<霧の花立山>
久々の丹沢;シカとネコに出会った塔ノ岳(今年43回目)
(単独山行)
2013年9月7日(土) 曇
■未だに時差ボケで調子が悪い
早いもので,8月30日にノルウェーから帰国してから,もう10日ほどになる.帰国してからなるべく早く塔ノ岳に復帰しようと思っていたが,天気が多少良さそうな日には,ちょっとした雑務があったり,折角出掛けようとしても荒天が続いたりで,結局,今日まで塔ノ岳はご無沙汰だった.
今日の天気予報も決して良くない.とうてい晴天は望めないが,雨が降り始めるのは午後のようなので,思い切って塔ノ岳に出掛けることにする.
今日は土曜日.小田原駅での慌ただしい階段二段跳び乗換はしなくても済む.これはラッキーである.
帰国してからグウタラ生活を送っている私は,未だに時差の後遺症に悩まされている.とにかく昼間に堪らなくなるほど眠くなる.
“しょうがないな…じゃあ15分程うたた寝するか”
となるが,結果は,決まって2~3時間寝込んでしまう.ついに私はうたた寝する前にコーヒーを飲むことにしたが,それでもダメ.本当は日光に当たりながら鎌倉の天園でも一回りしてくれば,時差など立ち所に解消するんだが…
そんなわけで,今朝も,家を5時10分に出発したが,昨夜は碌すっぽ寝ていない.寝不足である.生あくびをかみ殺しながら,自宅近くのモノーレール駅へ向かう.9月ともなると夜明けはすっかり遅くなり,辺りはまだ薄暗い.でも,昨日の日中の暑さが道路に残っていて,気温は24℃にも達している.
■ご常連のYUさんYDさんと一緒に登山開始
小田急線渋沢駅に到着する.
大倉行バスの乗り場には,20人ほどの登山客が並んでいる.バスは数人の立ち席が出る程度の混雑だが,何時もの土曜日に比較すると,大分空いているように思える.
バスに乗ってから車内を見回すと.TGさん,YUさん,NGさん,YDさん,ここでは若手のIIさんなどご常連の顔を揃っている.私が前回塔ノ岳に登ったのは8月14日である.もう,かれこれ3週間以上も間があいての塔ノ岳である.
“果たして塔ノ岳山頂まで行けるかな…”
といささか不安である.
バスは7時頃大倉に到着する.ご常連の皆様も前後して大倉から歩き出す.
7時06分,私はたまたま一緒に歩き出したYUさん,YDさんと一緒に雑談をしながら歩き出す.歩きながらの話題は,ノルウェーのこと,安全登山のこと,登攀技術など多方面にわたる.ただ,私自身は理屈は一通り習っているが,なかなか実践がともなわないのが玉に瑕である.
「この頃,私は3時間ほど掛けてユックリ登っています…」
とYUさんがいう.ご一緒している私にとって願ってもないことである.
ごくユックリペースで登りながら,ときどき後ろを振り返りながら,
「あれぇ~…,なかなかIIさんと,TGさんが現れないな…」
と訝る.
7時28分,観音茶屋を通過する.もうすぐ分岐のところでYUさんが,路傍の草花の写真を撮るというので,私は先に行かせてもらう.これから先,暫くの間,私の一人旅になる.もっとも,私から数メートル後ろにYDさんが居られる.
■濃い霧の見晴階段
登山道の足許は,濡れていて滑りやすい.でも,ノルウェーの山旅を終えたばかりの私には,大倉尾根の登山道は実に素敵に思える.要所要所には土留めや階段が設置されている.大倉尾根というと,とかく階段ばかりで大変だと言われがちだが,階段も何もないノルウェーの踏み跡のようなゴロゴロ道を連続6日間も歩き続けた私には,人の手が加えられた階段道が,とても歩き易く貴重なもののように思えてくる.
私は大倉尾根はスバラシイと思いながら,7時46分に見晴山荘を通過する.
その先,見晴階段の下から上を見上げた写真を,いつも撮るようにしているが,今日は何となく気分が高揚している内に.写真を撮るのをすっかり忘れてしまう.実に残念.とはいえ,今日は濃い霧が辺り一面にかかっていて,ほとんど見通しが利かないが…
■富士山は霧の中
やがて駒止階段に差し掛かる.私のすぐ前に鎌倉在住の男性(お名前失念)が歩いている.
