地方議員のトラブルが相次いだ。特徴は幼稚さであり、逆ギレである。精神の幼稚なものは逆ギレしやすい。
終戦記念日のたびに国会議員の靖国参拝が物議を醸す。つくづく日本人は反省しない民族だなと思う。欧米キリスト教国の人々には懺悔がたいせつな生活習慣だが、祖霊信仰の国日本人は禊ぎで済ませてしまう。それで罪はもちろん恨みも忘れてしまうのである。中国には懺悔も禊ぎもないだろう。悪に寛容なのであるが戦略的な罪の追及は厳しそうだ。韓国にも禊ぎ・懺悔はないだろうが、ハン(恨)がある。イスラム教徒には六信五行といわれる宗教義務があるが、信仰証明であり、それが罪の禊ぎのような感じである。礼拝は1日5回行われ、毎日禊ぎをしているようなものであるが、懺悔することは一切ない。日本人の禊ぎは祭礼などで年に何回かしか行わないのだからたいしたものである。
ともあれ国際社会は欧米的懺悔精神という価値観によって動いている。日本人がこのまま禊ぎ感覚でいいわけない。しかし長い催眠期間を経た島国DNAは容易に変化するものではない。DNA変化のためにはさらなる破滅的体験が必要なのかもしれない。
戦争をしない平和を守るためには大きな努力や代償が必要だが、沖縄を犠牲にして凌いで来のが日本だ。その沖縄の犠牲の上に立って築いた経済的繁栄を失いつつある現在、日本は高まる中韓の懺悔要求に逆ギレして、暴力による自己正当化に向かいつつある。日本の幼稚化の現れだろう。
戦争によって何もかも失った僕にとって、靖国に兄が祀られていることは極めて遺憾なことである。 大日本帝国の催眠にかかったままの多くの遺族は、戦後の繁栄を彼らの犠牲のおかげと靖国をあがめ、感謝するが、僕はその気になれない。とはいえ全ては歴史の必然であろう。いま、アメリカの反共政策のために生き残った大日本帝国の亡霊たちが立ち上がったのもまた、、、