日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

つばさは雨に濡れて

2009-12-06 18:37:06 | 鉄道
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本日はドンヨリ天気。午後は荒れるという。
撮影ポイントも決めないまま、8時半に出発し10時前には湯沢に到着。今回はETC様々だ。

とりあえず、岩崎鉄橋を俯瞰できる千年公園に向かってみる。
ここで3名の方とご一緒。横手の駅でヘッドマーク掲出を確認してきたとの事、ごくろうさまです。
「SLの時はいっぱいいたのにねぇ」と歓談すること数分、来ました4灯の「つばさ」。
でも、右タイフォンカバーは開いたままで・・・。

午後の下りは、雄勝の役内川にかかる鉄橋へ(なんていう鉄橋ですか?)。
ここでは8名とご一緒。青森のワンダフユ号とはつかりを撮ってきたという強者も。
その後は冷たい雨と風に一同無言・・・。
タオルを車に忘れてきてカメラはびしょ濡れ。防滴だけど大丈夫かな?反省。

タイフォンが靄の向こうから響く、緊張の一瞬。目測を誤ったかなと思ったが、ぎりぎりフレームイン。
後追いで見るとタイフォンまだ開いていました(笑)

雄勝でちょいとネタ拾いをして、帰宅。
と思ったが、秋田中央インターを通過直前に時計を見ると2時半。欲を出し、秋田駅でお迎えする事に。
阿仁合からお見えになった方と、「今晩のネットは楽しみだねぇ」なんて雑談を交わし、回送を見送って、つばさとご対面会は終了。

あいにくの天気だったが、またこれもいい思い出になるでしょう。
本日、沿線各地で撮影された方々、お疲れさまでした。

あしたはつばさ

2009-12-05 17:22:23 | 鉄道
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明日は新庄から秋田まで特急「つばさ」が復活する日。
かつて上野ー秋田間を結んでいた特急だ。

平成4年7月、山形新幹線開業に伴い、つばさは山形新幹線の愛称に、「特急つばさ」は「特急こまくさ」と改称され消滅した電車。

当時東京に行く際、行きは急行津軽、帰りは新幹線&特急たざわが我が家の定番だったので、乗った事はなかった。なので今回は楽しみだ。

でも、秋田以南の奥羽本線の撮影はした事がないので、少々不安・・・、どうしよう。
明日行ってみてスタンバイしている人がいる所を探すしかないかなぁ。


画像はつばさのヘッドマーク。どこかで拾ったもの。こんなにオレンジ色強かったっけ?

迷い鮭

2009-12-04 19:34:18 | その他

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午前中、一息入れて家の隣を流れる川を見ると、波紋が立っている。
水鳥かなと思ったが、彼らは人の気配を感じるとすぐ飛び立つので違う。


なんの魚かなと思い目を凝らすと、大きな2つの魚影が。
「んん!サケ?」
お世辞にも綺麗と言えないこの川に、ここ数年サケが遡上してくる。
さすがにここでふ化した個体ではあるまい。いわゆる迷い鮭だ。


メスに寄り添う、キレイな「ブナケ」を纏ったオス。



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メスはときおり横向きになり川底を尾びれで掘りかえし、オスは産卵を促すかのように鼻先でメスをつつく。
でも、かなしいかな。この川底はいくら掘っても砂利はでてこない、河川底質(ヘドロ)なんだな。
産卵しても、すぐ流されてしまうだろう。


捕まえてきれいな川に放してやろうかなんてのは人間のエゴ、これが自然なのだ。
でも、こんな川にしたのは・・・、人間なんだなぁ。



サケ(シロサケ) サケ目サケ科サケ属
北海に住む、大型の魚。秋、自分の生まれた川をさかのぼって卵を産む
薄紅色の肉は美味。卵も食用。



偶然の歴史巡り

2009-12-03 23:29:40 | その他

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結婚式は初めて親族紹介に参加。ちょっとユーモアを加えた自己紹介をして、つかみはオッケー。
今回の披露宴は終始ほんわかムード。田舎のそれとは違う良さがあった。
結婚式のあとは茨城にある伯母宅へ。その後はお酒が入ってバタンキュー。


翌日は、別へ泊まった叔母2人を最寄りの栗橋駅(といっても20分はかかる)へ迎えにいく。ここはJR宇都宮線と東武日光線が乗り入れている駅。つかの間の鉄分補給をしていると駅前で怪しいものを発見。



