ベトナム・ホーチミン市で生きる。ふも・ふもまろの足音 buoc chan cua Fumomaro.

ふもまろのひび
Moi ngay cua Fumomaro.
ベトナム・ホーチミンシティの下町から

お墓はどこに。。。。

2020年10月27日 23時07分10秒 | 人生
みなさん、こんばんは。

ふもまろです。


皆さんは、「死」について、自分のお墓について、

考えたことはありますか?

私は、ベトナムにいるからなのか、

身近な知人、家族がこの世を去ってしまったからか、

よく、「死」について考えることがあります。

もちろん死んだら何もないと思うんです。

アラフォーになって、周りで健康の話題が話されたり、

自分が老いるという事は、親も老いていく。

自分の父親は5年前に、末期がんと闘って、

本人はまだまだ生きる意欲でいっぱいでしたが、

心臓が耐え切れず、息を引き取りました。

父が亡くなったと同時に、父の魂が乗り移ったような、

あー、自分も父親なんだ。

子供たちに自分の遺伝を残し、

次は自分の番と改めて感じさせられました。

またベトナムいると、日本ほど交通事情が良くはないので、

日本人も結構交通事故に巻き込まれて亡くなる方がいます。

自分の場合は、しばらくはベトナムにいるので、

ではベトナムで亡くなったらどうなるのか?

聞くと、日本へ搬送されたり、

事情によってベトナムで火葬されてから、

日本へ送られたり。

自分の場合はどうなるのか。。。。

日本への搬送となると、お金かかるから、

家族にはあまり迷惑をかけたくないし、

誰か骨を拾ってくれる人はいるのか。。。鬱。。。

ベトナムのお墓について書きますと、

日本って、「何々家のお墓」という事で、

一族のお墓だったり、夫婦のお墓や、

今は色々な理由で、お寺の合同のお墓があったり、

また一部は海などに散骨したりと。


ベトナムの場合は、苗字が夫婦別姓からか、

今まで見てきた中では、夫婦でそれぞれお墓が分かれてたかな。

もちろんお寺の中に、納骨堂があって、

そこに納骨する場合もあります。

子供の時は、死というものが怖い存在でしたが、

こうやって結婚して、親になると、死の怖さよりも、

自分はどうなるんだろうと、漠然とした不安に駆られます。

ただ思う事は、死後に一人になりたくはないなあという思いです苦笑。

良くまだ考えるの早すぎとか言われますが、

身近に死を感じると、考えてしまうんです。

日本にいたときは、あんまり考えませんでした。

やっぱりある程度、安全が保障されてますから。

だからと言って、日本に戻りたいとかそういうのではなく、

いつ死ぬか分からないけれど、

とにかく、精いっぱい生きたいなって思っています。

少しダークな話題ですみません。

決して、自殺願望があるとか、早死にしたいとか、

そうではないんですよ。

身近に、同年代の方の訃報を聞くと、

やっぱり生きないと、、、、。

そういう生きる意味を教えてくれたベトナムにも感謝しています。

だからこそ、体が自由に動くうちは、

できる限りのことはしたいと思っています。

死は運命、どうすることもできません。

どうしようもないのに考えてしまう。。。



それでは、また。

ふもまろでした。