セピア色の画集:こりゃ~・・一体,何の絵だ!(2)
もう,かれこれ50年ほど前のことになる.
正確な年代は,もう忘却の彼方.多分,大学3~4年生の頃だったと思う.夏休みになると涼しい信州に帰るのがとても楽しみであった.
ある日,私は絵の同好でもある母親と一緒に,小諸の郊外にある小さな山に登った.そして,そこから浅間連峰の高峰山を仰ぎ見ながらこの絵を画いた.
この絵の大きさは20号.紙はワトソン紙,絵の具はホルベイン.デジカメで写真を撮ったら,現物より幾分青みがかった色になってしまったが,まあ,この絵の珍妙さは十分に写っていると思う.
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ある日,上田市内の某高校で開催された絵の選考会に,厚かましくもこの絵を持参した.
「なんじゃ~・・・この絵は・・・」
と,地元の諸先輩の失笑を買った.
「何で,木を縁取りしたんだ・・」
「同じような丸い木がずらずらと並んでいるのは,鬱陶しいよ・・」
「でも・・・まあ,日が当たっている高峰山の斜面は良く画けているよ・・」
「どうして縁取りする気になったんだい・・・」
と辛辣な批評が相次いだ.
勿論,鼻も引っかけられずに,選考漏れ.当然である.
実は,この絵を描く直前に,誰かの画集を見ていて,自分も何となく冒険をしてみたくなっていた.
この絵も最初は真面目に画いていたが,自分の描いている木々が,だんだんと草餅が連なっているような錯覚に陥り始めた.
あの頃,絵の先輩から,緑の木を描くと,
「また草餅を描いているのか・・やたらに緑を塗りたくってはダメ・・」
と,しばしば批評されていた.そんなこともあって,
「よし・・いっそのこと,草餅を積極的に並べたらどうなるんだろう・・」
という出来心で,こんな絵を描いてしまった.
序でに木だけでなく,畦も道も縁取りしてしまった.中途半端なステンドグラスのように・・・
この絵を見た母親が面白がった.母がやたらと面白がるので,ついついこの絵を俎上に載せた次第である.
この絵を眺めていると,上手い下手は全く気にならず,むしろ母と一生懸命絵を描いていたときのことを懐かしく思い出す.
その後,幾星霜.
開発が進んで,この辺りの風景も,一変してしまった.あの草餅が並んでいた辺りには,高速道路が太く横切っている.この絵を画いた頃は,物音一つしない閑静な所だったが,今は往来する自動車の音が絶えず聞こえている.
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母も遠の昔に旅立った.
そして,私は母の享年を大きく越えて,未だに現世で彷徨っている.私は自室で,思いで深い昔の絵を眺めながら,新しい水彩画を描いている.
振り返ってみると,若い頃の絵は,下手なりに,何時も何かを求め続けていたなと感じる.それなのに,今,私が描いている絵は,どれもこれも技巧に走っていて,ほとばしる情熱のようなものが,全く感じられない.まるで,自分の実年齢に流されているような焦れったさを感じている.
「もう一度,自分の原点に戻って,素直な情熱をキャンパスにぶつけよう・・」
と,この絵を眺めながら思っている.
(おわり)
「セピア色の画集」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/95344fd2adfa525a79f05f5b7ca730f1
「セピア色の画集」の次回の記事
(なし)
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