中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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善光寺街道;第1回;第3日目(3);小諸宿;与良から荒町へ

2015年09月18日 02時56分31秒 | 善光寺街道・善光寺西街道

                                                                        <風格のある旧家>
 
       善光寺街道;第1回;第3日目(3);小諸宿;与良から荒町へ
             (五十三次洛遊会)
        2015年8月25日(火)~27日(木)

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第3日目;2015年8月27日(木) (つづき)  曇

<ルート地図>

■小諸宿

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■小諸市街地拡大図

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<小諸宿与良町>

■信号唐松を通過
 TSUTATAで休憩を終えて,11時16分,再び歩き出す.まずは目の前のY字型の交差点唐松を渡って,右側の道路を歩く.極々なだらかな登り坂である.歩くに従い道路の両側に民家が建ち並び始める.
 11時26分,登り坂が終わって,三差路を真っ直ぐ通過する.この三差路から先は道路の両側に商店や民家がビッシリと軒を連ねている.いよいよ小諸宿である.
 
<信号唐松>                                  <>

■道標と馬頭観音
 11時29分,小さな十字路を通り過ぎる,この十字路に建っている白壁の家の際に,「浅間山別当具楽寺」と刻字した道標と,立派な馬頭観音が立っている.
 「ほほう…でかい道標だな…」
と感心する.
 この辺りから先は,随分と賑やかな街並みに変わる.
 馬頭観音のすぐ先に,「ここは与良街 北国街道」という大きな案内杭が立っている.いよいよ私達は小諸宿に入る.
 
<道標と馬頭観音>                           <与良街の案内杭>

■与良家住宅
 11時35分,立派な門構えの家の前に到着する.
 門の前に,案内板が置いてある.この案内板の記事によると,この地方の豪農の住居だという.
 なかなか風格のある土壁の家である.
 入口の案内板の記事によると,築400年.正面外観は,園側のない古い農家の形式だという.まだ,ご家族が住まわれているというので,門の外からそっと拝見する.
 
<豪農の家の立派な門>                        <風格のある家>

■大日如来
 11時37分,立派な白壁の家の前で右折して路地に入る.この辺りは小諸の観光スポットのひとつらしく化粧タイルで舗装した道路が続く.かなりの坂道である.
 坂道を2~3分登ると,三っ角に到着する.こ三っ角に小さな石の大日如来が祀られている.
 
<白壁の家のある散策路>                         <大日如来>

■こもろ高濱虚子記念公園
 三っ角を左に曲がったところに高濱虚子記念公園の入口がある.ここは跡で訪れることにして,一旦往路を引き返す.
 11時44分,街道に面した公園入口に到着する.ここでトイレ休憩を取ることにする.
 この公園は,北国街道与良館(右下の写真の左端の建物),俳小屋,銭蔵をここに移築して,公園として整備したところである.
 
<高濱虚子記念公園入口>                         <街道に面した公園入口>

小諸城銭蔵
 公園のベンチで10分ほど休憩を取る.
 その後,ベンチの奥にある小諸城銭蔵を見学する.
 銭蔵脇の路地を登る.ちょっとした急坂,曲がりくねった道である.

<小諸城銭蔵>

■高濱虚子旧居と歌碑
 坂道を登り切ったところに高濱虚子旧居(虚子庵)が残っている.
 傍らにある案内板の記事によると,虚子は正岡子規に師事し,新派俳句の俊秀として活躍,排誌「ホトトギス」を主宰した.戦争中の昭和19年から,3年1ヶ月の間,この地に疎開していた.子規は,この家で「縁側散歩」を楽しみながら句作に励んだ.
 この挙式年間には,直筆の屏風や日々愛用していた品々が展示されている.
 虚子庵の脇に虚子の歌碑が立っている.歌碑には,
 ”風花に 山家住ひも はや三年”
という詩が彫ってある.
 
<虚子庵>                                     <虚子歌碑>

<熊野神社と八幡神社>

■野岸小学校
 虚子庵のすぐ上の道を西へ向かう.
 12時02分,乃木誌小学校前に到着する.私が小学校1~2年の間通った母校である.当時は第三小学校と呼んでいた.1~2年は第三小学校,3~4年は坂上小学校(当時は第2小学校),5~6年は第一小学校(今,市役所があるところ)に通っていた.勿論,もう70年も前のことである.当時の面影は全く残っていないような気がする.
 小学校のプールから元気な子供達の声が聞こえてくる.プールの水が素晴らしく綺麗なこのにビックリする.

<野岸小学校>

■熊野神社と八幡神社
 12時04分,熊野神社に到着する.広々とした緑陰の敷地である.同じ敷地の中に,八幡神社が鎮座している.
 敷地の片隅に虚子の歌碑がある.
 
<熊野神社>                                <八幡神社>

■海応禅院
 近くに海応禅院があるが,時間の都合もあるので,参拝は省略する.
 小諸観光案内によると,海応禅院は戦国時代の1544年に開山,2代将軍徳川秀忠が,関ヶ原に向かう道を真田昌幸の抵抗にあって,小諸に足留めされた.このとき,海応禅院の住職が間に入って,和睦が成立した.将軍は礼として寺に「下馬札」などの品を賜った.そのため,参勤交代の大名といえども駕籠や馬から降りて寺の前を通ったという.
 参道には天然記念物のコモロスミレが咲くという.残念ながら私には花のことは良く分からないが…

<荒町へ>

■全宗寺と無量寺
 12時18分,八幡神社から南へ下って,全宗寺参道前に到着する.参道突き当たりに全宗寺の本堂が見えている…が,本堂まで少々距離があるので,参拝は省略する.ついでに隣にある福徳稲荷もパスする.
 12時20分,無量寺の参道前を通過する.
 全宗寺と無量寺の由来などは,手許の資料では不明で,まだ調べていない.
 
<全宗寺>                                  <無量寺>

■荒町館から相生町へ
 12時22分,荒町館に到着する.
 何か良い資料でもないかなと思って,荒町館の中に入る.館内は薄暗くて,それほど広くない.どうやら無人である.
 資料棚に陳列されている資料を,ざっと眺めるが,特に目新しい資料はないようである.
 街道の両側には,風格のある商店や醸造蔵などが建ち並ぶ.いかにも宿場町らしい名残を感じるところである.
 12時25分,相生町との交差点に到着する.
 
<荒町館>                                  <相生町との交差点>
                                    
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
                                        (つづく)

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「善光寺街道」の目次
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33d3e4a1fc9831ac17b48baa1b527962
「善光寺西街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f71644979892cd488cd56360b380d188

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