こんなところで追い越すのも気が引けるので,10メートルほどの間隔を開けて,駒止階段を登る.ユックリペースの歩き出しだったので.当初心配していたような疲労感もなく,余裕を持って登り続ける.
8時36分,駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間12分.調子の良いときに比較すると4~5分遅いが,時差を引きずる今の私の実力は,まあ,こんな所だろう.
続いて堀山の尾根道に入る.平坦なところではどうしても歩く速度が速くなる.晴れていれば富士山が見える場所で,申し訳ないと思ったが,鎌倉の男性に追い付く.
雲で見えない富士山の写真を撮ってから.
「今日は富士山が見えないので残念ですね…平らな所だけ先に行かせてもらいます」
と挨拶をして,男性の前に行かせてもらう.
<堀山で見えない富士山を撮る>
■霧の萱場平
8時36分,堀山の家を通過する.まだ,朝が早いのに,もう開店しているようである.ちょっとだけ山荘の中を覗いてみる.もし何方か居られたら,
「下山のときにお寄りします…」
と挨拶するつもりだったが,一寸見ではどなたも居られないので,そのまま登り続ける.気温は20℃.涼しいはずだが湿度が高いので,かなりシンドイ.
後ろから来られるYDさんが私に追い付いたら,先に行ってもらうつもりで,相変わらずユックリペースを保ちながら登り続ける.後ろに居られるYDさんは,相変わらず私との距離を一定に保ちながら定速で登っておられる.
8時56分,萱場平に到着する.相変わらず濃い霧が辺り一面に立ちこめている.木道の先端は霧に隠れて見えない.
ここまで歩いた感じでは.久々の塔ノ岳だが,なんとか無事に山頂まで辿り着けそうである.
足許で元気よく繁茂するアザミの写真を撮ってから,先へ進む.
“思ったより体調は良いぞ…”
<霧の萱場平;写真に写っている男性は無関係の方>
■花立山荘
萱場平を過ぎてからも,定速で登り続ける.後ろからYDさんが,ずっと同じ間隔を保ちながら登っている.
“そういえば,IIさんとTGさんが一向に現れないな…”
やがて,後7分坂に差し掛かる.
“今日は8分ぐらい掛けて登ろう…”
と自分のペースを再確認する.
ここの階段道は,登るのがイヤになりそうなほど長い.
“ユックリでも登っていれば,その内に上まで登れるさ…”
と開き直って,登り続ける.
後もう少しで階段が終わる頃,後ろに俄に人の気配を感じる.TDさんとYUさんである.何時の間にかお二人に追い付かれ,追い抜かれる.
9時19分,お二人の後を追って,ようやく花立山荘に到着する.大倉からの所要時間は2時間13分.結構,遅いラップである.堀山の家からの所要時間は43分.私の標準所要時間より3分遅い.後7分坂に置き換えると,この坂を3分の1登るのに必要な時間だけ遅いということになる.
霧がますます濃くなる.花立山荘まで登れば,山頂まで後30分程度である.私は前方を行くお二人に付いていくことにする.その結果,写真を撮りながら登ると,花立山荘から花立山まで9~10分掛かるのに,今日は8分で乗って,9時27分に花立山山頂を通過する.
<お二人にくっついて花立山を登る>
■突然シカの親子が現れる
9時32分,金冷シを通過する.ここまで来れば山頂まで後15分.
金冷シから最初の階段を登っていると,突然,何か“ものの気配”を感じる.すぐ目の前に鹿の親子が居る.眼がつぶらで可愛い.2頭のシカの写真を撮ろうと思う.カメラを出している内に,オドオドしていたシカが動き出してしまう.その結果,沢山の足が生えているようなシカの写真になってしまう.
写真を撮った後も,お二人の後ろに付いて登り続ける.
そう言えば,先ほどまで私の後ろに居られたYDさんの姿が何時の間にか見えなくなっている.どうされたんだろう.
<オドオドとしているシカ>
■塔ノ岳山頂
9時47分,3人一緒に塔ノ岳山頂に到着する.気温20℃.ジッとしていると実に心地よい気温である.風もほとんど吹いていない.
大倉からの所要時間は2時間42分.時差ボケでグウタラしている私の状態を考えると,まあ,こんな所だろう.
