おとといの地震で、世界は変わってしまった。
普段なら誤解を招くのを恐れて、またアホなことを書いて顰蹙を買うのを恐れて、
世間のことに対する記事は書かないようにしているのけれど、
今回は書く。
わたしの住む群馬の山奥もけっこう揺れたけれど、
物が落ちてきたとか停電したとか断水したとかそういうことはなかった。
心配して電話を下さった方々、本当にありがとうございました。
心配してくれる人がいる、っていうだけで、こんなに心が温かくなるものなのか。
テレビを見ていて時間が経つにつれて、少しずつ状況が分かってきた。
なんと表現すればよいのか分からない。
酷い目に遭った人たちに、わたしはいったい何をすればよいのか?
わたしに出来ることは何か?
わたしはぬくぬくとしてよいのか?
40を過ぎてもちっとも役立たずなわたしがイヤだ。
胸だけは痛む。
もともとあまり眠れない方だったけれど、また夜中に目がさめるとなかなか眠れないようになってしまった。
テレビで見た、津波から辛くも逃れられたお父さんを思い出すだけで、涙が止まらなくなってしまう。
長女の手は離さなかった、でも妻と下の子供二人は流されてしまった、と
こらえながら話していた。
阪神淡路大震災に実家は被災したけれど、わたしはもうこの群馬の山奥にいて、遭わずに住んだ。
親戚の親戚も亡くなった。
たまたま運が良かっただけなんだ。
宗教を捨てたことを後悔する。 こういうときに祈る対象が欲しい。
どこに祈ればいいか分からないけれど、それでも空に向かって祈る。
ひとりでも多くの人が助かりますように。
少しでも状況が良くなりますように。
写真↑ 今朝の山
そうだ、やれることを少しずつ頑張れば良いのだと、少し救われます。
少しずつ少しずつ、やれることを支援するつもりです。
浸ってても仕方ないですよね。
これを機に原発どうするか真剣に討論するのも良いし、
自民・民主の下らない足の引っ張り合いを止めても良いし、
わたしといえば、晩飯作るの早くして節電すれば良いし、
ちょっと疎遠になりかけの人にメールを書くのも良いだろう。
今夜こそ良く寝て、明日は元気なお母さんをやろう。
どのような支援を求められているか、アンテナを張ろう。