大昔、都城は湖でしたが、鹿児島の錦江湾で大爆発が起こり、その灰がシラスとなって湖を埋め尽くし、現在のようなくぼんだ形になりました。これが都城盆地の起こりです。その後、約1万3千年前から人が住むようになりました。
昔は、湖だったんですよね。
私たちの足元には、数多くの遺跡が残されています。
これらの遺跡は、「埋蔵文化財」と呼ばれる、国民共有の財産であり、文化財保護法でその保護が定められています。
そのため、土地の改変を伴う開発や工事を行うときは、文化財保護法に基づく、次のような協議・手続きが必要です。
開発予定地が「遺跡の範囲内」(周知の埋蔵文化財包蔵地内)にあった場合、「どれくらいの深さに、どのような遺跡が、どれくらい残っているか?」を調べるために、試掘・確認調査を行います。試掘・確認調査の費用は教育委員会が負担します。
また、都城市では開発予定地が遺跡の範囲外(周知の埋蔵文化財包蔵地外)であっても、1万平方メートルを超える大規模な事業の場合、試掘・確認調査の協力をお願いしています。(都城市HP抜粋)
しかも、よくみると、
結構、なんですね。
歴史から推移すると、
祝吉ごしょ、あたりなのかなと、思いきや広範囲なんですね。
埋葬お宝財なのか、判断が難しい所ですが、歴史を見ると、教育委員会さんにも、土地を扱う人間として知ることが大事なのかも、お聞きする事も大事かも、しれませんね。
では!