ウチの山小屋の隣に、こぢんまりとした湧水がある。
湧水といっても、川の横であるから、伏流水が湧き出しているものと思われる。ただ、乾季に横の川が干上がってしまった場合でも、この湧水は途絶えず、小さな池の源となっている。
水があるところには生物が寄ってくる。そしてビオトープを形成する。
昆虫だと、例の蛍のほか、トンボが5、6種類くらい存在する。私はそれまでオニヤンマを自然界でまじまじと見た覚えがなかったが、ここでは当たり前のように見かける。スズムシ、コオロギのほか、クツワムシもいる。ハンミョウ、タマムシといったきれいな虫もいて楽しくなってくる。当然、テントウムシやカメムシ、バッタなどありきたりな虫だっている。
鳥もいろいろ来る。サギは池の魚をがめつく獲りにくるのでしゃくにさわる存在だが、ウグイス、メジロ、セキレイ、シジュウカラなどはかわいらしい。時には美しいカワセミが現れる。
ビオトープとはそもそもは「本来の生態系が保たれた空間」だそうである。しかし、「人間が生活する地域の中で」というまくらことばがつくのが一般的になっているようだ。
学校など教育現場では「人工ビオトープ」なんていうのも増えている。というか、今普通にビオトープといった場合、人工のソレをいうのかもしれない。
ここでは「天然」ビオトープを考えてみたい。
我が家が山小屋を建てるために山林を購入したとき、この小さな湿地は荒れ放題だった。
湧水の出る部分こそなんとか見えていたものの、小さな池はアシだのヨシだのが密生して全貌は見えていなかった。何が飛び出してくるかわからないようなコワサもあった。
それを母がコツコツと手入れして、今ではすっきり池が姿をあらわして落ち着いた風情となっている。
水面が見えることでトンボは増えたし、鳥もよく訪れるようになった。荒れ放題だったころより、たぶん寄ってくる生物の種類は増えているだろう。
母はクレソンやわさびを持ち込んで育てている。きくらげが生えそうな木をわざわざころがしていたりもする。したがって植物の種類も増えている。
育てているというほどの手入れはしておらず、植物を置いているというイメージではあるが、葦などは今でも適宜刈り込んでいるわけで、この生態系に人間が介在しているのは間違いない。
となると、これをビオトープと呼んでいいものか、などと思い至る(「人工」をつければビオトープと言っていいのだろうが…)。
私としては、生態系を完全に支配せずに、自然と共生する形での人間の介在であればそれはビオトープといっていいのではないかと思っている。生態系の一部として人間という動物がかかわりあっているからだ。
ビオトープという呼び方がまずいのであれば、里山(さとやま)ならぬ里池(さといけ)とでも呼ぼうかと思う。
荒れ放題だった自然の状態より美しく、かつ、動植物がたくさん寄ってきている。こちらの姿の方が私は好きだ。
**********************************
こころが洗われるようなブログを一つ発見。
小学校4年生のバスケ小僧君による「ぼくのビオトープ」。
http://biotop.cocolog-nifty.com/biotop/
旺盛な好奇心と行動力。イマドキこんな子供もいるんだと少し感動した。全然登場してこないが親御さんはかなりの人物ではないだろうか。ほぼ同年代のわが息子と友達になってほしい。
介在するのが、すれた大人でなく子供なら、ビオトープと言って全然おかしくないような気がしてきた。
湧水といっても、川の横であるから、伏流水が湧き出しているものと思われる。ただ、乾季に横の川が干上がってしまった場合でも、この湧水は途絶えず、小さな池の源となっている。
水があるところには生物が寄ってくる。そしてビオトープを形成する。
昆虫だと、例の蛍のほか、トンボが5、6種類くらい存在する。私はそれまでオニヤンマを自然界でまじまじと見た覚えがなかったが、ここでは当たり前のように見かける。スズムシ、コオロギのほか、クツワムシもいる。ハンミョウ、タマムシといったきれいな虫もいて楽しくなってくる。当然、テントウムシやカメムシ、バッタなどありきたりな虫だっている。
鳥もいろいろ来る。サギは池の魚をがめつく獲りにくるのでしゃくにさわる存在だが、ウグイス、メジロ、セキレイ、シジュウカラなどはかわいらしい。時には美しいカワセミが現れる。
ビオトープとはそもそもは「本来の生態系が保たれた空間」だそうである。しかし、「人間が生活する地域の中で」というまくらことばがつくのが一般的になっているようだ。
学校など教育現場では「人工ビオトープ」なんていうのも増えている。というか、今普通にビオトープといった場合、人工のソレをいうのかもしれない。
ここでは「天然」ビオトープを考えてみたい。
我が家が山小屋を建てるために山林を購入したとき、この小さな湿地は荒れ放題だった。
湧水の出る部分こそなんとか見えていたものの、小さな池はアシだのヨシだのが密生して全貌は見えていなかった。何が飛び出してくるかわからないようなコワサもあった。
それを母がコツコツと手入れして、今ではすっきり池が姿をあらわして落ち着いた風情となっている。
水面が見えることでトンボは増えたし、鳥もよく訪れるようになった。荒れ放題だったころより、たぶん寄ってくる生物の種類は増えているだろう。
母はクレソンやわさびを持ち込んで育てている。きくらげが生えそうな木をわざわざころがしていたりもする。したがって植物の種類も増えている。
育てているというほどの手入れはしておらず、植物を置いているというイメージではあるが、葦などは今でも適宜刈り込んでいるわけで、この生態系に人間が介在しているのは間違いない。
となると、これをビオトープと呼んでいいものか、などと思い至る(「人工」をつければビオトープと言っていいのだろうが…)。
私としては、生態系を完全に支配せずに、自然と共生する形での人間の介在であればそれはビオトープといっていいのではないかと思っている。生態系の一部として人間という動物がかかわりあっているからだ。
ビオトープという呼び方がまずいのであれば、里山(さとやま)ならぬ里池(さといけ)とでも呼ぼうかと思う。
荒れ放題だった自然の状態より美しく、かつ、動植物がたくさん寄ってきている。こちらの姿の方が私は好きだ。
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こころが洗われるようなブログを一つ発見。
小学校4年生のバスケ小僧君による「ぼくのビオトープ」。
http://biotop.cocolog-nifty.com/biotop/
旺盛な好奇心と行動力。イマドキこんな子供もいるんだと少し感動した。全然登場してこないが親御さんはかなりの人物ではないだろうか。ほぼ同年代のわが息子と友達になってほしい。
介在するのが、すれた大人でなく子供なら、ビオトープと言って全然おかしくないような気がしてきた。