ヒトリ言。と、回顧録

些細な独り言。音楽と海外ドラマ好き。映画は時間があれば見たい。ブログは最近失速気味。

「スポットライト」「フランチェスコと呼んで」「アイヒマンショー」

2019年01月29日 19時53分30秒 | Music/Movie
スポットライト
劇場でみた際に、これはもう1度観たい!と思っていたので、CSで放送があった際にしっかり録画⇒保存。

ふとした時に、、時間があれば見返して、、、
忘れた気持ちを蘇らせてみたくなる。。
結局、すぐに現実に吹き飛ばされてしまうけどね。。。




★内容に全て触れています。
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この記事が出た時、日本でもそのニュースが取り上げたのを記憶している。
スポットライト

観てきた。
もう少し長くても良かったな。と思うくらい長さを感じない映画だった。

内容が重い題材だったので「良かった。」という言い方をするのは違う気がしている。

でも、映画の作り方、俳優さん達は良かったです。
変わり者でワンマン?な、はみ出し者の「記者」がいる訳でもなく、無駄にハラハラ感を煽るような演出もなかったところが個人的にとっても好き。
粛々と取材を続ける記者たちの姿に真実味を感じられたように思う。
そして、その中に「記者としての熱さ」を持っている事がきちんと伝わってきた。

マイケル・キートンさんは中でも渋さを放っていて素敵だった。
マイク・ラファロさん:作品によって印象が違くて、良い役者さんだなー。と、しみじみ・・・・。


宗教というもの。
信じるものがある。
という環境の中で育ったことがないので、本当に理解できたのかと言われれば出来ていないと思う。
でも、「宗教」という側面だけでなく「組織」「集団」というものは、恐ろしい側面を持つ事がある。ということは理解出来る。
そして、昨今のメディア・ジャーナリズムについても考えたりした映画だった。

中学・高校・大学時代に憧れていた職業。
新聞記者さんが不正や事件を暴いていくお話しは他にもある。
しかし、今回、この映画を観ながら気持ちが昔に戻ってしまうようなところがあった。
それは、この映画の作り方が良かったからなんだろうなと思う。

「報道」とは・・・・
多くの場合、、権力や資本の中で生きなければならなくなった「報道」。
でも、まだ世界には残っている物もあるはず。
そう信じたい。
そして、そう信じている部分がまだ自分の中にある。



『フランチェスコと呼んで-みんなの法王』

コンクラーベのニュースは見たりしていたものの、通常のニュースと同じように見ていた。
今の法王になられて、時々目にする記事などでの法王の物言いは結構好きで、どんな方なのか興味を持った。
興味は持ったものの・・・調べたりはしていなかったんだけども。。。

そんな中・・・・
会社の同僚が、「イタリア映画祭」で何か映画を観に行かない?と声をかけてくれた。
ラインナップを見て・・・「お!」と目に留まったのがこの映画。

観に行って良かった!
知らなかった事を知ることが出来たし、法王の言葉や行動の理由も少しだけ分かったような気がした。

残酷な事を含め、色々な出来事に直面しながらも「信仰を捨てる事がなかった」という事は・・・凄いな。とつくづく感じた。
そして、今も信じていらっしゃる。
「宗教」の力というものを・・・。

こんな事を言うのはどうかと思うけれど、法王が「神」を信じていらっしゃるのかどうか分からない。
でも、「宗教」という「概念」が人々を癒し、「正しいと思える道へ導けるはず」という「信念」を持っていらっしゃるのだなということは強く感じた。

姿や名前は違えど、「神」や「宗教」はもともとの発想は近しいものだったはずだと思っている。
「王」や「族長」などの「権力の誇示」の道具だったかもかもしれない。
「自然」という絶大な力や、「死」という抗えぬものへの「恐怖」。
そういったものを納得する為に生まれたものなのかもしれない。
(そうでなければ、本当に宇宙人が地球に来ていたか。。。。「古代の宇宙人@ナショジオ」が大好き。。)

日本人らしく「無神論者」である。
それでも、宗教的な場所は好きだ。
大好きなお寺に行き、大好きな仏像の前にいる時・・・・・
神社にふと立ち寄った時・・・
「あの」教会に入った瞬間の気持ち・・・
初めてモスクに行ってみた時に感じた感覚・・・
それらは、それぞれの場所でそれぞれの感覚や気持ちだったりはするけれど、日常とは違う何かを感じたり、思ったりする。


法王には少しでも長く、、、今後も純粋な言葉を発して頂きたいと願っている。



アイヒマンショー~The EICHMANN SHOW~

エンディングの言葉は、今、私達に伝えたい言葉でもあるんだろうな。と感じた。
記憶力の悪い頭なのできちんと覚えてはいない(笑)
なので、こんな感じのこと・・・だったよね??ということで・・・・
「鼻の形、肌の色が違おうと、違う神を信じていようと自身への優位性を求めた時点で誰でもアイヒマンになり得る」

しかし残念ながら「神」の名の元の戦争は延々と続き、それはアイヒマン裁判を行った国でも続いている。
こういう裁判が行われたにも関わらず、私達は変わる事が出来ていない。
被害者も加害者になり、加害者も被害者になる。


随所で語られるディレクター:レオさんの言葉
「誰でもがアイヒマンになる」
「アイヒマンも最初は普通の人間だったはず」
という言葉と想い。
「人間」としてこんな残虐なことをするには「理由」が必ずあるはず。と信じ、それを探し出そうとし続ける。
アイヒマンの表情やちょっとした仕草から、何かを探れないか探し続ける。

