韓国でカメラ窃盗を認めていた富田選手が、ここに来て冤罪を訴え始めた。何を今更だが、当初奇異な気がしたのも確かだ。なぜカメラなんか盗むのか、それもあんな場所でという疑問だった。だが当人が認めたというのだから、盗癖でもあって、ストレスから衝動的にやってしまったのかとも思っていた。盗癖の経歴もないないのなら、好意的に見れば、警察に詰問されて思考がストップしてしまったのかもしれない。つまり一種の催眠状態に入ってしまったのである。そう考えればことの顛末が理解できる。スポーツ選手は権力に弱いし、水泳のような個人競技の選手というものは、サッカーのようなずるさの必要なゲーム的スポーツの選手と違って、人間が素直だから催眠にかかりやすいだろう。人生は催眠である。成功者になるには被催眠性が高くなければならない。しかし、根本にちゃんとした自意識を持っていなければ人に陥れられ易いといえる。韓国相手に冤罪を晴らせる可能性はほとんどない。富田は自分の愚かさを反省して、自己をしっかり見つめて再出発することだ。
文学活動を始めたのは自己再生のための自己探求だといえる。昭和56年の夏、40才にして始めた文学活動は地域同人誌「許呂母」第三号からであった。「許呂母」は創刊昭和55年4月1日で、編集者は異色の反小説家尾関忠雄であった。「許呂母」は昭和62年8月、10号で終わった。なぜ終わったのかといえば、同人たちの内部蓄積がつきたからだろう。尽きせぬものを持っていたのは尾関だけだろう。尾関はほかにもいくつかの同人詩で書いていた。僕にも、同人誌時代には仕事や女性関係で様々な経験をしていたし、書きたいことは山ほどあったがヨーガを習うことにした。
ヨーガを習い始めたのは翌年昭和63年(1988年)ではなかったかと思う。ヨーガ(一般にはヨガというが、ヨーガ、あるいはヨゥガというのが言語に近いらしい)の学習は僕の心身に劇的な変化をもたらした。それまでも催眠の実習で習ったヨガ体操をしていたが、呼吸法を知らなかった。ヨーガは体位法(アーサナ)と調気法(プラーナ・アーヤーマ)と瞑想法(ディヤーナ)で成り立っているといわれる。ヨーガの究極的な狙いは瞑想法が本命だが、気は宇宙的生命的エネルギーといえるので、成長期に多くの身体的ダメージを受けてきた僕にとって、一番大切なのは呼吸法であった。瞑想法とは精神集中のことで、究極的には魂の自由に達するといわれる。僕には魂の自由が欲しいというより、魂の自由とは何かという瞑想するという知的な欲望の方が勝っていた。
ヨーガによって蓄膿気味の鼻づまりや頭痛、腰痛やむち打ちも改善していった。ちょうどその頃、小学生時代から悩まされてきた手のひらの皮膚病がカルシウム不足によるものだと薬局の人に教えられ、カルシウム剤を与えられて治癒したのであった。医師よりも薬剤師の方がよく知っていることもあるのである。