<アジサイの御霊神社>
密やかな鎌倉古道:鎌倉権五郎の兜松と御霊神社
(単独散策)
2009年7月3日(木)
***********************
4時に起床.
数日前から天気予報を子細にチェックしていた私は,昨夜の内から,
「今日(7月3日)こそ,塔ノ岳へ行こう・・!」
と決めていた.
ところが,念のため,早朝4時の天気予報をチェックすると,丹沢山麓の渋沢では,どうやら朝6時頃,1mm程度の雨が降るようである.そうなると,山頂近くの天候はさらに悪いことが予想される.
どうしようかと迷った末に,
「山は逃げはしない・・天気が安定しているときに行けば良いではないか」
というもう一人の私に説得され,すんでの所で,出掛けそうになっていた私は,不承不承,丹沢行きを諦める,そして,背負っていたリュックを下ろし,着ていた山用の衣類を自宅用に着替える.
朝食後,私は机に向かって野暮用に手を付ける.そうこうしている内に,空は相変わらず曇ってはいるものの,どうやら当分の間雨が落ちてくる心配はなさそうなことに気が付く.私は,早々と丹沢行きを中止したことを後悔する.このままはやる心を抑えて家でくすぶっていても仕方がないので,どこか適当に散策してこようと思う.
結局,鎌倉古道上ノ道を辿りながら,鎌倉権五郎景政ゆかりの史跡「兜松」と御霊神社(藤沢)を一回りした.
たまには,密やかな史跡を辿るのも悪くないなという印象を持った.
************************
<散策地図>
■まずは鎌倉中央公園前から歩き出す
例によって,行き先を決めずに家を出発する.
このところ,家の前の道路では水道管の取り替え工事を行っている.交通整理の男性と目が会う.
「おでかけですか?・・・行ってらっしゃい!」
と私に挨拶する.
私はさも用事があるような仕草をして,
「・・・ちょっと,そこまで行ってきます.よろしく・・・」
と格好付けて返事をする.そんな弾みで,男性が立っているのと反対方向に歩き出す.
「まあ,こっちでもいいか・・」
と,成り行きに任せて,深沢方面に坂道を下る.歩きながら,
「さて,何処へ行こうか?」
と迷う.
暫く歩いている内に,
「・・・そうだ! このところ大分ご無沙汰している鎌倉の西部から藤沢辺りを歩いてみようか・・」
と思い立つ.
■深沢の泣塔から柏尾川へ
坂道を下って,大慶寺の前に出る.実の所,数年前に,私はこの寺の墓地の1画を購入している.そして,もう,自分が入る墓石も作ってあるが,ほとんど見回りに行っていない.多分,今頃は墓石に苔が大分生えているに違いない.「まずいな」と思いながらも,また次の機会に掃除に来ればいいだろうと怠惰な気分のまま通過してしまう.
明日でも良いことは,今日やらない・・
明後日でも良いことは,明日はやらない・・
ぐうたらな私は,こんなことをモットーにしている.
等覚寺の手前から深沢の多目的運動公園に出る.
ここで,また,どちらに行こうかと迷うが,たまたま,通りかかり野買い物かごをぶら下げたご婦人が,運動公園の角を曲がったので,私も釣られるようにして,角を曲がる.
クネクネと曲がる泣き塔の裏手の道を上町屋方面に向かう.そして柏尾川に架かる古館橋付近で時戸江ノ島線の道路に出る.何気なく古館橋を渡って直進する.5分ほどで東海道本線に突き当たって道は終わる.袋小路になっている.
仕方がないので,柏尾川河畔まで戻る.ここから神戸製鋼の工場と柏尾川の間の細い道を柏尾川の下流に向けて歩く.そして,神鋼橋で右折し,神戸製鋼の敷地沿いに西へ進む.
■鎌倉権五郎の兜松
7~8分歩くと,神戸製鋼の敷地内にある鎌倉権五郎の「兜松」に到着する.もちろん,鎌倉権五郎の時代の松はもうないが,この松が生えていた所に案内板が立っている.金網越しにこの案内板の写真を撮る.
この案内板によると,鎌倉権五郎は後三年の役の戦勝記念のために,松の木の根元に兜を埋めたという.
<鎌倉権五郎の兜松>
■鎌倉古道上ノ道
兜松を通り過ぎると,御霊神社のある丘の麓に到着する.道が登り坂になる.直ぐに民家が途絶えて,山麓をトラバースする山道になる.山道の入口に「鎌倉古道上の道」と書いた案内柱が立てられている.
<上ノ道の案内標識>
■裏参道から御霊神社へ
この山道をほんの2~3分登ると峠に達する.峠で,山頂に向かう道を右に分岐する.
