<山ノ内から六国見山を望む>
初夏の鎌倉:天園をフランス人と一緒に
(単独ハイキング)
2008年6月7日(金)
■久々の鎌倉巡り
本当は塔ノ岳に行きたかった.所が直前の天気予報では,丹沢は終日雨だという.いくら私が物好きだからと言って,雨の日に丹沢へ行く積もりはない.5時頃,一旦,家を出掛けそうになった私は,山行を諦めた.所が9時を過ぎる頃から,天候が回復して,如何にも初夏らしい爽やかな空模様になってきた.
「またもや天気予報に惑わされた・・・!」
私は怒りに似た焦れったい気持ちになる.そうは言っても,今から丹沢へ行く訳にも行かない.でも,一刻も早く外を歩きたい.そこで,私は,次善の策として,暫くぶりに鎌倉を一回りすることにした.
10時58分,鎌倉中央公園入口を出発する.バス通りを登って山の上ロータリーで左折して,尾根筋のバス通りに沿って,11時13分に山ノ内配水場に到着する.日光が少々眩しくジリジリと照りつける.11時18分に六国見山が良く見える展望台を通過する.尾根に沿って,山を下り,11時29分に北鎌倉駅近くのコンビニに立ち寄る.
このコンビニは,私の行きつけの店である.この店の主人と雑談するのが楽しみに一つだが,残念ながら,今日はご主人は不在である.ここで,昼食用のオニギリを2個ばかり購入して,11時38分にJR北鎌倉駅に到着する.時間が中途半端なのか,それとも,シーズンオフのためか,今日の北鎌倉駅前は,やや閑散としている.
<「猫箱」の新顔:実に綺麗な目だ>
■「猫箱」のネコちゃん
踏切を通って,円覚寺側に渡る.名月院のアジサイが満開になるのはもう少し先なので,観光客の数もまだそれ程多くない.さて,今日はどのコースを通って,山を一回りしようかと思案しながら,線路に沿って,建長寺の方向へブラブラと歩く.
進行方向左側にある「猫箱」の前で,数名のオバサンが熱心に覗き込んでいる.ここの住人のネコ達は,とても可愛いので,「猫箱」の前を通過するときは,ネコ達に会えるのを楽しみにしている.ところが,最近,お店が閉まっていることが多くて,ここ数ヶ月ネコを見掛けることもなかったが,今日は珍しく店を開いている.
店の中を覗いてみる.
可愛い斑ネコが1匹居る.まだ子猫である.どうやら新顔らしい.椅子に紐でつながれているのが少々可愛そうだが,犬と違って,ネコだから馴れるまでは仕方がないかと納得する.しかし,当の子猫は,つながれていることなど,全く気にしないで,あちこちとじゃれ廻っている.その仕草が如何にも愛くるしい.
私は,デジカメを取りだして,チョロチョロと動き回るネコを撮ろうと思うが,レリーズタイムガ遅いボロデジカメでは,なかなか思うような写真が撮れない.
私がネコに夢中になっていると,背中から,
「いらっしゃいませ・・・! どうも有り難うございます」
と私に話しかける人が居る.この「猫箱」の女主人である.彼女は建築家.序でながら,旦那さんは画家.ご主人が描いたネコの絵が,店内に沢山飾ってある.
「ネコちゃん,余りに可愛いんで,写真を撮らせて頂いています」
と挨拶をする.
後で「猫箱」のホームページを拝見すると,この子猫は最近ネコ群のお仲間になった新顔のようである.
<建長寺の托鉢僧:「猫箱」の前で>
■勝上嶽でフランス人と出会う
人混みを避けて,裏道を通り抜け,名月谷へ向かう.蒸し暑い最中に,ジメジメした林の道を通りたくなかったので.名月荘脇の階段を登る.そして,今泉住宅地の角にある登山口から天園ハイキングコースに入る.この頃は,晴れていると,かなり蒸し暑くなるためか,天園を散策する人の数は大分少なくなっているようである.
ほどなく,勝上嶽(本当の字は「山」冠に「献」)展望台に到着する.建長寺から登ってきた観光客や修学旅行の子ども達で賑わっている.展望台で,暫くの間,修学旅行生と雑談した後,峠の茶屋にでも立ち寄ってみようかと思う.
