凄いパワーのある方だとは聞いていたが
そのパワーの根源を見たような気がした。
彼が最初に話したのは
彼がまだ建築家ではなかった頃の東京の話だった。
戦後ボロボロだった第二次世界大戦復興後から
高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がけ日本を造り
そして1964年へ向かって日本人の意地を
見せたある男に対する話だった。
原爆投下で焼け野原の広島市の骨格を作ったその男
当時は単なる一廃墟に過ぎなかった「原爆ドーム」
広島を再建する上での、ランドマークとしてスポットライトを当て、
「原爆ドーム」と慰霊碑を中心とした広島平和記念公園と都市計画を行った男
その男の集大成は、1964年の東京オリンピックだった。
安藤さんはこう云った
「代々木の体育館、50年経ったんですよ、何一つ古くない
これが都市計画に必要なランドマークなんです」
「おそらく100年経っても古くない。街の中心、パリの凱旋門と同じなんです」
1964年まだ若かった安藤さんが
70歳を越え、今その中心となって
2020年の東京オリンピックが造ろうとしている。
渦中にいるので多くは書けないが
力強い話に引き込まれていた自分がいた。
ボクもいずれは死ぬのだから彼とい一緒に
何かを東京に残していきたいと思った。
つづく
そのパワーの根源を見たような気がした。
彼が最初に話したのは
彼がまだ建築家ではなかった頃の東京の話だった。
戦後ボロボロだった第二次世界大戦復興後から
高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がけ日本を造り
そして1964年へ向かって日本人の意地を
見せたある男に対する話だった。
原爆投下で焼け野原の広島市の骨格を作ったその男
当時は単なる一廃墟に過ぎなかった「原爆ドーム」
広島を再建する上での、ランドマークとしてスポットライトを当て、
「原爆ドーム」と慰霊碑を中心とした広島平和記念公園と都市計画を行った男
その男の集大成は、1964年の東京オリンピックだった。
安藤さんはこう云った
「代々木の体育館、50年経ったんですよ、何一つ古くない
これが都市計画に必要なランドマークなんです」
「おそらく100年経っても古くない。街の中心、パリの凱旋門と同じなんです」
1964年まだ若かった安藤さんが
70歳を越え、今その中心となって
2020年の東京オリンピックが造ろうとしている。
渦中にいるので多くは書けないが
力強い話に引き込まれていた自分がいた。
ボクもいずれは死ぬのだから彼とい一緒に
何かを東京に残していきたいと思った。
つづく