀がが,なぜ,もてはやされたのかなど,とても貴重なお話を伺った.
 先生からお話を伺っている間に,同行の皆様は,とっくに石段を下ってしまう.私はもう少し先生のお話を伺いたかったが,同行の皆様に迷惑をおかけしても困るので,早々に引き上げる.

<三浦ヤグラ>

■覚園寺
 大倉山ヤグラ群を出発した私たちは,ここから真っ直ぐ覚園寺に向かう.14時から始まる覚園寺の説明に間に合うように歩き続け,13時45分に覚園寺に到着する.
 覚園寺は,1218年(建保6年),北条義時が大倉薬師堂を建立したのが始めである(鎌倉市教育センター,2009,p.51).
 覚園寺境内には私たち以外にも沢山の観光客が集まっている.
 やがて,覚園寺の坊さんが現れる.そして,正面のお堂に安置されている愛染明王像,不動明王像,阿悶如来像の説明を行う.何れも鎌倉時代の作だという.
 ついで,希望者だけ覚園寺境内の案内に参加する.参観料は1人500円.撮影禁止.


■鎌倉宮で一休み
 ここで何となく生来のドケチ根性がニョキニョキと,私の胎内に湧き上がる.
 「前回,境内を拝観したばかりだし,写真が撮れないなら,入っても仕方がないな・・」
と誠に不謹慎なことながら,参観はパス.
 同じ意見かどうか知らないが,仙人ともう一人の方,それに私の3人は,そのまま往路を引き返して,鎌倉宮の茶屋にしけ込む.タダで入るわけにもいかないので,120円也の缶コーヒーを購入する.料金を支払いながら,
 「ここで,120円支払うならば,覚園寺参観料500円との差は,たった380円.お前,380円が惜しくて,参観をしなかったのか・・・」
と私の心の中のもう一人の私が,呆れている.
 年金暮らしが長引くと,心も貧すれば鈍すで,とてもまずいなと反省する. 小一時間待っていると,覚園寺を見学した方々が集まってくる.大半の方々は,引き続き大塔宮土牢の見学に回る.その間,境内でボンヤリと待っている.

■小町通り「モア」で懇親会
 鎌倉宮を出発した私たちは,ほぼ往路を辿って,鎌倉駅に向かう.
 16時15分,小町通り「モア」に到着.有志だけで軽く懇親会を行う.少々歩き足りないが,久々にコテコテ観光鎌倉を楽しんだ.
 16時45分頃,お開き.私は鎌倉市役所前からバスに乗車.17時過ぎに帰宅する.

<モアにて:柄にもないものを注文>

[散策記録]

10:00  鎌倉駅西口歩き出し
10:10  巽神社
10:24  岩屋不動
10:20  川喜多映画記念館(11:02まで見学)
11:12  鶴岡八幡宮(11:35まで参拝・見学)
12:10  白旗神社(12:45まで昼食)
12:54  大倉ヤグラ群(13:15まで見学)
13:38  覚園寺(14:15まで見学)
14:30  鎌倉宮(15:19まで休憩)
16:15  小町通り「モア」着

[散策記録]

■水平歩行距離
       6.2km

■累積登攀高度       90m

■累積下降高度       90m

■所要時間(休憩時間を含む)
  鎌倉駅西口発     10:00
  鎌倉駅東口着     16:15
 (所要時間)  5時間15分(6.25h)
 歩行速度  6.2km/6.25h=0.99km/h

[参考文献]

鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会
鎌倉市商工会議所(監),2009,『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社

                             (おわり)
「鎌っこ倉ぶ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/bb995a268aab3e68a80face3a7c7cc51
「鎌っこ倉ぶ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3f8507a4e50182d07421ae02f61d0d17
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d23b37b14577ee3771971b56d48dd9c7



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