本当に客観的に世界を見ることができるのか?
という疑問を、生物学的な切り口で解く。
サブタイトルは、「イリュージョンなしに世界は見えない」 。
日高氏なのだからもちろん、虫や猫が引き合いに出される。
結局、それぞれの生き物の感知できる範囲内のことしか処理できない、
ということだ。
そして、ヒトという生き物はどうなのだろうか?
そこへ話がシフトすると、哲学になってしまうわけだ。
いきなり哲学の話になると、うへっ、と思ってしまうが、
その前に生物学の視点からの話をたっぷり読ませているから、
苦労せずに入れる。
極端なことをいえば、終章 「われわれは何をしているのか」 だけを読んでも
話は分かりそうだ。
特にその中の最後、「われわれは真理に近づいたのか」 、
達観した結論が胸を空く。
ヒトは、彼のいうイリュージョン を更新していく生き物だ。
なるほど、そういう考えがあったのか。
絶対的な真理、というものをそもそも想定しない。
しかも、その考え方そのものもイリュージョンとして入れ子に扱う。
相対的にものを考えると、気が楽になると思う。
生物学の研究者でも、生物のことだけを考えているわけではないようだ。
それぞれの研究をしながらちょっと違った次元において導き出される面白い考えに、
このようなビッグな方々のものに限らず、触れる機会がもっとほしい、
と思った。
それにしても、この方も一昨年お亡くなりになったのだった。
↑↑写真は明石公園のお濠、ユリカモメに餌をやっているところ。
猫おばさんならぬ、鳥おじさんっているようだ。
さすがに直接手からはユリカモメだけだったが、餌を遠くに投げたら、
ユリカモメだけでなく、カラスもハトも、はたまたトンビまで参戦してきた。
気が向いたら読むかもしれません。
>これは人間が動物の中で「一番素晴らしい」という意味ではなく、「人間が特殊な動物なのは何故か?」という理由です。
わたしはここらがどうもごちゃ混ぜで、且つなかなか分離できないかもしれません。
情報提供ぐらいに考えてください。
興味があれば、図書館で進化やネオテニーの本を探してみてください。
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>なんていうか、どうしてもヒトが特別になるように話って展開しがちでしょう。
そこに「違和感がある」んです、わたし。
これは因果関係が逆で、「何故ヒトは特別(他の動物と違う)なのか?」や「ヒトがサルとは違うのは何故?」という疑問の答えなのです。
>ほかの生き物の幼児が「違和感」を持っているかどうかなんて、ヒトにはそうそう分からないでしょう。
もちろん、わかりません。
幼児が大人と比べて、学習能力が高い理由の一つが「自然への違和感」という仮説です。
あくまで仮説です。
人間はサルと比べて幼児だということです。
これは比較の問題で、人間の脳はサルの「大人の脳」よりも「サルの幼児の脳」に似ているということです。
「人間の脳」は老人であっても、「サルの大人の脳」よりは「サルの幼児の脳」に近いのです。
自然に対して違和感を感じる動物は人間以外にもたくさんいると思いますが、記憶力が弱いため学習能力が弱いのです。
人間の場合だと「老人」は「幼児」より記憶力が弱いです。
同じような比較で、「他の動物」は「人間」より記憶力が弱いです。
これは人間が動物の中で「一番素晴らしい」という意味ではなく、「人間が特殊な動物なのは何故か?」という理由です。
逆に人間を「普通の動物という基準」にすれば、「人間以外の動物」は特殊になります。
例えば、鳥は「人間にない羽がある」という点で特殊な動物になります。
では、「どうして鳥に羽ができたのか?」という疑問があって、その答えもあると思うのです。
それと同じように、人間の謎への答えもあるのです。
隙間がある→大脳が発達する
→学習能力が高くなる/現実に対して違和感がある
ともっていって、生物学的にああそうですか、と素直に頷いてよいのやら。
それが心理学的な論議なら頷けるのかもしれませんが。
隙間がある、発達する、学習能力が高い、
というのはヒトの特徴だとは思いますが。
なんていうか、どうしてもヒトが特別になるように話って展開しがちでしょう。
そこに「違和感がある」んです、わたし。
ほかの生き物の幼児が「違和感」を持っているかどうかなんて、ヒトにはそうそう分からないでしょう。
ネオテニーって、幼形成熟のことですよね。
でも、この単語が出てくると、どうもその言葉がホットだった時代の匂いがついて回ってしまう。
今西錦司氏がからんでくるあたり、なんていうか生物学的にはビミョーな部分があります。
岸田秀氏は、生物学的な事実を土台にして説を展開する、と申しておきましょう。
「本能が壊れた」というのは比喩ですが、「幼児は自然とうまくやっていけない」ということです。
人間が学習能力が高いのは幼児だからなのです。
これは頭蓋骨の構造に原因があるのです。
サルの頭蓋骨と比べて、人間の頭蓋骨は隙間があるのです。
だから大脳が長い時間、発達するのです。
大脳が発達することは学習能力が高くなる反面、現実に対して違和感を感じるという面があるのです。
その違和感を拭うために「文明」を作ったというのが岸田秀さんの説です。
だから生物学的な事実が基礎になっています。
パリ留学ですか。
日高氏の文章が、子供の中学国語の教科書に載っていて、
それが生物の話ではなく、国によって文化が違う、って話なんですよ。
ああ、いろいろな国に行っているんだなぁ、
と漠然と思っていました。
うーん、「ネオテニー」 って、生物学的な意味で使われるのと、ちょっと外れたあたりで使われるのと、
なんだかニュアンスが違うんですよね。
ほら、「エコ」 みたいに。 なんともいえません。
本能が壊れた、という意見も賛成できません。
とはいえ、岸田氏のそこらへんを説明しているところを読んだわけではないので、
どういう文脈でそういっているのか分からないんですけれど。
ほら、生物学的な意味でいっていることはないと思うので。
岸田秀さんによれば、人間は本能が壊れたサルだそうです。
ネオテニー(幼児成熟)というそうです。