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なんと、静御前の墓。
義経を慕って平泉に向かう途中「義経討死」の報を受け、京都に戻ろうとしたが文治5年(1189年)9月15日、この地で亡くなったとある。
ちと調べてみると、この手のものは各地にあるらしい。が、ここは判官贔屓の私。何かの縁を感じ、本物の墓と信じて、手を合わせ辞去した。


叔母たちは落人伝説のある栃木の湯西川温泉に泊まるので、日光方面へ。
途中、鬼怒川温泉、川治温泉と名だたる温泉地を通過。温泉街に川が流れているっていいよね~、いつか来てみたいなぁ。叔母たちを下ろし、時間がないので落人探索もなし・・・残念。福島へ向け北上。
ちなみに落人といえば、秋田では阿仁の根子集落。ここには父の同級生がおり「親方の家」と言われ落人の長の家だそうな。



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で、この標識、三重複国道。こういうのも興味を引かれる。前回通ったときは合併前で、藤原町上三依だった。
ここから少し行くと、秘境駅で有名な野岩鉄道、男鹿高原駅の看板。ここは寄ってみたかった。あぁ~、こういう時、同乗者が興味がないと寄りにくいよねぇ。泣く泣くスルー。



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福島へ入り、本日のメイン大内宿へ到着。山間に茅葺の宿が軒を連ねる。宿場町の雰囲気が最高。昔の旅人は宿に着いてホッとしたんだろうなぁ。



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ここで食べたのが三澤屋の名物「高遠そば」。ネギを箸がわりにつかい、薬味としてかじる。さすが会津そば街道と名乗るだけあって、そばは絶品。で、ここでまた食指が・・・。「高遠」?
歴史好きなら高遠といえば、信州高遠藩を思い浮かべるとおもうのだが。福島なのになぜ???


これは徳川二代将軍秀忠の四男、保科正之が高遠藩三万石保科正光に養子になり、出羽山形二十万石へ加増。その後、会津に移り会津松平家の初代藩主となり、このそばが会津に伝わったとか。
となると山形のそばも彼の仕業??


うーん、歴史は深い。ちなみに会津といえば白虎隊。白虎は16歳~17歳の兵士。その他、朱雀(18歳~35歳)、青龍(36歳~49歳)、玄武(50歳以上)と年齢別に隊を組んでいたという。
これは古代中国の四方をつかさどる神「四神」から来たもので、東は青龍神(春、青)、西は白虎神(秋、白)、南は朱雀神(夏、赤)、北は玄武神(冬、黒)を表しているとか。
大相撲で勝負審判紹介の時「赤房下だれそれ」というのを聞いた事があると思う。これもかつての四本柱、現在の房の色はこの意味がある。


半ば強引に大相撲まで引っ張ってしまったが、これで今回の旅は終了。面白い発見があった旅だった。


でも本当は会津若松で「SLばんえつ物語」を見たかったんだけどなぁ・・・。



明治記念館

2009-12-02 21:10:02 | その他

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今回の会場はここ「明治記念館」。
朝五時半に到着し、門前でブログを更新している間に、守衛さんが開門してくれて1番乗り。
こんなに立派だとは思わなかった。こんなところで式挙げるの?と正直驚いた。



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前出のお巡りさんが、ここは由緒あるところだからというので、記念にとだぁ~れもいない会場を撮影して歩く。



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そこで見つけたのがこれ「憲法記念館」の碑。帝国憲法制定の際、御前会議が開かれ、後に明治記念館と改称、結婚式場としてオープンしたという。揮毫は公爵徳川家達。ここで私の食指が動く。
この家達公、徳川慶喜の死後、徳川家を相続した人物。また好角家としても有名なのである。
そこで深イイ話。


大の相撲好きの家達公は、偏った力士個人を応援する事は避け、相撲全体を愛好していたという。
そのため親しくしている相撲仲間にも、どの力士が好きだという話は言った事がなかった。
それを聞いたある人が、「徳川さんは相撲は好きだが贔屓はないと言われるそうですが、外に発表される事はなくても心の中では好き嫌いはあるんでしょうね」とたずねたところ、家達公は「それは人間ですからね」と答えたという。


いい話だと思いません?。島田紳介あたりは「う~ん」なんだろうなぁ。


ここいら近辺は、同じく相撲好きの乃木希典邸や鶴屋南北の「東海道四谷怪談」でおなじみのお岩稲荷
があったりとなかなか興味深いところ。あとでゆっくり散策してみたいなぁ。



徳川家達(とくがわいえさと)徳川宗家16代当主。
貴族院議長、ワシントン軍縮会議首席全権大使、日本赤十字社社長などを歴任。