山頂にも濃い霧が立ちこめている.霧のため,ほとんど何も見えないが,私は馬鹿みたいに霧だけの写真を数枚撮る.そして,
「尊仏山荘に立ち寄りますか…?」
とYUさんに伺う.
「立ち寄りましょう…」
ということなので,2人で尊仏山荘に向かう.
<霧の塔ノ岳山頂>
■尊仏山荘
尊仏山荘に入る.見馴れない2人の男性が先客.今日の小屋番はW田さんとF屋さん.私の顔を見るなり,自動的に300円也のお茶の準備が始まる.いつもワンパターンの注文ばかりしているから,「私=お茶」になっている.
どうやら1番バスの常連は,まだだれも尊仏山荘に来ていないようである.暫くの間,お茶を飲みながら,YGさんと雑談.
今日はどういう風の吹き回しか,華伊達美弥雄さん(ミャア君のこと)がどこからともなくフロワーに現れる.そして,W田さんに向かって一声,
「にゃ~…」
と澄んだ鳴き声で何かを訴えている.そして,テーブルの下に入り込んで温和しくしている.
華伊達美弥雄さんは,この頃,少し太り気味だが,どうやら元気なようである.
今日はネコとシカに出会ったラッキーな日のようである.
<ミャア君は元気なようだ>
■霧の中,下山開始
その内に10時を大分廻ってしまう.YUさんは丹沢山方面に少し下ってみるとのことで,山荘を出発する.
それにしても,IIさんとTGさんが未だ現れない.
“途中で下山したのかな…それともどこか別の所へ行ったのかな…”
10時16分,私もそろそろノンビリ一人旅で下山しようと思う.
山荘の外に出る.山頂で休憩を取っている人が,先ほどよりずっと増えている.相変わらず濃い霧が掛かっているが,気温は20℃.暑くなく寒くなくとても気持ちがよい.山頂でちょっと道草をしてから,下山を開始する.
山頂から木道に差し掛かったところで,IIさんとTGさんとすれ違う.あと5分,山荘で待っていれば良かったが後の祭りである.
「…途中,(山小屋を)各駅停車しながら先に降りています…」
ということにして,お別れする.
山頂直下の急階段で,2本ストックを使って登ってくるNGさんとすれ違う.
「今日は湿度が高くて大変ですよ…」
とNGさんが愚痴を言う.
金冷シ手前の階段を下っていると,大きな荷物を背負ったチャンピョンが霧の中からヌッと現れる.
「やあ,こんにちは…ご苦労さん」
ですれ違う.
その頃,どこからともなくTDさんが現れる.正に鬼神出没という感じである.先ほど一緒に塔ノ岳山頂まで登ったが,その後,TDさんは丹沢山の途中まで往復されたとのこと.
<霧の中からチャンピョンがヌッと現れる>
■萱場平のアザミ
その後も,TDさんには私の遅速に合わせて頂き,一緒に下山し続ける.
今日は土曜日.登ってくる人が結構沢山居る.登り優先なので,何回も立ち止まって,道を譲りながら下山し続ける.
10時45分,花立山荘を通過する.山荘前には「氷水」の幟がはためいているので,ちょっと気がそそられるが,TDさんと一緒に下りたいので花立山荘はパス.早くも「各駅停車で下る」は崩れてしまう.
その後も,TDさんには申し訳ないが私のペースでノンビリ下りを続ける.
11時02分,萱場平に到着する.
「…私,ちょっとアザミの写真を撮ります…」
ということで立ち止まる.そして,TDさんに先に行ってもらう.アザミは木道に大きくはみ出るほどに成長している.
私は何時もこのアザミから勇気をもらっている.でも,このアザミ,後2~3ヶ月,冬が来れば完全に涸れてしまう.だからこのアザミに人生の縮図を見るような気分になる.
<萱場平のアザミ>
■堀山の家でコーヒーブレーク
アザミお写真を取っている内に,TDさんからはすっかり遅れてしまう.私は早々とTDさんに追い付くのを諦める.そして,だらしなくノタノタと下り続ける.でも,このノタノタ歩きが結構気に入っているから困る.
11時18分,堀山の家に到着する.小草平のベンチは登山客で一杯である.堀山の家の入口近くのベンチに座っている女主人と目線が会う.
「おや…FHさん…」
ということで,堀山の家に立ち寄る.
今日は堀山の家のご常連は富士山に行っているとかで,先客は誰も居ない.