展望台から歩き出そうとしたときに,道に迷っている中年の外国人男性とバッタリ会う.
「どこへ行かれるんですか? 私,鎌倉の住民ですから,お役に立てますよ」
と下手くそな英語で話しかける.
彼はフランス人で,日系の某大手製造業に勤務していて,R&Dをしている.今は,たまたま日本に滞在しているという.私も以前は理系の人間である.彼とは,何となく相性がよいような気がしてくる.
前回,鎌倉を訪れて,とても気に入ったので,今度は一人で鎌倉まで来たという.私は,馴れない異国の観光地を一人で散策する彼の勇気と積極性にとても感心してしまう.もし,私が彼と同じ立場になったら,日本語が殆ど話せないのに,わざわざ鎌倉まで来るだけの勇気があるだろうか?
臆病者の私は,多分,一人で異国の地を歩き回ることはしないだろう.
<名月通りのアジサイ:そろそろ見頃になりそう>
■俄案内人
雑談している内に,私は彼が気に入った.それでは折角だから私が鎌倉を案内しようということになる.
そこで,彼を案内しながら,取りあえずは天園ハイキングコースを東に向けて歩くことにする.雑談しながら歩くと,直ぐに十王岩展望台に到着する.私は下手な英語で,たどたどしく鎌倉の歴史や,ヤグラの由来などを説明する.そして,鷲峰山の四国大窪寺薬師如来像の所で,四国八十八箇所巡りの説明や,覚園寺のことなどを,超タドタド英語と,手振りを交えて,本当は説明したいことの10分の1程度をやっと説明する.
彼はフランス人.英語も当然話せるし,私の英語よりずっとましである.しかし,所詮,英語は二人にとって第二外国語である.知識欲の旺盛な彼は,私に盛んに質問するが,英語の表現に困って,ついついフランス語が出る.私も,
「英語で何と言うのか分からない」
を英語で連発する.
■百八ヤグラと大平山
百八ヤグラ群前の分岐に到着する.百八ヤグラの上から2層目を案内する.彼は大変な興味を示して,辺りの風景を盛んにデジカメで撮る.私は英語でのヤグラの説明で一苦労する.ここで場所を記述するのは差し控えるが,彼の熱心さにほだされて,いくつかのヤグラも案内する.
ほんの少しの間,ヤブを抜けて,暗闇に鎮座するお大師様を参拝する.
その後,天園ハイキングコースを東へ進む.
12時過ぎに太平山山頂に到着する.
「ここが鎌倉の最高峰ですよ・・・」
と説明する.山頂を少し下った広場では,何組かの観光客が車座になって休憩を取っている.
■ウグイスの啼き声
近くの茂みの中で,ウグイスが盛んに啼いている.
ウグイスの啼き声を聞いている内に,この頃,忘れかけていた疑問を思い出す.それは,
「ネコの鳴き声は英語で『ミュ~,ミュ~』,犬は『バウ,バウ』,ニワトリは『コッカドウドルドウ』・・ならば,ウグイスの『ホーホケキョ』は,英語では何というのか?」
という疑問である.
これまでに,私は延べ100人以上の英語を話す外人に,
「英語で『ホーホケキョ』は何て言うの・・?」
という質問をぶつけている.ところが満足のいく解答はまだ得られていない.
私は,すかさず,フランス人の彼にも,この質問をしてみる.案の定,彼も何というのか分からないと首を傾げる.
多分,『ホーホケキョ』と啼くウグイスは日本にしか生息していないのだろうとは思うが,これも確とした根拠のある話ではない.
「誰かスッキリと解決してくれ~ぃ」
というのが私の率直なこだわりである.無論,憶測や推測では満足できない.居ないなら居ないで,どこの文献(孫引きの資料ではなく一次資料)に「居ない」という記述があるのかに,とても興味がある.
■峠の茶屋
ウグイスは兎も角,峠の茶屋に立ち寄る.私がこの茶屋に立ち寄るのは,正に2ヶ月ぶりのことである.
店の女主人は,私の顔を見るなり,
「あら~ぁ・・・生きていたの・・・!」
と妙な歓迎をする.
「実は,この頃,天気が良いと丹沢に出掛けていまして・・・・天園はすっかりご無沙汰してしまいました・・・」
オレンジジュースを2本購入する.1本を彼にお裾分けして,適当な椅子に座らせる.
