診察室でのひとり言

日常の診察室で遭遇する疑問、難問、奇問を思いつくままに書き記したひとり言

産業医科大学・防衛医科大学校・自治医科大学(特殊3医科大学)

2018年09月25日 | 医療、健康

日本には 3 つの特殊医大がある。大学は本来、国公立、私立の区別はあるものの文部科学省が所管する。しかしながら、私の母校、産業医科大学、防衛医科大学校、自治医科大学の 3 校は夫々独自の創設目的から所管が異なる。防衛医大は自衛隊の医官、幹部自衛官の育成を目的に防衛省の所管になる。合格すれば入学金や卒業までの学費は免除され、学生でありながら手当(給与)ならびに制服を支給される。卒業後は幹部自衛官となり医師としては研修後、自衛隊病院や部隊などで勤務することになる。卒業 9 年以内に義務を果たさない場合(自衛隊を退官、関連医療機関退職など)は学生時代に卒業まで掛かった学費、給与などの経費全てを国庫に返済する必要がある。 自治医大は僻地を含む地域医療に従事する医師の養成目的で自治省(現総務省)が設立した大学である。全国の各都道府県から必ず合格者を必要とし、各都道府県の合格者は毎年 2~3 名と決まっている。卒業後は研修後、4 年半の僻地医療での勤務を義務付けされ、防衛医大同様卒後 9 年間、指定された僻地などの公立病院などで勤務した場合は、在学期間の学費は全て免除される。 そして私が卒業した産業医科大学は、北九州市に 1978 年に専門性にたけた産業医の養成や産業衛生医学を専門とした医師の養成を目的に労働省(現 厚生労働省)の労働基準局所管の産業医学振興財団の助成を受けて創設された。入学金と授業料は国立大学と全く同等であるが、医学教育にかかる学費は振興財団から全額貸与された形となり、卒後 9 年間は産業医や産業医学に関係した医療機関に従事する義務があり、従事できない場合は貸与された学費(約 1,000 万円ほど)を返済しなければならない。私の場合、卒後産業医にならずに一般臨床医(循環器医)を選択。産業医学に関係した臨床病院として労災病院を希望した。出身が大阪であるため、関西には大阪労災病院、関西労災病院、神戸労災病院と 3 施設があるが、当時新設医大であった産業医大はこれらの病院に十分なスタッフを送り込むことなど不可能で、伝統校である大阪大学、神戸大学が掌握しており、勤務することは不可能に近い状況だった。そこで卒後大阪大学第一内科の入局試験を受け、同グループに所属し 3 年間大阪労災病院で研修後、2 年間関西労災病院で循環器医として勤務、その後、再度大阪労災病院に戻り 2001 年 4 月まで勤務させてもらえた。もっとも、このような例は非常に非常に稀で、一般臨床医を選択した殆どの卒業生は卒後 9 年間の義務を果たせず、学費を返済する場合が多いようだった(当時の私立医大の年間授業料は 400~500 万円のところが多かった)。これら 3 医科大学のうち防衛医大のみ国立大学扱いとなり、自治医大、産業医大はなぜか私立医大扱いになっている。授業料が国立大学同等あるいは免除ということと、受験日が独自で設定され、他の国公立大学と異なっているため、私もそうであるが希望の国公立大学とこれらの特殊大学の受験が併願できるという選択を与えられた(産業医大のみ 1982~2005 年に国公立大学と同日の受験日になった)。当然の如く、莫大な受験人数となり、当時は 30 倍以上の人気となった。サラリーマンの子供が私立の医学部を受験することなどほぼ不可能で、義務・条件は付いているものの授業料を気にせず受験できるという夢を与えてくれる3 大学である。産業医大は 2005 年より、100 %貸与されていた学費が国の予算の変更で 63 %に減額され、その分自己負担するようになったようである。

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