何時ものように300円也のコーヒーを所望する.暫くの間,コーヒーを賞味しながら,ご主人,女主人と雑談に興じる.雑談をしながら,
“こんな長閑な時間の流れも良いものだな”
と思う.
「さきほど,NGさんが降りていきましたよ…」
と女主人が言う.何時も土曜日に登ってこられるNGさんと会っていないので,不思議に思っていたが,多分,私が尊仏山荘で油を売っている間に,塔ノ岳山頂に到着して,そのまま下山したんだろうと想像する.
“それにしても,IIさんとTGさん,中々現れないな…”
私は間が持てなくなり,11時48分,堀山の家にサヨナラして下山を開始する.
<堀山の家のコーヒーはお値打ちだ>
■俄に腹痛
ルンルン気分で堀山の尾根を歩く.丁度晴れていれば富士山が良く見える付近に差し掛かったときに,急に胃と腹が猛烈に痛くなる.多分,今朝コンビニで適当に買った昼食の食べ合わせが悪かったんだろう.悪かったのは,久々に飲んだ牛乳かな?
私は,痛みに耐えられなくなり,近場にある切り株をベンチ代わり座り込む.そして,どうにも我慢できなくなり,近くの茂みに入り込んで,用を足す.勿論,その跡には土を盛る.その上を枯れ枝でカバーをする,でも,どうせシカが件(くだん)のものを見付け,掘り出して,ペロペロなめるだろうと想像する.シカにとっては.貴重な塩分補給源だから.
もとの切り株に戻って,常備薬の「ツムラ17」を服用する.薬効実にあらたか,服用してから2~3分で胃の痛みは嘘のように簡単に治まる.途端に“今啼いたからず”で,正常な状態に戻る.
“どうせだから,IIさんやTGさんが来るのを待とう…”
ということで,お二人の到着を,木に座ったまま待っていることにする.
■IIさん,TGさんと一緒に下山
待つことほんの数分,TGさんが現れる.
「お待たせしました…」
とTGさんが私に言う.すぐ後ろにIIさんも居られるとのこと.
「堀山の家で『FHさんは今し方,出たばかりですよ』と言っていました…」
ここから大倉バス停までお二人に同行する.お二人とも快調に下山し続ける.お二人に付いて行くのが大変だが,元気よく下山するのも爽快感があって気持ちがよい.私も.つい先ほどまで胃の痛みで四苦八苦していたなんて嘘のように,元気に歩けるのが嬉しい.
12時44分,観音茶屋に到着する.茶屋の女主人が,
「お帰りなさい」
と挨拶する.TGさんが,
「…直りましたか?」
と女主人に聞く.
「いえ…未だなんですよ」
と女主人が答える.私には何を話しているのか分からない.
そして,そのまま観音茶屋を通過する.
「…この前,(観音茶屋に)立ち寄ったら,かき氷の機械が故障していて,食べられなかったんですよ.まだ機械が故障したままでは,かき氷が食べられないので,通過ですよ」
とTGさんが言う.
“なるほど…”
12時55分,登山口を通過する.大倉発13時11分のバスに乗るのには丁度良い時間である.野菜の無人スタンドを覗きながら,大倉バス停に向かう.今は時期的に野菜の端境期らしく,無人スタンドに並ぶ野菜の種類は少ない.もしキュウリがあれば買いたいなと思っていたが残念ながらキュウリはない.
13時01分,無事,バス停大倉に到着する.
■渋沢で一寸一休み
靴を洗ってから,バス停の列の後ろに並ぶ.どこからともなく,先に下山していたNGさんとYDさんが現れる.鬼神出没のTDさんも,またヒョッコリ現れる.
今日は土曜日.登山者が多いので,バスはほぼ座席が埋まるほどの混雑である.
13時25分頃,バスは渋沢駅に到着する.
「お茶を飲んでいきましょう…」
ということで,駅ビル1階にあるミスタードーナッツに入る.NGさん,TGさん,IIさん,TDさん,YDさん,それに私の6人.ここで一休みするのが,この頃,土曜日の定型パターンになったようである.
私は,本当はコーヒーを飲みたかったが,先ほどの異変(“胃変”と書いた方が良いかな)が気になるので,可愛らしくカルピスを注文する.
<温和しくカルピスで乾杯>
■睡魔に悩まされながら帰宅
30分余り雑談を楽しんでからお開きになる.
