酒と料理と競馬と競艇

日々の出来事 B級グルメ B級ニュース などなどに !!!!!! スポットを当てる。 

民主組 初代組長 鳩山由紀夫 お坊ちゃまの奮闘気!!  69

2009-12-02 12:42:55 | お坊ちゃまの仁義なき戦い。
  20時02分に・・・ホテルオークラの中国料理『桃花林』に松野官房副長官らと・・・夕食よ!! 優雅だわ。

  太郎君のこと・・言えねぇよなぁ!! 昨日の・・流行語大賞『政権交代』のお祝いでもしてたんだろう~ょ。9億円だから一生・・外食出来るなぁ!!

  お弁当食べながらでも・・・山積み問題を遂行していかないと・・・年内は無理だろうになぁ・・・!! 

  滋味深い、正統派広東料理をこころゆくまで。
至高の味にふさわしい空間で、皆さまをお迎えいたします。・・と唱っているわね!!

  味があって・・・栄養豊富って事じゃのぉ!!

  ご隠居!! 栄養付けたって・・・その栄養を頭に回して使ってもらいたいですょ。

       
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「奥の細道」 &  黒霧島 &  レバ刺し     933

2009-12-02 09:48:25 | 日々の出来事 その1
12/02 水曜日  眩しすぎる・・こんなに穏やかで良いの・・・!!?? 東京から発信です。

昨日・月初め1日は・・・芭蕉ゆかりの地で・・・つご3本目の・黒霧島を入れる。
千住の宿は、芭蕉の「奥の細道」への旅立ちの地だ。
江戸時代から、日光街道の江戸から一つ目の宿場として栄え、江戸四宿の一つにも数えられている。

 松尾芭蕉は、天保元年(1644年)、伊賀上野の城下(現在の三重県伊賀市)で生まれ、後に(1672年)、江戸に移り住み、様々な俳諧活動を展開した。
 芭蕉は、元禄2年(1689年)、46歳、江戸深川から「奥の細道」に旅立ちをした。

 

芭蕉も・・・まさか黒霧島を呑んでいかなかっただろうな!!
ここは・・・北千住駅・西出口・・・徒歩1分/力安だ。
ストリートの名前は忘れてしまったが・・飲み屋横丁だったかな(^0^)
モツ焼きに・・・黒霧島/お湯割りは最高だ。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。・・・(中略)・・・ 彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

行春や鳥啼き魚の目は涙
(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。」

この千社札・・・・の一升瓶を見かけたらお声を!!

・・・I さん、昨日はタッチの差でした。(^0^)・・後10分早めなら・・!!
オニューを入れと来ましたので・・・どうぞ。

・・・リーズナブル過ぎる・・・消費者にとっては大変嬉しい¥6,480-昨日の御愛想だ。

 また、日光街道を挟んで東側を北へ100mほど歩くと、「千住宿 奥の細道プチテラス」が設けられてる。
矢立を手にとり句を詠む「奥の細道 矢立初芭蕉像」が建てられています。(平成16年、芭蕉生誕360年を記念して設置された。)

そして、芭蕉は、奥羽、北陸、岐阜の大垣へと約600里(約2,400km)、およそ半年の旅を続け、道中で詠んだ俳句をもとに「奥の細道」をつづった。
 最終地の大垣に到着した後、芭蕉は、三重の桑名、津、伊勢を訪れ、そして、故郷の伊賀上野へと帰郷してる。

・・・芭蕉を語りながら・・・黒霧島に酔うのも何時の日だろうか!!??
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