ベトナム・ホーチミン市で生きる。ふも・ふもまろの足音 buoc chan cua Fumomaro.

ふもまろのひび
Moi ngay cua Fumomaro.
ベトナム・ホーチミンシティの下町から

tanoshiku ikirereba iikana....

2022年04月25日 02時06分38秒 | 人生
みなさん、こんばんは。

ふもまろです。


みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

ベトナムはもう0時を過ぎましたので、月曜日、また1週間が始まりました。

少し前までは、この暑いところで死にたくないなあ。

もしここで死んだら、お墓はどうなるんだろうと。

まだ40過ぎたばかりの、自分がそんなくだらないことばかり考えていました。


でも、ここ1ヶ月ぐらいですかね。

ウクライナとロシアとのことで、

自分の中でも、この考えについて、少し変わってきました。

早く、平和な世界が戻ってきて欲しいと思います。

世界中に苦しんでいる国、苦しんでいる人、

まだまだたくさんいると思うんです。

自分のように、くだらないことを考えていること。

どこの国にいても、この戦争を通じて、

家族が引き裂かれてしまったり、

どっちにいても、大変辛いことだと思っています。


ふもまろも思い返すと、

約一年前、

ベトナムでコロナの感染が拡大したとき、

日本が入国宣言、

ベトナムも日本に戻れないことはないですけど、

家から許可なく出られない状況に。

食べ物もあまり食べたいものも手に入りづらくなったり。

その中で、ウーバーイーツみたいなフードアプリ、

グラブフードが大活躍。

そう、思い出すと、よく貝を頼んでました。

だって、牛肉、豚肉、時々鶏肉。

そんな中、貝を食べられるだけでも幸せ。

家から出られない状況ではあったものの、

勇気のある親戚のおばちゃんが買い出しに走っててくれて。

日本食は食べられませんでしたけど、

食に困らない状況でした。

本当、あの時は本当に大変でしたね。

日本に帰るにも、

日本に一時帰国して戻るまでの費用だけでも、

100万円近くですかね。

滞在費、検査費用とか食費とかもろもろ入れて。

今だと、もう少し安くなっていると思います。

でも、日本の入国水際対策で、

ベトナムはまだ自主隔離7日間の指定国。

これが緩和されれば、帰りたいですね。

もう3年帰ってないのかな。


と、話が逸れてしまいましたが、

何かあっても、自由に帰れなくなったのを経験してから、

まあ、とにかく生きるしかないし、

とにかくやることやって、楽しく過ごせるだけで良いかなと思うようになりました。

お墓をどこにするかよりも、

まずは、最低限の生活をどうやって維持していくか。

ベトナムに居続けるのなら、

ビザ代をずっと支払えるようにすること。

そういうこともあって、YouTube始めたり、

昼間の仕事の他に、

何か、自分でできないのかなと。

ツイッターのスペースをやったり、

ツイキャスで語ってみたり。

もう3年、いつ帰れるのかなw


ふもまろでした。