渋沢駅から,大半の方は新宿方面へ,YDさんと私は小田原方面へ.
電車に乗った途端に,猛烈な睡魔が襲う.ウトウト,ハツ!を何回も繰り返して,14時19分,小田原駅に到着する.ここでYDさんとお別れして,ちょっとの間,駅構内の売店をウロウロ.14時24分発快速アクティに乗車する.
車内でまた睡魔.ナントカ乗り越さずに,14時56分,大船駅に到着する.
大船駅前は,そよ風が吹いていて,実に心地がよい.余りに心地がよいので,自宅までバスを使わずに歩いて帰ろうかとも思った.でも,それよりも,バスに乗って早く家に帰ってシャワーを浴びた方が良い.そしてバタンキューで昼寝しよう…
バスを使って,15時22分に自宅に戻る.
シャワーを浴びると眠気も洗い流したらしく,スッキリ眼もパッチリ.この分だと,20時過ぎまで睡らずに頑張れば,頑固に私を悩ませていた時差ボケも解消されそうである.
良かった! 良かった!
<ラップタイム>
7:06 大倉歩き出し
7:28 観音茶屋
7:46 見晴山荘
8:36 堀山の家
9:19 花立山荘
9:32 金冷シ
9:47 塔ノ岳山頂着(20.0℃)
10:16 〃 発
10:30 金冷シ
10:48 花立山荘
11:18 堀山の家(11:48までコーヒーブレーク)
12:21 駒止茶屋
12:13 見晴山荘
12:44 観音茶屋
13:01 大倉着
[山行記録]
■水平距離 7.0km(片道)
■累積登攀下降高度 1269m
■登攀所要時間(雑談時間を含む)
大倉 発 7:06
塔ノ岳 着 9:47
(所要時間) 2時間42 分(2.70h)
水平歩行速度 7.0km/2.70h=2.59km/h
登攀速度 1269m/2.70h=470.0m/h
■下降所要時間(休憩時間を含む)
塔ノ岳 発 10:16
大倉 着 12:07
(所要時間) 2時間45分(2.75h)
水平歩行速度 7.0km/2.75h=2.55km/h
下降速度 1269m/2.75h=461.5m/h
(おわり)
「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ad199cbf61b6bdc084942a6d3f2f0d64
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/271decd3205e0d93ed6d8f1f4831c417
[編集後記]
2013年9月8日(日)
昨夜は久々の塔ノ岳で,グッスリとよく眠れた.そして,2時過ぎにパッチリ眼が醒める.
“2時か! 起床するには一寸早すぎるかな…”
と思いながらも起き出してしまう.
そして,ノルウェー紀行の記事を書き上げる.すると,また,ちょっと眠くなる.
“ちょっとうたた寝でもしようか”
と思って,机の上にうつぶせになったまま,眼を閉じる.
途端に,また,グッスリと寝込んでしまい,目が覚めたときには,9時を過ぎている.これには驚いた.
うたた寝をしている間に,次々回のオリンピック開催地が東京に決まったようである.2020年とは大分先の話である.その頃,私はこの世に居るんだろうか?
前回の東京オリンピックの時は,私は新婚ホヤホヤ.借家でビンボー暮らしをしていた.
でも,まだ技術屋として現役だった.オリンピック見たさに,秋葉原でブラウン管,真空管,抵抗,コンデンサーなどの部品を買ってきて,仕事から帰った後で半田付け.1ヶ月ほど掛けて,粗末な白黒テレビを作った.映りは余り良くなかったが,それでも手造りのテレビで,数年間は我慢して使っていた.
オリンピックと聞くと,そんな甘酸っぱい新婚時代のことを思い出す.
夕方,孫娘が我が家を訪れてくる.孫と一緒にオリンピック関連のニュース番組を見ながら,夕食を楽しむ.そういえば,前回の東京オリンピックのときは,この孫娘の親も,まだこの世には居なかった.
改めて,随分長い歳月が流れたなと実感する.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天気予報では,今日一日雨の筈だったが,実際は薄日が射すほどの曇り空で終わった.そう言えば昨日も予報では午前中曇,午後から雨だったが,実際は終日曇で午後薄日が射した.
天気予報で一喜一憂しながら山登りをしている私にとって,天気予報が外れるのが一番困る.もう少し予報の精度が上がらないかなと思うこと頻りである.
(愚痴おわり)
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