裁判も終盤となり、ポーカーフェイスを貫いていたアイヒマンの表情に微かな動きがみられる瞬間が来た。
それでも、彼は自分のしてきたことを「この時は間違ってはいなかった」「戦争という命令だった」と言い続ける。
アイヒマンがもし、何かから覚め、自分のしてきたこと全てを受け入れたとしたら・・・・
その時、彼はどうなるのだろう。
壊れてしまうのか。はたまた 変わらずにいるのか・・・。


人間は残酷である。そういう部分を持ち合わせている。他人事ではなく。
ドラマや書物や演説などから引用される言葉達がある。
それらを聞いていても、人は残酷な面を持ち合わせていることを実感する。
昔から変わらずに。
そう。他人事ではなく。自分を含めて。
そして、多分、、、誰でもが。



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◆「フランチェスコと呼んで」は、その後、タイトルが「ローマ法王になる日まで」に変更




◆今後観たい映画 (観に行かれるのかは分からない)
「The Guilty」
これは、結構見たい(笑)



シチズンフォー & 帰ってきたヒトラー

2019年01月29日 15時51分35秒 | Music/Movie
メールのフォルダを整理していたところ、、数年前に書きかけていた下書き(映画の感想)が出てきた。

もう新しく何かを書くことは出来ないだろうし。
せっかく見つけたし、もったいないから使おうっと。

それぞれほんの少しだけ当時の文章に加筆・修正はしてみた。
いやー。。文章って本当に難しい・・・。
気力がないとやっぱり書けないわー。。



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日々・・・・頭が悪くなっていること・・・考えられなくなっていることを実感している。。。
文章にしたいことがまとめられず、どうにもこうにもならない。。
これが、なんだかとても悲しい。
本当に悲しい。



シチズンフォー~CITIZEN FOUR~

非常に興味深く拝見させて頂いた。
このニュースが世界を駆け巡った時、「スノーデン氏の若さ」 という面が強いのだろうと思っていた。
しかし、映画を観て・・・彼が彼なりに熟考した末の決断である。ということが分かった。
それでも・・・「若い情熱」が無ければ成しえなかったかもしれないと思う部分はある。

皮肉にも、自由の為に戦おうとした彼ではあるが、結局、自由を手放すこととなった。
犯罪者として収監されていないだけで、そもそもの監視国家に身を置くことになったのだから。

今、彼が「幸せ」なのか「納得している」のか、「後悔」していないのかは分からない。
この代償が大きかったのかも小さかったのかも。
ただ、1つ間違いないのは、彼を受け入れた国は大きな武器を得た。ということだろうか。

モスクワのスノーデン氏の自宅を訪れたグリーンウォルド氏が、スノーデン氏と筆談をしていたエンディングは印象的だった。
そのメモは小さく破られていく。
(破るだけ?燃やさなくてもいいの?と、ちょっと心配にはなってしまったけど・・・)

スノーデン氏の静かな話し方はとても印象的だ。
そして、彼の後を追ってモスクワに入った彼女の勇気も素晴らしい。
と、思う一方で、彼女が・・・「彼女」のままであることを願っている部分もある。


グレン・グリーンウォルド氏(The Guardian紙の記者である時期もあり、現在は自身で「The Intercept」というインターネットメディアを設立した)と、ローラ・ポイトラス監督のジャーナリストとしての生き方に強く惹かれた。
彼らのように自身の信念を貫く為に、「一見」自由に見える母国を捨て、母国と協定のない国に身を寄せているジャーナリストさん(だけではないけれど)が意外といらっしゃる事をこの映画を観て知った。


NAS、GCHQ 等々・・・本当に怖いわーー。って思う。
組織として怖いとは思うけれど、個人レベルでは退屈極まりない人間なので怖くはない(笑)


中学生くらいの頃・・・・
大手企業への就職が内定したご近所の方の「身元調査(身辺調査)」で我が家に「探偵」がやってきたことがあった。
とても嫌な気持ちがしたものだった。
スパイ映画好きではあったけれども、身の回りで大なり小なり色々な事が起こっているのだ。ということを実感した瞬間だ。
そして・・大人になり、自身の事について改めて知ることがあった。
その時・・・・
「ああー。今まで自分では知らなかったこういう事も、あの時やってきたような赤の他人の探偵さんのような人は知っているのか・・・。
私自身が知らない「私」の事を知っていたりするのかー・・・・。」
と恐ろしいような・・・世の中なんてーのはそういうものなんだな・・・。と、諦めにも似たような気持ちになったものだった。


この映画を観て、なんとなく「コードネームはファルコン」を思い出し・・・観たくなったりした。
エンディングは・・・ボウイ様・・・・・
Withパット・メセニーさん。
今、思うと、何とも素敵な組み合わせ♪



某国大統領の、報道に対してのニュースを見るにつけ・・・
怖さを感じる。↑ ↓ ともに・・・・

帰ってきたヒトラー
(~Er ist wieder da~:He is back)

強烈な「ブラックコメディ」そして「風刺映画」だった。
確かに笑ってしまう。笑ってしまう部分は随所にあった。
しかし・・・その笑いの合間に、足元からというか首筋にというか・・・怖さを感じる映画だった。

ヒトラーの顔を見ながら、それが色々な人の顔に見えてくる。

人というものへの「疑問」と「不安」
己というものへの「疑問」と「不安」と「危うさ」
そういったものが首筋をビュービュー通り過ぎて行った。。

おお・・・怖っ。。。

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昨年(2018年)? CSでこの映画の放送があった。
再度拝見し、「やっぱり怖えええーーー。この映画ーーー!」と、思った。

まさに「今」を風刺しているような映画だ。



この映画のリメイク版がイタリアで制作され公開されたらしい。
主人公は「ムッソリーニ」
そうね。。
うん。


「スノーデン」も見なくちゃなー。。