箱物行政とは、行政サービスの充実を大義名分にしながら、身の丈にあわない施設を建設して地元の目先の景気浮揚(といいながら恩恵は一部の業界だけ)を図る目的でなされる。
たいがい建物を供給するだけで、「仏作って魂入れず」に終わり、行政サービスの向上にちゃんと貢献するものは少ない。
例えば福祉行政の成果は、「『○△福祉センター』を建設しました」というようなことだけにスポットが当たる。それがどのように利用され、それが無かったときと比べてどのように良くなったか、という点は重視されない。
そんな行政手法で出来上がった公共施設を見ながら、最近の住宅に重ね合わせて思ったこと。
健康住宅
省エネ住宅
エコ住宅
いずれも理念としてはすばらしく、心地よい響きを持つ。だけどよく考えてみると「○△福祉センター」も同じだ。理念としてはすばらしく、心地よい響き。
ハード(建物)だけに目を向けると、「そういうものができたから実現に向かっている」というような短絡的な考えにつながりかねない。
ソフト(暮らし方や運用)を抜きにしたら、箱だけの公共施設を作ったこととたいして変わらなくなる。
「健康住宅」でも、不摂生で不規則な生活をすれば健康は保てない
「省エネ住宅」といいながら真冬にTシャツ一枚で過ごせるまで暖房してしまう省エネでない生活
「エコ住宅」といいながら短命に終わらせて建て替える非エコ
いずれも現実にあるシーンである。
健康住宅、省エネ住宅、エコ住宅という選択はいいとしても、その後の運用次第では当初の目的は台無しになりかねない。基本的には個人の自由なので人の生活ぶりをとやかくいうものではない。しかしその選択だけで社会正義のように語られるのには抵抗がある。
「健康住宅」でないと健康に暮らせないかのような、「省エネ住宅」に住んでないと省エネに貢献できないかのような、そんな言説は乱暴だ。それならば、昔の家に住み続ける人は皆「不健康」で「非省エネ」だというのか。
以前紹介した松場登美さんは築200年の昔の家で、健康的で省エネ、エコに暮らしている。
また、特に「健康」とも「省エネ」とも「エコ」ともうたっていない息子さんがセルフビルドした家で、とても健康で省エネでエコに暮らすターシャ・テューダーのような方もいる。
市井にも丁寧に暮らすことで、自然に「健康」「省エネ」「エコ」を実践している人々はいる。
「健康」「省エネ」「エコ」はハードだけで実現するようなものではないのだ。
自分の家を建てるとき「健康」「省エネ」「エコ」を考えなかったわけではない。いやむしろ積極的に考えたほうだと思う。だけどそれだけで「健康住宅」なんてはずかしくていえない。
自分自身の生活を見つめたとき、自分などよりもっと健康的で規則正しい生活をしている人がすぐに思い浮かぶし、事実そういう人のほうが健康だったりする。それは「家」によってもたらされた部分より、「生活・暮らし方」によってもたらされた面の方が大きい。
「健康住宅」を建てたから健康に暮らせる、というような考え方は、「福祉センター」を建てたから福祉が充実した、と主張する箱物行政と似ている。
いい建物ができていくぶんやりやすくなったのは事実としても、それだけで実現が保証されるものではない。まして建物の効能に頼らずに実践している人の住宅を貶めるような言い様をしてはならない、そんなふうに思う。
たいがい建物を供給するだけで、「仏作って魂入れず」に終わり、行政サービスの向上にちゃんと貢献するものは少ない。
例えば福祉行政の成果は、「『○△福祉センター』を建設しました」というようなことだけにスポットが当たる。それがどのように利用され、それが無かったときと比べてどのように良くなったか、という点は重視されない。
そんな行政手法で出来上がった公共施設を見ながら、最近の住宅に重ね合わせて思ったこと。
健康住宅
省エネ住宅
エコ住宅
いずれも理念としてはすばらしく、心地よい響きを持つ。だけどよく考えてみると「○△福祉センター」も同じだ。理念としてはすばらしく、心地よい響き。
ハード(建物)だけに目を向けると、「そういうものができたから実現に向かっている」というような短絡的な考えにつながりかねない。
ソフト(暮らし方や運用)を抜きにしたら、箱だけの公共施設を作ったこととたいして変わらなくなる。
「健康住宅」でも、不摂生で不規則な生活をすれば健康は保てない
「省エネ住宅」といいながら真冬にTシャツ一枚で過ごせるまで暖房してしまう省エネでない生活
「エコ住宅」といいながら短命に終わらせて建て替える非エコ
いずれも現実にあるシーンである。
健康住宅、省エネ住宅、エコ住宅という選択はいいとしても、その後の運用次第では当初の目的は台無しになりかねない。基本的には個人の自由なので人の生活ぶりをとやかくいうものではない。しかしその選択だけで社会正義のように語られるのには抵抗がある。
「健康住宅」でないと健康に暮らせないかのような、「省エネ住宅」に住んでないと省エネに貢献できないかのような、そんな言説は乱暴だ。それならば、昔の家に住み続ける人は皆「不健康」で「非省エネ」だというのか。
以前紹介した松場登美さんは築200年の昔の家で、健康的で省エネ、エコに暮らしている。
また、特に「健康」とも「省エネ」とも「エコ」ともうたっていない息子さんがセルフビルドした家で、とても健康で省エネでエコに暮らすターシャ・テューダーのような方もいる。
市井にも丁寧に暮らすことで、自然に「健康」「省エネ」「エコ」を実践している人々はいる。
「健康」「省エネ」「エコ」はハードだけで実現するようなものではないのだ。
自分の家を建てるとき「健康」「省エネ」「エコ」を考えなかったわけではない。いやむしろ積極的に考えたほうだと思う。だけどそれだけで「健康住宅」なんてはずかしくていえない。
自分自身の生活を見つめたとき、自分などよりもっと健康的で規則正しい生活をしている人がすぐに思い浮かぶし、事実そういう人のほうが健康だったりする。それは「家」によってもたらされた部分より、「生活・暮らし方」によってもたらされた面の方が大きい。
「健康住宅」を建てたから健康に暮らせる、というような考え方は、「福祉センター」を建てたから福祉が充実した、と主張する箱物行政と似ている。
いい建物ができていくぶんやりやすくなったのは事実としても、それだけで実現が保証されるものではない。まして建物の効能に頼らずに実践している人の住宅を貶めるような言い様をしてはならない、そんなふうに思う。