<座摩神社境内からの眺望>
善光寺街道;第3回;第1日目(4);座摩神社と上塩尻
(五十三次洛遊会)
2016年4月20日(水)~2016年4月22日(金)
第1日目;2016年4月20日(水) (つづき) 晴
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<ルート地図>
■上塩尻(改訂版)
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<善光寺街道からちょっと外れる>
■巨大なスーパー
レストラン「いっちょう」で昼食を終えた私達は,13時38分,レストランを出発する.いよいよ午後の部のスタートである.
歩き出して間もなく,前方に高架道路が見え始める.
13時45分,高架道路の手前右手に大きなスーパーマーケットが見える.先ほど会った土地の人の話で元西友が移転したところのようである.
一応,皆さんに.
「立ち寄りますか…?」
と伺うが,たった今昼食を済ませたばかりなので,立ち寄ることもなかろうということで通過する.
13時45分,長野新幹線高架の下を潜る.
手持ちの地図で,高架道路を探し,自分たちの現在地を確かめる.
<大きなスーパーが見える> <高架道路を潜る>
■高架道路の下を潜る
13時51分,塩尻小学校の前を通過する.校舎の後ろに山を背負った素晴らしい環境の小学校である.改めて地図を確かめると,私達は,どうやら本来の善光寺街道から少し南に逸れた道を歩いているようである.
資料1の地図によると,本来の善光寺街道は,塩尻小学校の裏手の山沿いを通っているようである.もはや間違えたところまで戻るのも無駄なので,今歩いている道から右折し,本来の善光寺街道に軌道修正することにする.
右折した道の突き当たりに,大きな石塔が立っているのが見える.
「あそこが本来の善光寺街道らしいですね…」
13時57分,多く名石塔の前で本来の善光寺街道へ戻る.
<塩尻小学校> <芭蕉の句碑を目指して>
■忠霊碑と案内標識
ところが,この石碑の前に到着してから,この石碑は芭蕉の句碑ではなく,忠霊碑だということが分かる.
「あれぇ…芭蕉の句碑は何処にあるんだろう…?」
忠霊碑の近くに案内標識が立っている.案内標識には「座摩神社」「兎峰」「虚無僧山」などと書いてある.
<座摩神社参拝>
■一寸した階段だけの筈が…
案内標識の側に,長さ20~30段の一寸した石段がある.
「この階段の上に座摩神社があるようですね…折角だから御参りしましょう…」
ということで,希望者だけで参拝することにする.
結局,階段下で待っているのはUDさんだけ.残りの4人は,何の躊躇もなく石段を登り始める.
石段のすぐ上に座摩神社があるかと思っていたが,階段の先に長い登山道が続く.この登山道,下の方はよく整備されているが,登るにつれてだんだんと荒れた道に変わっていく.
「あれえ…まだかな,まだかな…」
と思いながらも成り行きで,ジグザグと坂道を登り続ける.
”ありゃ~ぁ…,随分遠いなあ…”
<神社へ向かう階段> <山道が続く>
■やっと到着と思ったら…
予想より随分と高い所まで登り続ける.そして,ついに広場に到着する.
「やっとご到着!」
と言いながら,広場に入る.
所が残念.ここは浄水場である.
さらに登り続ける.参道は次第に本格的な山道になる.ようやく山道を抜けると,急傾斜の石段になる.この石段をオッカナビックリと登り続ける.
<浄水場> <やっと神社境内に到着>
■座摩神社拝殿
急な石段を登りきって,14時16分,座摩神社拝殿前に到着する.早速,拝殿の写真を撮るが,また人物が入ってしまう.
本殿前から人影がなくなるのを待っていたが,なかなかその機会が掴めない.
”まあ~…,人が入っても良いか”
で撮ったのが下の写真である.
拝殿近くに案内板が立っている.
