中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道中六十九宿巡り(77):第9回(17):塩尻峠を下る

2011年01月21日 15時58分24秒 | 中山道六十九宿

                                      <塩尻峠を下る>

       中山道中六十九宿巡り(77):第9回(17):塩尻峠を下る
              (五十三次洛遊会)
       2010年9月11日(土)~13日(月)

第3日目:2010年9月13日(月)
 (つづき)

<ルート地図>


<再掲>


<塩尻峠を下る>

■茶屋本陣
 10時35分,足の速さが揃った数人が塩尻峠に到着する.峠にある塩嶺御野立公園の展望台で,足の遅い方々の到着を待つ.そして,15分ほど経過して,ようやく全員が揃う.
 暫く休憩の後,10時56分,峠を出発.自動車道路を横切って.塩尻側に下り始める.
 舗装された歩きやすい道路である.ゆるやかな下り勾配の道が続く.歩きやすい道である.
 11時02分,進行方向左手(南側)にある「茶屋本陣」を通過する.
 資料1(p.78)によると,ここに「風格のある築200年の本棟造りの家が建つ」とあるが,この建物のことかなと半信半疑のまま,そそくさと通り過ぎてしまう.
 ここはフォッサマグナの真っ直中.資料1(p.113)によると,ナウマンが1876年(明治9年)に,ここを通過したとのことである.



■明治天皇塩尻嶺御膳水碑
 茶屋本陣の反対側に明治天皇塩尻嶺御膳水碑が立っている.曰く因縁は分からないが,明治天皇が1880年(明治13年)の行幸の折,ここで水を飲まれたのだろう.


■夜通道地蔵
 深い林の中をなだらかな下り坂が続く.
 11時07分,夜通道地蔵に到着する.夜通道と書いた立て杭の横に大小2碁の石造が安置されている.杭には「美しい娘が夜ごと岡谷の男性のもとへ通っていたという伝承がある」と書いてある.


■東山一里塚
 11時15分,江戸日本橋から57番目の東山一里塚に到着する.地図で確かめると東山という場所の入口に当たる.
 傍らに立つ案内板によると,「東山一里塚は東山地区(犬飼清水と茶屋本陣の中間)にあり古図には道を挟んで2碁描かれているが,南側のみが現存している.この塚の大きさは幅十二m,奥行13m,高さ3mの塚である.元和2年(1616年)に塩尻峠が開通したことから,中山道は丑首峠経由(桜沢口-丑首峠-小野-三沢峠-諏訪)から塩尻峠経由(本山-洗馬-塩尻-下諏訪)に変更され,この一里塚もその頃造られたものと推定される.市内には東山,塩尻町,平出,牧野,日出塩の五カ所に築かれたが,現在は,ここと平出の一里塚が形を残しているだけである(塩尻市教育委員会)」と説明されている.


<長閑な街道を塩尻へ>

■高ボッチ高原への分岐
 中山道は,次第に聚落の中まで下ってくる.道幅も何時の間にか少し広くなっている.
 今日の終点,塩尻宿もだんだんと近付いてくると,一行の気分もだんだんと明るくなる.一同雑談をしながら,ノンビリと歩き続ける.
 11時17分,高ボッチ高原への道路,高ボッチスカイラインのY字分岐に到着する.ここを向かって左に入る.


■東明神社
 11時20分,東明神社を通過する.道幅が狭いので,カメラを後ろに引けないので,中途半端な写真しか撮れないが,大きな鳥居の奥に立派な社殿が見えている.
 私は境内に入ってみたかったが,大部分の方々は興味がなさそうで,そのまま通過する.
 道端に半僧坊大権現の石碑がある.




■犬飼の清水
 バス停東山で国道20号線に隣接する.すぐに,20号線を離れて,右側の路地に入る.
 資料によると,この辺りに犬飼の清水があるはずだが,どうも見当たらない.犬飼の清水と書いた立て杭があるはずだが・・・
 皆できょろきょろと辺りを見回しながら歩くが,結局通り過ぎて,元の道,国道20号線に合流する.
 医務会の清水は,資料1(p.113)によると,公家の愛犬が飲んだという清水で,今はかれているという.
 「・・ままよ・・」
と思って,それらしい場所の写真を撮ったが,多分,これではないだろう.


■牛馬守護神
 11時29分,再び国道20号線を離れて右側の旧中山道に入る.人気のない道が続く.
 11時34分,牛馬守護神と刻字した石碑を通過する.この石碑は進行方向右手の小高い斜面に安置されている.石碑の先は急斜面の深林が続いている.




■新茶屋立場跡
 資料によると,そろそろ新茶屋立場跡があるはずだが,痕跡すら見当たらない.それらしい場所には農家がある.
 私達が地図を見ながら,
 「どこだ,どこだ,・・」
と話していると,この家から初老の男性が現れ,私達に話しかける.
 「どこから歩いてきたの・・・?」
これが切っ掛けになって,男性は饒舌に説明をし始める.私は焦れる.でも,言葉の端々に懐かしい信州辨が混じっている.自分の生まれ故郷の方言は何とも言えない情感が籠もっていて嬉しい.


■入れない国際文化友好会館
 この民家の男性に,
 「近くにある国際文化友好会館って,どんなところですか?」
と尋ねる.
 「ああ,あそこ・・・オレも良く知らないが,どこかの宗教団体の施設だよ.一般の人は入れないよ・・」
 それでは仕方がない.
 11時50分,この施設の前を通過する.なるほど,門の脇に「関係者以外通行できません」と書いてある.


■檜並木の道
 11時53分,地下道を潜り抜ける.
 すると,道路の進行方向右側(北側)に,素晴らしい檜並木が続いている.ごく緩やかな下り坂である.立派な檜に癒されながら,のどかな坂道を下り続ける.
 この檜並木があまりに感動的だったので,曰く因縁が知りたくなり,帰宅後,塩尻市観光協会のホームページを調べたが,私が調べた範囲では,この檜並木の記事はなかった.




■柿沢橋跨道橋
 11時58分,長野自動車道の跨道橋に到着する.柿沢橋跨道橋である.跨道橋の金網越しにみどり湖PAが見下ろせる.このPAは私達のような外部の人間でも利用できるようである.
 塩尻宿入口まで,あと1.5キロメートルほど.
 私達は,PAでの休憩をやめて歩き続けることにする.



                                    (つづく)
[参考資料]

資料1:岸本豊,2001,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2:『完全踏破シリーズちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウオーク事務局

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d4e422a718b972bd8e5a5c1051336352
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3c38a7329d48c27058e5bd9cb113b7b3 

 


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