ここで右折して,ほんの少し登ると,御霊神社(ゴレイジンジャ)の裏山に出る.ここが御霊神社の裏参道入口である.
裏山には沢山のアジサイが繁茂している.アジサイが密集する中に散策路が作られているが,下草が繁茂していて,沢山のヤブ蚊が付きまとってくる.立ち止まると蚊に刺されるので,絶えず歩きながら,アジサイの中を社殿を目指して下る.
<御霊神社裏参道の案内板>
■立派な社殿とアジサイ
御霊神社の社殿は厳かで立派である.ただ,ここは藤沢市に属する.鎌倉市内の社寺の資料しか持っていない私には,この神社の歴史は分からないが,鎌倉権五郎に関連のある神社なことは確かである.
私が社殿を見上げていると,私と同年輩と思われる紳士が,表の参道から登ってくる.お互いに軽く会釈を交わす.
鎌倉から藤沢行きのバスに乗り,バス停「御霊神社前」で下車して,6~7分歩くと表参道に到着する.私は表参道へ出ようか,それとも,また三叉路まで戻って,山道を先へ進むか迷う.結局,今回は鎌倉古道を辿ってみたいので,今来た道を引き返して三叉路まで戻る.そこから,引き続き山道を下る.
<咲き乱れるアジサイ:御霊神社の境内にて>
※沢山のアジサイが咲いているのに,訪れる人はほとんど居ない.
<御霊神社の立派な社殿>
※立派な社殿である.人影はなくヒッソリとしている.
<凄い断崖:御霊神社の裏山>
※鎌倉古道を降りて,振り返ると,御霊神社裏山の断崖が見える.
■東海道本線の跨線橋を渡る
ほんの5分ほどで,山裾に降りる.ここにも「鎌倉古道上の道」と書いた案内杭が立っている.山道が途絶えると,工場か資材置き場か良く分からない雑然とした建物が並ぶところに入り込む.
「こんな所を通っても叱られないかな・・」
と気になるほど良く分からない所である.
直ぐに東海道本線沿いの道に出る.
目の前に跨線橋があるので,成り行きでわたる.長い跨線橋である.跨線橋の下には沢山の線路が並んでいる.上り下りの電車がかなり頻繁に走っている.
<東海道本線:藤沢・大船間>
■弥勒寺
跨線橋をわたり終えて,東海道本線に沿って西へ歩く.すると,5分ほどで弥勒寺に到着する.この寺の由来も調べていないので分からないが,由緒ある寺であろう.寺の境内を抜けると,高架橋のある大きな道路に出る.
<弥勒寺>
※立派な本堂.人気がなく静まりかえっている.
■藤沢駅を経由して鎌倉中央公園へ戻る
この道路を北へ進むと天獄院がある.
さらに,ちかくには村岡城趾もあるが,思いつくままに立ち寄っていたらきりがなくなるので,適当に左折して,藤沢駅へ向かう.
藤沢駅を通り抜けて,川名橋,手広,深沢を経由して,今日の出発点である鎌倉中央公園入口に戻る.歩行距離が何キロになったかは計測していないが,結構な距離を歩いたようである.多分,12~13キロメートルは十分あるような気がする.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【鎌倉古道】
『かまくら子ども風土記』によると,鎌倉古道には,上ノ道,中ノ道,下ノ道があったようである(鎌倉市教育センター,2009,p.260).上ノ道は化粧坂,十三坊塚,上町屋,村岡の宮に抜ける道だったようである.途中には,このブログでも記述したことのあるあの激戦地州崎がある.上ノ道は,さらに東俣野,府中,今市,高崎方面に通じていたようである.
これらの三つの道は相互に次の図のような関連をもっていたようである(稲葉,1982,p.300)
|↑高崎 /↑奥州
児玉 芝
| |
寄居 池上
上 | | 下
ノ 菅谷 丸子 ノ
道 | | 道
入間川 日吉
\ |
府中----二俣川 弘明寺
/ \ /
関戸 中ノ道 \ /
| 永谷
瀬谷 |
| 大船
村岡 |
\ |
州崎-化粧坂口==巨福呂坂口==
∥ ∥
←京都-----極楽寺坂口 鎌倉 ∥
(京・鎌倉往還) ∥ ______ ∥
∥_/ \__∥
【鎌倉権五郎景正】
鎌倉権五郎景正は,桓武天皇の末裔平良兼の孫,村岡五郎忠通の5人の子の1人(鎌倉市教育センター,2009,p.151).
後三年の役で,源義家に従うが,右の目を矢で射られる.武勇が人々に知られて御霊神社の祭神になったという.
[参考文献]
稲葉,1982,『「鎌倉の碑」めぐり』表現社
鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉教育委員会
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8c34fce0304fd360afe70c1588c60f41
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c385528b8808876527637c8efee55f36