日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

2時間遅れのあけぼの

2010-03-21 10:51:22 | 鉄道
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今日は彼岸の中日(ちゅうにち)で、3月場所の中日(なかび)。

今日は天気も悪いので、583系TDR臨の撮影はナシだなぁと思っていたので遅めに起床。

するとあけぼのが2時間遅れで下ってきているらしい、運良く雨も上がっている。

これは!と思いパチンコ屋さんで、状況確認しているとノロノロあけぼの登場。

これなら追いつけると思い、先のカーブへ。ここは踏切脇にお墓がある。

彼岸参りの人と絡めようかなと思ったけど、位置が悪い他にまばらだったのでしかたなく正面から。

ほぼ2時間遅れで10時8分に東能代を発車。このスジは本来583が走るスジ。

ということは583はまだだよね?いま、どこを走ってるのかな?

屋形の変遷

2010-03-20 23:19:13 | 大相撲
本場所で土俵の上にある「吊り屋根」は、正式には「屋形」といいます。


この屋形、実は時代によって形が違うのです。



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上の写真は「切妻造」。江戸時代から明治41年まではこの形でした。本を開いて被せたような形が切妻造。
ちなみにこの絵は、勝川春章 筆「江都勧進大相撲の図」



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明治42年に旧両国国技館が開館してからは、「入母屋造」になります。最初は左のような「四方」に破風がありますが、大正6年に火災で焼失してからは、右のような「二方」の破風になりました。



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そして、現在の「神明造(しんめいづくり)」。神社などと同じ建築様式になっています。
ただし昭和27年に「四本柱」が廃止されてから、現在のような「吊り屋根」式になっています。
4本の房をつけているのは、四本柱の名残です。


なぜこんな変遷を辿ったのかはわかりませんが、絵や写真を見ていたら気づきました。


こういった違いを見つけただけでも面白いですね。



雷電 秋田に来る その3

2010-03-19 21:47:01 | 大相撲
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この雷電日記、実は俗称で現役時代の巡業日記が「諸国相撲控帳」の壱と弐の2冊。引退後、出雲藩相撲頭取になってから書いた公文書「萬御用覚帳」の計3冊をひっくるめて「雷電日記」といっています。
 
その1で書いた内容が「諸国相撲控帳」の壱から、その2と今回の内容は同書の弐に書かれています。
 
で、今回は最後の訪問、文化8年(1811)6月、坂田(山形県酒田市)から秋田入りします。
 
松ヶ崎というところで、3日間18両で興行。
久保田では晴天7日間、85両に定め興行。出羽久保田では、いずれも繁盛した。
ほう沢というところでは、2日で9両、大達というところに向かい晴天3日、40両に定め7月11日に場所を終えた。
 
松ヶ崎は秋田県由利郡岩城町松ヶ崎、久保田は秋田市内、ほう沢は秋田県北秋田郡鷹巣町坊沢、大達は大館市です。こうしてみると、街道の宿場町で興行を打っているのがわかります。(旧町村名です)
 
それから一行は御城下(弘前)、小づくり(木造町?)、鞍石(黒石市?)、青森、森岡(盛岡)を回っていきます。
 
当時の南部藩は丸い土俵ではなく、四角い土俵を使っていました。
 
雷電はもしかして、盛岡の四角い土俵で相撲を取ったのかなぁ。興味が尽きません。

雷電 秋田に来る その2

2010-03-18 23:59:09 | 大相撲
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雷電来秋、第2弾です。文化元年(1804)の記述、山形は天童から秋田入りします。
 
(7月)14日秋田久保田へ到着した。場所は85両で契約 ~ 8月4日まで相撲をとった。
 
宿は秋田のやばせというところ。やばせよりみなとまで40丁もはなれていて、馬の足代が25文かかった。
女郎屋に通うのに馬代が金2分かかった。
 
馬に60貫ほどの うり なす すいかを積み、毎朝6~7里、海辺から城下まで通い、朝6時に来て9時前には売り切っていく女馬方がいた。
 
この女は自分でも40貫ほど背負ってきていた。馬も女もなかなか強いものだ。大きなうりを一本食べながら商売をしていた。帰りには馬の上に横になってタバコをふかして帰っていった。早朝2時には荷物を馬に積み終わっているという。
 
8月5日に出羽ヶ岡へ出発した。途中、六合から本庄、塩越を通ったところ壁は壊れ、家は倒壊し、石地蔵は壊れ墓石も倒れていた。塩越についたときには家はすべて倒壊し寺の杉の木は倒れ、地面深く逆さまに突き刺さっていた。
 
喜サ形では、以前来たときには陸地であったところに海水が膝までつかるようになり、満潮には首までつかるようになった。
 
九十九島といわれた景勝地も大地震で隆起し、丘になってしまった。
6月4日夜9時のことだという。
 
 
今回は秋田市内だけの巡業です。「やばせ」は八橋、「みなと」は土崎港です。豪傑な女の売り子に大変関心している様子が面白いです。
 
で、問題はその次の項。
出羽ヶ岡は山形県の鶴岡。道中、六合(岩城町?)から本庄(本荘市)、塩越(象潟町)、喜サ形(象潟)では、「文化の大地震」のあとを通っている。
 
詳しく描写しているところを見ると、前回通った頃には「東の松島、西の象潟」と比較されるほどの景勝地だった象潟が、地震により一変した様子がわかります。
 
このあと、象潟から酒田までも地震すさまじさが書かれています。この「雷電日記」は地震の研究でも重要な資料になったと思います。

白粉お嬢様 T-18

2010-03-17 09:29:12 | 鉄道
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昨日お知らせした通り、今日はいなほネタです。

雪がチラつく今日の朝。いつもは外に出るのもおっくうになるのに、お嬢が来るという事で喜び勇んで、先日のポイントへクルマを走らせる。

先回は置きピンを失敗したので、慎重に合わせるとススキが邪魔なのに気づいた。

剪定鋏を取り出し、時計を見ると10分前。成敗に向かうとバラなんかが刺さってきて、思うようにはかどらない。

ムキになって問題のススキまでの道を整備していたところに、白粉でお粧ししたお嬢様が登場。

「あぁ、来た」と言ったかどうだか、鋏を放り出し急いでカメラへ戻り、ちょっとピンをハズしたところでパチリ。

思ったより時間が経っていたんですねぇ、ススキも写り込んでるし、う~ん残念。タイフォンはまだ直ってないし・・・。

今日は風の影響で、日本海もあけぼのも遅延。結局この一本で終了でした。