茶屋のテーブルの定位置に,相変わらず「エンちゃん」が座っている.エンちゃんの仲間達が,テーブルを囲むようにして,雑談をしている.入口近くにもご常連が一杯やっている.相変わらずの茶屋の風景である.
私は,フランス人に,ここで屯している方々は,皆,顔見知りなんだと説明する.
■貝吹地蔵伝説
13時30分頃,峠の茶屋を出発する.
順路に沿って歩く.天台山の肩から薄暗い谷間の道を下る.何時の雨が貯まっているのか分からないが,登山道は,ドロドロになっている.
途中,貝吹地蔵の所で,地蔵伝説の話を,彼に聞かせる.そうなると新田義貞,東勝寺,北条高時,腹切りヤグラなどの話を数珠繋ぎにしなければならない.日本語で説明するのなら,どうということはないが,英語の説明となると,いちいちどう表現するかが分からなくなる.でもタドタドしても,とにかく一生懸命に説明していると,何となく理解してくれる.これがまた嬉しい.
■鎌倉って平和だな!
瑞泉寺裏山ヤグラ群を通過して,瑞泉寺境内の偏界一覧亭付近から横道に入って,北条首ヤグラを見学する.また彼に鎌倉時代の終焉がどのような状態だったかを,たどたどしく説明する.
ついで,偏界一覧亭の紹介をしようかとも思ったが,彼が水戸光圀を知らないことが分かり,いろいろ説明するのが面倒になり,そのままパス.
街中へ下る.定番のコースの永福寺跡,鎌倉宮,鶴岡八幡宮を経由して,鎌倉駅に向かう.夕方も押してきたので,名所の説明は省略する.ただ,段葛の幅が,鶴岡八幡宮に近づくに連れて,狭くなっているのを,彼の歩数で実測して貰い,何故,道幅が違うのか考えて貰う.
鎌倉駅で,再会を約して,彼と別れる.彼とはパソコンのアドレスを交換する.
鎌倉の街を歩きながら,彼は,ふと,
「鎌倉は,とても平和で,素晴らしいですね」
と感想を漏らす.
彼には,街を散策する人達の表情が,とても和やかなのが印象的なようである.そういわれてみると,普段,私達は気が付かないが,いろいろあるにしても,とにかく今の日本は平和である.これはとても貴重で,大切だなと再認識させられる.世界の至る所で,天災や戦争が尽きない.そんな中で,とにかく平和で居られる日本は素晴らしいなと,彼の一言で,改めて見直すことができた.
もっとも,一方で,彼は東京駅の余りの混雑に,ど肝を抜かれたようである.彼には日本国土の70パーセント以上が山で,大半の日本人は残りと狭い平野に住んでいると説明する.うねうねとなだらかな丘陵が突くフランスとは,大分勝手が違うようである.
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/685a5320331df11b767890b982f6ea82
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興味ある問題提起,有り難うございます.
ご指摘の「理解できない壁」,異文化間コミュニケーションの難しさの典型例でしょうね.
彼ら(十把一絡げに彼らというのは問題かも知れませんが・・)には日本文化を本当に理解することは困難,同じように私達日本人には,彼らの文化を本当に理解することは困難.お互い様なんでしょうね.
コメントありがとうございました.
日本文化を研究しようとする外人はむしろ、日本人のそこのところの感性を知ろうとする。いや、何とかの壁を書いた、東大の解剖学の教授をつねに思い出す、外人のみならず、すべて、この理解できない壁はあちこちで、遭遇する。多くの外人と接していたころ、日本の畳文化を土足で上がりこむの意味を、そして、無と書かれた、映画監督の墓を、彼らはもう母国に帰っているが、まだ、私の趣味の武道で外人は多くいる。彼らに尋ねてみよう
コメント有り難うございました.
了得院殿では,大変迷惑をお掛けしました.現在の所,大田道灌ゆかりの方という俗説を30%位信じることにしています.
「ホーホケキョ」の啼き声,外国人には美しいって感じるんでしょうか?
あるアメリカ人は,鳥は鳥だ! いちいち啼き声なんか気にしていないよ.って言われてしまいました.
何時も私のブログをお尋ね頂き有り難うございます.