案内板の記事によると,祭神は保食神(ウケモチノカミ)(食物養蚕の神).元正天皇時代の養老元年(717年),兎峰山頂に鎮座していた養蚕の神.山道が険しくて参拝に苦しむために,寛文2年(1662年)現在地に移転したという.現社殿は明治29年(1896年)の整備されたもののようである.
地図で確かめると,もとの神社があった兎山の山頂は.ここよりさらにずっと上のようである・
<座摩神社拝殿>
■境内からの眺望
参拝を終えた後,境内で立ち休憩を取る.
山麓から苦労して登っただけあって,ここからの眺望はなかなかなものである(冒頭の写真).
<座摩神社境内からの眺望>
<登山口の石塔群>
■「町医師われは…」の石碑
座摩神社の参拝を終えて,往路を下る.
境内直下の石段が急傾斜で下るのに緊張する.石段に続くジグザグの下り坂も結構厳しい.下り坂を足早に降りる人と,ゆっくりの人との間がまたたくまに開いてしまう.
速歩の人には,
”何で,一番足の遅い人と一緒に歩けないのか…”
と何時も思っている.
漸くの思いで下り続けて,やっと登り口に辿り着く.
登り口には石柱が幾つか立っている.一番左手には,
「支えつつ支えられつつ三十年今は垣なき町医師われば年成」
と刻字した石碑が立っている.
そんなに古いものではなさそうが,この石碑にどんな由来があるのだろうか.一見(イチゲン)の旅人である私には知る由もない.
それにしても,「今は垣なき」とはどういう意味なんだろう? 昔,どんな垣があったんだろう? ちょっと気になる.
<町医師われは…の石碑>
■道祖神と芭蕉句碑
その隣に道祖神と芭蕉句碑が立っている.
芭蕉句碑の裏側には芭蕉の句が変体仮名で刻字してあるが,例によって現代っ子の私には殆ど読めない.
資料1によると,この句碑には,
”雪ちるや
穂屋の薄の
刈り残し”
という句が刻字されているようである.
刻字されている句の写真を撮ろうとしたが,後ろの石垣との間が狭くて,句全体を撮影するだけの引きができない.
<道祖神(左)と芭蕉句碑(右)> <芭蕉の句>
<上塩尻を行く>
■閑静な街道
14時35分,参道入口に戻る.
参道入口で待っていた方に,
「…いや~ぁ…,もう大変でした.随分と高い所まで登ったんで,上の方には残雪が一杯でしたよ…」
と冗談を言う.
再び,閑静な善光寺街道を歩き始める.
<善光寺街道に戻る>
■立ち並ぶ旧家
道路は舗装されているが,全く車は通らず,人の気配も感じられない街道をひたすら歩く.極々なだらかな下り坂である.
道路の両側には,昔にタイムスリップしたような土蔵と白壁の家が続く.こんな道を歩いていると,何となく心が癒される.
<土蔵と白壁が続く街道>
■風格のある上田紬工房
14時43分,上田紬工房の立派な門の前で思わず立ち止まる.素晴らしい門構えである.
中を拝見したいなと思ったが,ノーアポイントでズケズケと敷地内に入るのも礼に欠ける.それに同行の皆様は余り興味がなさそうなので,そのまま通過する.
<上田紬工房入口>
■立ち並ぶ墓石
上田紬工房を過ぎると,眼に鮮やかな新緑と黄色い花が一面の山裾が広がっている.道路から山裾にちょっと入ったところに,古い墓石が立ち並んでいる.どうやら古い物のようである.
その一角に,双体道祖神が祀られている.
<古い墓石群> <双体道祖神>
■旧道に入る
15時10分,一旦,新しい国道に合流してから,まだすぐ先のY字型の交差点で,右側の旧道に入る.再び長閑な雰囲気の街道が続く.
<向かって右手の街道に入る>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;黒田茂夫(発行人),2014,『県別マップル20長野県道路地図』昭文社
(つづく)
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「善光寺街道」の索引
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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